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第十話「来客その二」

「……こ、小林、さん? ど、どうしてここへ?」

「ああ、鞘河君にこの家の場所聞いたんだ」

 リーネの質問に、雑音は目尻を下げながらエクスキューズするように答えた――――が、これはリーネが求めた答えではない。ここの住所は学校にも届けているし、調べる方法はいくらでもあるだろう。わざわざ裏の情報網を使うまでもない項目だ。雑音にここを知られたことは、リーネにとって何ら問題ではない。問題は――――雑音が、何の用でここに来たのか?

 リーネは数秒の間雑音の外見を観察した後、探るような声音で、

「……何の御用ですか?」

「ああ。実は、さっき言った頼みごとについてなんだけど」

「……それは、後でもいいという話では?」

「そのつもりだったんだけどねえ。その…………少々、のっぴきならない状況になっちゃって」

「のっぴきならない?」

「そ。深刻というか、残酷というか、急を要するというか。……主に、僕の小遣いについての問題なんだけどね」

「小林さんのお小遣い、ですか……?」

 首を傾げながらリーネは聞き返した。

 ……話を聞いてもまったく要領を得ない。小林雑音の小遣いがピンチで、何で自分に頼みごとが発生するのか? どんな頼みごとをするつもりなのか? その関係性も因果関係もまったく見えてこない。

 結局リーネは、考えているだけではラチが明かないという結論に達し、

「……分かりました。話を聞きましょう。取り合えず、中へどうぞ」

「あ、お構いなく。用件だけここで――」

「近所迷惑ですから」

 リーネは有無を言わせないように言い放ち、雑音を押しのけるようにドアの前に立って鍵穴に鍵を差し込んだ。そしてガチャリと扉を開く。

 ドアを開けたまま視線を向けてくるリーネを見て、雑音は肩を落としながら

「はあ」

 と呟いた。そして導かれるままドアをくぐり、


 ――バタンッ


 乾いた音が響き、

 光が途切れ、

 決して広くはない玄関の内側、

 二人きりが詰め込まれ、

 リーネは空気抵抗と音を殺すため、

 左手でスカートをおさえながら、

 右かかとを一歩引き、

 滑らかに体を回転させ、

 同時に右手をポケットから抜き、

 ぴたりと、


 ――雑音の首元に短刀を構えた。


 そして闇に際立つ鋭い視線で雑音を睨みつけ、溜息のような声で、

「……アナタ、一体どういう魂胆ですか?」

「魂胆?」

「しらばっくれないでください。アナタ、何を狙ってこんなところまで来たんですか? お金ですか? ワタシの命ですか? それとも精霊に関することですか?」

「『狙って』って、まるで強盗みたいだな。別に僕は、君から何かを奪い取るつもりはないよ。この通り、無抵抗だ」

「『無抵抗』? ……ふん。ワタシには〈当たらないことが分かっていたからよけなかった〉ようにしか見えませんが、ね。まったく、こ憎たらしい」

 吐き捨てるように言いながら、リーネは短刀をポケットにしまった。そして再度ついと雑音を睨みつけ、

「どちらにしろ、アナタに目をつけられた時点でゲームオーバーですからね。ワタシに生き延びる術はありません。……いいでしょう。ワタシも命を賭してアナタとのネゴシエーションに挑みます。さあ、中へどうぞ」

「あ、ども。…………というか、本当に僕は君に危害を加えるつもりはないんだけどなあ」

 困ったように呟きながら、雑音は渋々差し出されたスリッパに履き替えた。そしてリーネの後について廊下を進み、リビングにたどり着く。

 リーネは、雑音にイスに座るよう勧めると、

「では、ここで少々待っていてください。お茶とお菓子を用意いたしますので。……何だったらテレビでも見ててください」

「へ? いや、別に、構わな――」

 ――パチンッ

 雑音の意見を無視するように、リーネはテーブル上のリモコンのボタンを押した。次いで、画面に野球中継が映し出される。

 あからさまに強引な勧めだったが――――これは、リーネの保険の一つ。

 今廊下を渡る際に、リーネは気付いたのである。〈電話のモニターに示されていた伝言の件数が十四件だったことに〉。

 リーネの父親は朝の七時から夜十一時の間、一時間に一件ずつ留守番電話を入れてくる。平日も休日も毎日欠かさない。これは特にそう決めたわけではないが、いつの間にかそうなっていた。少なくともこの数ヶ月の間は一度も乱したことはない。

 昨日の分の伝言はすべて聞き終わっている。そして現在時刻は八時一分。すなわち、電話には伝言が十三件残っているはずである。

 一つ、多い。

 父親が今日に限って余計に電話してきたという可能性もなくもないが、それ以上に可能性の高い予見がある。即ち――――他の人間が留守番電話に伝言を残したこと。

 リーネの家に電話してきて、さらに伝言まで残す人物。そして〈今日〉というタイミング。リーネの中には確信に極めて近い予感があった。

 ――早く内容を聞きたい。

 リーネは内心焦りながらも、一方では至極冷静だった。今現在、家の中には来客がいる。しかもそれは〈あの〉小林雑音。電話の内容を彼に聞かれるのは、リーネにとって望むところではない。どんな不利な状況になってしまうか、どんな危険な状況になってしまうか、分からない。彼に声を聞かれないよう、何かしらで音の通りを防がなければならない。

