第十五話「藁人形VS土の精霊」
リーネが部屋を出ていき、刹那の間、部屋に静寂が訪れる。互いが互いに睨み合い、膠着し、相手の出方を覗うような空気が流れる。レースのカーテンがサラサラと揺れる音だけが室内に響いている。
――と、ふいに雑音は表情を崩して、ふっと笑みをこぼし、
「……しかし、あんた、ユネアを倒したんだって? ふふふ。なかなかやるもんじゃないか」
あくまで揶揄などではなく、称えるような口調で言った。
それに対し、マークリードはいぶかしむように口元を曲げながら、
「……何だ、その口ぶりは? まるで、貴様もユネアの実力を知っているようなものの言い方ではないか」
「ああ、知ってるさ。戦ったこともある。……強かったなあ、あいつ。僕も辛勝だったもんだ」
「……ふん」
マークリードはまるで興味がなさそうに、鼻で笑うように答えた――――しかし、内心、マークリードは至極納得していた。今の、「『藁人形』はユネアに辛勝だった」という言及――――つまり、ユネアとこの『藁人形』の実力はほぼ互角ということだろう。それだけ、こいつも強敵だということに他ならないが。…………ただ一つ言えるのは、主の読みが正しかったということだ。
――やはり、こいつは強者。
――気を引き締めてかからんと。
マークリードは気を入れ直すように、体勢をさらに深くして構え直した。
雑音はじりじりと間合いを測るように足を前に滑らせながら、
「……しかし、リーネさんを先に行かせてくれて感謝してるよ。あんたみたいのとは、やっぱり一対一でやるに限るからね」
「さし? ――――貴様、今、一対一と言ったのか?」
「…………? ああ、言ったけど。……そりゃそうだろう? だって、この部屋にゃあ、僕とお前しかいないじゃないか。誰が見たって、一対一以外の何ものでもない」
「ふふ、ふふふふ、ふふふふふふふふ」
雑音の返答を聞くや否や、頬をぐにゃりと歪め、こらえきれないように笑い出すマークリード。
「ふふ、はははは、あはははははははははははははっ。な、何だ。何を言い出すのかと思えば。はははははっ、あっはははははははっ。何だ、何だ、何だ。結局、貴様はその程度だったのか。はははっ。冗談も程々にして欲しいものだ。ははははははっ」
静穏の中、ひとしきり続く、マークリードの高笑い。
雑音は呆気にとられるように、意味がわからないかのように、大口を開けて笑うマークリードを立ちすくんで眺めている。
しかし、その背後――
――ごとり、ごとり
不気味な低音が、微かに聞こえてくる。
――ごとり、ごとり、ごとり、ごとり
まるで石を滑らすかのような、鈍く重い響き。少しずつ、少しずつ、次第に、次第に、その音は大きくなってくる。雑音の方へと近づいてくる。そして音量がようやくマークリードの笑い声を越したところで、
「……っ」
雑音はぴくりと、背後を振り返った。
そこには木製の戸棚に飾られている、人の形を抽象的に模った、数十個あまりの土偶の人形。それらの造詣は繊細であり、この邸宅の一室に飾られていても何の違和感もないほどの高級感を出している。しかし――――薄暗い部屋の中、浮かび上がる茶色や黒の色合いは、不気味に異彩を放っていた。そしてさらに――
――ごとり、ごとり
揺れるように、引きずるように、それら数十個の人形が動いている。さも自分の意思を持っているかのように、雑音の方を直視し、雑音の方に向かって、這いずるように移動している。
「はははははははは…………。ふふ、貴様もやっと気付いたか。この部屋にいるのは、残念ながら、貴様と私の二人だけではないということに!」
唇で弧を描く勝ち誇った笑みで、マークリードは雑音を見据えた。
「私は土の精霊。ならば、土でできたものを操ることは出来て当然。それがたとえ、人形であろうとな」
必死に笑いを堪えようとしながら、マークリードは言を続ける。
「私がこの部屋で待機していたのは、別にここが中継位置として最適だったからではない。こここそが、私の能力を存分に発揮できる環境だったからだ。私にとって好都合だったからだ。……しかし、見損なったぞ。『藁人形』。よもや、この程度のトラップに引っかかろうとは、な。ふん主も貴様を過大評価しすぎていたものだ。…………それとも、貴様は十四年前の『藁人形』とは別人だとかいうオチではあるまいな?」
言いながら、マークリードは半ば興ざめしたかのような表情になった。
「……まあ、いい。とにかく主の指令を実行すればそれで。貴様に期待していたのは事実だがな。しかし、私にとっては考慮に値しない問題だ。……さあ、とっとと貴様を半殺しにして、主の元に引きず――」
――パリィィィイインッ
突如、甲高い音が部屋中に響く。
マークリードは直ちに緊張を張り巡らせ、雑音を見据えた――――しかし、雑音はただその場に立っているのみ。何の変化もない。何の動きも見られない。
……では、今の音の源は?
