第十三話「到着」
「とりあえず、香々美には僕の名前を出さないで欲しいんだ」
もはや真夜中を回り、雑音とリーネ以外に誰も居ない農道を歩きながら、雑音はリーネに言い聞かせるように説明している。
「逆に言うと、僕の名前さえ出さなければ、どんな方法をとってくれてもいいってことだけど。…………まあ、苗字繋がりで、東本家の話から入っていくのが無難だとは思うけどね」
「……まあ、そうなるでしょうね」
リーネはどうでもよさそうに頷いた――――正直なところ、リーネは今雑音が話しているような〈これから〉より〈先〉の事象について、深く考える気にはならなかった。そもそも、その〈これからのこと〉を無事乗り越えなければ、その先などありはしないのだ。最低限、〈奴〉との勝負で生き延びなければならないのだ。
しかしこの小林雑音は、もはや自分たちの勝利が当然であるかのように、何の気負いもなく、そんな〈先の話〉をしている。
これは、今までの自身の戦績からくる確信なのか、あるいは如月ジェック及び土の精霊の実力を知らないからこその油断なのか、リーネは判断しかねている。この緊張の欠片もないような雑音の様子からでは、どうにも読みきれない。計算しきれない。推測が立たない。……無論、前者であることにこしたことはないが。
リーネはこの疑問を何とか解決しようと、半ば探りを入れるように、
「……ところで、小林さん。如月ジェック及び土の精霊の能力ついては、先ほど説明した通りですが、奴らについて理解はできましたか? 何か質問は?」
「質問? いや、特にないけど…………。ただ、その土の精霊っていうのは、君のあの氷の精霊を倒したっていうんだろ? それだけでも驚愕の事実だ。僕だって、あんだけ手こずったってのに」
「あなたが手こずった、ですって? ふん……」
リーネはくだらない洒落を聞かされたかのように、嘲るように息を吐いた。
「冗談にしては冗談が過ぎる表現ですね、小林さん。それともワタシを謀ろうとでもしてるのですか? 残念ながら、あのときの一部始終はワタシも間接的に見てますからね。あなたのその表現が真実かどうかは、ワタシもちゃんとわかっています。……あの勝負がたかだか五秒でついたことも、ね」
「……おいおい、待ってくれ、それが誤解なんだよ。あれはあれで僕も大変だったんだ。君の氷の精霊も相当な強敵だったことは事実だ」
「……あの戦果で『強敵』? ふん。つまりは、あなたと対等に渡り合える者などこの世にも精霊界にも誰一人存在しないという、回りくどい自慢か何かですか? ……まったく、冗談にしては冗談が過ぎます」
結局、さっきからずっと抱き続けている〈奴〉との勝負に対する不安を完全には解決できずに、リーネは「……はぁ」と小さくうなだれた――――ところで、
「――おっと」
隣の雑音が高い声音で呟いた。
つられてリーネが視線を前に向けると、そこに――――古びた門が見えた。
太い鋼鉄で作られた城門――――実際、それが囲っている建造物は『城』ではないのだが、もはや『城門』と言った方がしっくりくるほど、豪奢な佇まいだった。車でぶつかったとしても通り抜けることは叶わないだろうと思わしめる、頑強な造り。しかしそれとは相反して、取っ手などに造られた装飾は、それだけで数百万の価値があると思われるほどの高級感を出している。
そして、そこから横に連なる城壁は、もはやその角が見えないほど長かった。個人の所有物としては信じられないほどの面積を囲っている。その所有者が一般人ではないことは二人にも一目瞭然だった。
「……うわ、なんだこれ、すごいな」
雑音は苦笑いしながら、門の中を覗きこんだ。
時折前の道を通り過ぎる車のライトに照らされて、広大な緑の庭園が垣間見える。そしてその中央には、闇に浮かび上がるほどの白い邸宅が一つ。さらに、その奥には小高い山が見えた。
「……これが、その『如月ジェック』っていう奴の資産の一つなのか? まったく、どんな金持ちなんだ、そいつ。こんなんだったら、アメリカ行くのに飛行機でも買い取れそうなもんだけどな。……つか、そいつとは戦うより、むしろ仲良くしといた方が色々と楽しいんじゃ――」
「――ふざけないでください」
リーネが雑音の軽口をぴしゃりと遮り、ぎらりと睨みつけた。
雑音は慌てて、
「いや、冗談だよ、じょーだん」
と肩をすくめる。そして再びこの邸宅を覗きながら、
「……しかし、『如月ジェック』は本当にここにいるのか?」
「ええ、あの情報屋からの話では間違いないそうです」
「……つったって、あいつ、なんだか頼りなさそうだったじゃないか」
「確信はありますよ。つい一時間前に、ここから二キロ離れたところで、タクシーが一台、原因不明の事故を起こしたそうです。運転手は即死。何でも、その事故は見晴らしのいい直線の道路で起こったらしいです」
「……なるほど。つまりこの『如月ジェック』はそのタクシーでここまで移動し、そして口封じのために事故を装ってその運転手を殺した、と。そういうことか」
腕を組み、納得するように顎を縦に振る雑音。
リーネはこくりと頷き、
「とにかく、奴がここに居る可能性が一番高いですし、いるかどうかは入ればわかります――――さあ、行きますよ」
「オーケー」
答えながら、雑音は腰元から短刀を取り出した。そして
――スパッ、スパッ
車の突進すら拒絶しそうなほどの太い鋼鉄の扉を、何の気概もなしに三つに分断し、さも学校の廊下を歩くような足取りで、すたすたと中へと入っていった。