 そのためのテレビだったのである。

 リーネは我ながら強引だったと感じたが、見たところ、雑音はそこまで深く考えていないようである。何も疑うことなく、椅子に座ったまま野球観戦を始めてしまった。

 その様を見てリーネは安堵し、「では」と言いながらリビングを出ようとした、その時――


『――臨時ニュースをお伝えします』


 リーネは思わず振り返った。

 つい一秒前までは野球場が移っていた画面がいつの間にか切り替わり、机に座ったキャスターが真剣な顔をこちらに向けていた。その強張った表情が、さながらこれから伝えるニュースの深刻さを物語っているようだった。

 リーネと雑音が見つめる中、キャスターの音声が流れてきて、

『本日、午後七時三十分頃、××県○○○町の△△ビルで、二十三人の遺体が発見されました』

 淡々と伝えるキャスターの声が一旦途切れると、画面が再度切り替わって、夜のオフィス街が映し出される。

『事件があったのは△△ビルの二階から五階で、合計で二十三人の遺体が発見されました。死因はすべて絞殺で、発見時にはすでに死後一時間以上経っていたということです。現場には所々砂や土が落ちており、これは犯人が犯行の際に落としたものと見て警察は捜査を行って――』

「……うわー、ひどい事件があったもんだ」

 テーブルに片肘をつけながら、雑音は顔をしかめて呟いた。

 その背後、廊下からテレビを見ていたリーネは――――膝が砕けそうになるのを、寸での所で耐え凌いだ。しかし、バランスを保つだけで精一杯。地面がぐらぐらと揺れている。頭が痛い。胸が苦しい。腹に鉛が圧し掛かってくるような感覚に苛まれる。

 ――今テレビに映っているのは、さっきのビルの隣にあった建物。

 これが偶然…………なんてわけがない。無関係であるはずがない。間違いなく、この二十三人は〈如月ジェックに殺された〉のだ。

 なぜ、などと考えるまでもない。目的は証拠隠滅。先刻如月ジェックがあの場にいたことを目撃される恐れがあったから、奴が全員の口を封じたのだ。全員の魂を削いだのだ。

 ――そうだ、そうだった。

 ――これが、これこそが〈最悪の事態〉

 考えうる限りの最悪の事態。自分が死ぬのよりも最悪の事態。無関係の人々が何人も、何十人も死ぬ。奴に殺される。奴を追う上で、これが最も避けなければならなかった状況なのだ。今、そういう状況に陥ってしまったのだ。

 ――これは、ワタシのせい?

 ――ワタシが負けたのが原因?

 ――ワタシの不手際のせいで人が死んだ?

 ぐらりと、足元がふらつく。景色が歪む。視界が眩む。内臓が溶け出したような腹部の痛み。体の内側のすべてを吐きそうになる。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。キモチ……ワルイ。悪い、悪い、悪い。ワタシが、悪い? ワタシが負けたのが悪い? ワタシの存在が悪い?

 ……いや、

いやいや、いやいやいやいや

 今のニュースでは、死体群が発見されたのが七時半で、その時にはすでに死後一時間以上経っていたと言っていた。つまり、二十三人が殺されたのは六時半前。ワタシが奴に攻撃を仕掛けたのは七時六分。即ち、あの時にはすでに彼ら彼女らは殺されていた、ということ。奴はワタシとの戦闘とは関係なく、最初から周辺の人間を殺すつもりであの場にいたのだ。この殺戮は、ワタシが直接の原因ではないのだ。

 ここまで考えがいたり、リーネはようやく平衡感覚を取り戻した。

 ――しかし、安心している暇はない。

 ――ワタシが止めない限り、奴の殺戮は続く。

 すでに臨時ニュースが終わり、野球中継に戻っているテレビ画面を横目で見ながら、リーネはリビングを離れた。そして廊下の電話機に駆け寄り、伝言の履歴を見る。

 十四件の伝言。その中に――――あった。一つだけ『非通知』が。

 リーネが受話器を持ち上げ再生してみると、

『どうも、私立探偵兼情報屋の〈レフト〉です。ちょっと、急な連絡があってお電話しました。折り返し――』

 ――プッ

 最後まで聞かないうちにリーネは受話器を置いた。そして再度持ち上げ、無心で番号を入力する。

 ――プルルルッ、プルルルッ、プルルルッ

 呼び出し音が三回鳴り、

『はい。レフトです』

「も、もしもし。電話頂いた東ですが」

『ああ、はいはい。東様。お待ちしてました。案外リターンが早くてよかった。もし明日になっちゃったらどうしようと思ってたところで。これで一安心ですよ。では、例によって例のごとく、合言葉を――』

「『クィーンズ・シティ』」

『あ、はい。承りました。……というか、東様、焦ってますね? かなり焦ってますね? まあ、そちらの事情も何となく見当はついているので、気持ちも分からないではないですがね。しかし情報をやり取りする場では、もう少し落ち着いた方がいいですよ? でないと冷静な判断ができなくなって、虚実を見抜けなくな――』