マークリードは心内いくらか混乱しながら、視線を横に動かし、自身が動かした人形群を見やる――――すると、一つ、上半身が砕けたものが。
マークリードは目を見開き、頬に一筋の冷や汗を垂らす。
……な、何だ、これは? なぜ一つ壊れている? 操作を誤った覚えなどない。そんなはずはない。な、なぜ、人形が勝手に壊れ――
――パリィィィン、パリィィイイン
――パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリィィイイン
堰を切ったように、連発していく高音。同時に、マークリードが凝視する中、雑音の後方の人形が一つずつ、一つずつ、破裂するかのように壊れていく。
――パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリッ、パリィィイイン
そして、二十五個目の音が響いた後、それ以上音は続かなくなり、そして――――棚の上の人形が、すべて、粉末へと還る。
想像だにしない事象に、驚愕に苛まれるマークリード。
その表情に相対していた雑音は、やれやれと言うように肩を竦めながら、
「……あんた、一体何を言ってるんだい? 言っただろう? これは僕とあんたの、一対一の勝負だって。見てみなよ。この部屋には――
――〈僕とあんた以外、誰もいないじゃないか?〉」
傍聴者を見下すかのような雑音の声音。
この発言で、マークリードはようやく思い至る――――この土偶の破壊が、『藁人形』の仕業であると。『藁人形』によって壊されたのだと。
次いで、考える。
今、『藁人形』は動いた様は見られなかった。動いたようには見えなかった。つまりは、この土偶の破壊は、奴の特殊能力によるものであるとしか考えられない。『藁人形』の特殊能力。……いや、『藁人形』はあくまで人間だ。東家の者のような人間に毛が生えた程度の能力ならともかく、自分を驚愕させるほどの特殊能力を有しているはずなどない。確実に、この現象は他者の介入――――すなわち、式神の能力だ。
式神、式神、式神、『藁人形』の式神
どこだ? どこだ? どこにいる?
マークリードは集中力を高め、周囲の気配を探り始める。
――と、雑音の背後、彼の影になっているところに一つ、大きな黒い塊を察知。
「そこだぁ!」
マークリードは反射的にその方向へ手をかざし、能力を発動させた。
部屋の隅々の砂埃が舞い上がり、流れ、動き、密集し、その大きな黒い塊を瞬時に半球型に覆い包む。その黒い塊は驚いたようにその覆いに体をぶつけるが、壁に拒絶される。
マークリードは眼を凝らし、その黒い塊を瞳に映す。
それは幅が一メートル以上ある、黒い羽毛に包まれ、暗黒色のくちばしを有した――
――一匹の、カラス。
「おぉぉおい! な、なんじゃこりゃぁぁあ!」
そのカラスはくちばしを大きく開きながら、日本語を発音した。
「ちょ、おい、何だこれ! 出られねえぞ! な、もう、まったく! 俺は子飼い用の鳥じゃねえってのに! カラスを鳥かごに入れるなんて聞いたことねえよ!」
羽根をばたつかせ、わめきちらすカラス。じろりと、その鳥目を雑音の方に向け、
「おい! 小僧! どうしてくれんだ! 深夜の遠足だって言うからついてきたら、とんだとばっちりだぁ! こんな窮屈なところに押し込まれて! このままじゃ、下手すりゃ焼鳥にされちまうじゃねぇか! どう責任とるつもりだぁ!」
「まー、まー、落ち着いてよ、ストロウ」
雑音は首を傾け、はにかむようになだめるように言い聞かせる。
「それは、ただの囲いだろ? 囲われただけじゃないか。特に危害もなさそうだし、少しの間待っててくれれば――」
「――ふん、甘いな、『藁人形』」
雑音のストロウへの釈明を、マークリードが遮った。
「それはただの物理的な囲いではない。式神の能力も封じるシールドだ。その式神がどんな能力を有しているのかは知らないが、どうであれ、すべからく私と貴様の勝負への介入は不可能になった。これで、『殺し屋殺しの藁人形』、貴様はもはや丸裸だ。ただの生身の人間に過ぎない。短刀を扱う以外に何の能力もない。これで勝負は決まりだ。貴様に勝ち目はない。……ふん、結局のところ、やはり勝負は簡単についたな。まあ、いい。つまらないなどという不満も言うまいよ。考慮に値しない問題だ。さあ、『藁人形』、これからゆっくり半殺しに――」
――しかし、マークリードはその次の句を告げることはできなかった。
再度、マークリードの顔は驚きの表情に固まる。それもまた至極当然。いつの間にか――
――眼前で、小林雑音が微笑を浮かべ立っていた。
「ぅえ?」
マークリードは間の抜けた声を上げる。
――こ、これは…………しゅ、瞬間移動? 高速移動? え? そ、そんな、なぜ? え? だ、だって、式神は封じて…………え? 何で? どうし――
マークリードがそんな思考を巡らせる中、目の前の雑音は、左手を上着のポケットに突っ込んだまま、右手に握った短刀を頭上に振り上げる。
そしてそのまま、ぶれもなく、淀みもなく、その刃を斜めに振り下ろす。
マークリードの胴を横薙ぎに貫通する刃渡り。
切っ先が通り過ぎた瞬間、マークリードの体は砂のようにぼろぼろと崩れていき、その欠片が床の上のジャケットの上にこぼれていく。程なく、すべからく、何の意思も持たない無機物へと成り代わる。
「一体、藁人形の能力とはいかなるものか?」
マークリードが人間界で最後に残した疑問――――そして、これに対する解答。
「――そうか、特殊能力など関係なく、ただ単に、比較しようもなく、『藁人形』が強すぎたという、それだけのことなのか」
マークリードがようやくこの〈真実〉に思い至ったのは、
自身が精霊界に返された後のことだった。