「用件は何ですか?」

『え? あ、はい。ええと、これは補足事項というか、アフターサービスというか、つまるところ特別応対です。お客様が気持ちよく情報を扱えるようにするための、ね。ですから、この件に関しては追加料金は――』

「早く!」

『わ、分かりましたよ、分かりました。そんな、怒鳴らないでくださいよ。怖いなあ、もう…………ふう、じゃあ、単刀直入にお伝えしますよ? えーと、ですねえ――


 ――如月ジェックが逃げました』


「…………へ?」

 くらりと、またもリーネの世界が揺れる。頭が真っ白になり、言語の理解が追いつかない。理解しかねる。理解しがたい。日本語が分からなくなる。『レフト』は今、何と言った? ええと――――キサラギジェックガ、ニゲタ?

『……いや、逃げようとしている、と言う方が正確でしょう。今までマークしていたアジトを離れて、空港の方へ向かったみたいです。奴が買った航空券の詳細も一応抑えてまして。その出発時間はまだまだ先なので、今すぐ逃げるというわけではないようですが。恐らく、空港近くの別のアジトへ向かったのでしょう』

「…………いつの便ですか?」

『えーと、デパーチャーは明日の朝、六時ですね。アメリカ行きのものです。予約時間はつい二十分前。運良く空席があったみたいで――』

 ――ガツンッ

 リーネの手からこぼれた受話器が、棚の上に衝突した。ごろりごろりと左右に揺れ、五回目でようやく止まった。スピーカーからはレフトの『もしもし? もしもし? 東様? もしもーし!』という声が漏れている――――が、リーネの耳には入らない。届かない。リーネはただただ虚空を見つめている。見つめたまま逡巡している。

 ――如月ジェックが逃げる? 今? このタイミングで? 日本から出て行く? アメリカへ向かう? そんな、なぜ? どうして?

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……そうか。それはそうだ。当たり前だ。当然のことだ。そう――


 ――〈ワタシが無事だったから〉

 ――ワタシの死体があの場になかったからだ。


 恐らく〈奴〉は地上階までワタシの死体を確認しに来たに違いない。そこで、ワタシの死体がないことに驚いたに違いない。そして、ワタシが無事生き延びて逃げたことに感づいたに違いない。

 それは、〈奴〉としては少しばかり厄介なこと。

 能力を見せた相手に逃げられてしまった。能力に関する情報を他人に伝える機会を与えてしまった。自分の能力が他人に漏れてしまう可能性がある。広がってしまう懸念がある。その第三者に何かしら策をこうじられてしまう恐れがある。厄介な刺客が現れる危険性がある。

 おまけに、相手は東本家の人間。

 十四年前にも挑んできた敵だ。恐れはせずとも、鬱陶しいとは思うはず。あまり関わりたくないと感じるはず。〈奴〉が日本に来た目的は――〈奴〉が今日も廃ビルに視察に来ていたことから考えても――まだ達成していないのだろう。しかし、それを後回しにしてでも避けたいと思うはず。

 だから如月ジェックは、早速逃げようとしているのだ。

〈奴〉の行き先は、アメリカ。アメリカは広い。日本とは比べものにならない。一度見失ったら、もう二度と捕まらないかもしれない。対面は叶わないかもしれない。勝負を挑むチャンスは金輪際ないかもしれない。

 ……〈奴〉に逃げられる。逃げられてしまう。六年かけてやっと掴んだ居場所だったのに。またも、ふりだしに戻ってしまう。

 今から向かえば、あるいはまだ間に合うかもしれない。〈奴〉の居場所の見当をつけることは不可能ではない。急げば、もう一度くらいアタックできるかもしれない。

 ――が、

 いかんせん、戦力がない。攻撃力が足りない。奴を追い詰める攻撃方法がない。

 今から精霊を降ろして、果たして間に合う? ユネア以上の精霊が降りてくれる? あと九時間で成功する? ――――そんなの、無理、無理だ。一日でも一週間でも一ヶ月でも分からないのに。たった九時間なんて。運任せですらない。確率の問題でもない。奇跡にすがるにも程がある。

 他に、他に手は? 〈奴〉を止めることができる策は? 早く、早くしないと逃げられる。〈奴〉を取り逃がしてしまう。どうしよう、どうしようどうしよう、どうしようどうしようどうしよう――

「――…………どうしよう?」

 がくりと床に膝をつけながら、リーネが震える声でそう呟いた時、おもむろに――


 ――ぎいいぃ


 床が鳴った。

 リーネが顔を上げると、いつの間にかそこに人影が一つ――――小林雑音が立っていた。憔悴しきった顔で目に涙を浮かべているリーネの表情を、静かに見下ろしている。

 もはや驚く余裕すらないリーネが呆然と見上げている中、雑音はぽかんとした顔のまま、首をこくりとかしげて、

「…………? 何を言ってるんだ、リーネさん? そんな、思いつめたような顔しちゃってさあ。そんなん、別に――


 ――僕がりゃあいいだけの話だろ?」

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