事件の前触れは穏やかに
マグリンダ大国の都市ラインドールから少し離れた、とある村でヒカリは鎧を着た集団から追いかけられていた。
「炎の魔人よ、我ら人の子に力を貸したまえ」
「水の精霊よ、極寒となり我が願いに応えよ」
「風を司りしムスタムよ、我と共鳴せよ」
魔法陣が騎士達の足元へ現れると、同時に様々な呪文が詠唱される。
呪文は基本的に、いくつか決まった型があって、それに沿って唱えることで効果を発すると言われていた。
中には無詠唱と呼ばれる、同じ魔法を何度も使えば自然と身に付く。という技術もあるので、今魔法を使ってる人たちはまだ初心者ということが分かる。
騎士に追われてる理由を話すには、ここまでの経緯を簡単に説明しないとならない。
まずは基本の魔法についてだが…基本的なことに関して言うと、魔法陣の色は発動する魔法の効果が関係していて、赤色は炎に関する魔法、青色は水に関する魔法、緑色は風に関すると言ったように、幾つかの種類がある。
他には、黄色で光、茶色で土、黒で闇、中でも、紫は特殊な呼び方で呪術と呼ばれている。
魔法の種類は極めて多く、未だに種類が増え続けている。最近で言えば、二年ほど前に西の小国で召喚魔法なるものも出来たそうだ。
そんな世界で、最も魔法の進んでいる国と呼ばれているのが、このマグリンダ大国だ。
異世人の勇者と呼ばれる人たちがこの国に現れたのも、この国で召喚魔法の実験をしていたからだそうだ。
たまたま上手くいった召喚魔法で呼び出された異世界の勇者の能力は凄まじく、召喚された時に付けられた加護によって、魔王と呼ばれる危険な存在をたった半年で退治してしまった。
そんな勇者だが、ヒカリにとっては単なる村の仇なだけであった。
あれは一年と数ヶ月前、勇者が氷里の住んでいたエルフ族の村へやってきた時のことだ――
エルフの特徴である、特殊な加護を受けることなく生まれてきたヒカリには、特徴があった。
顔はエルフの男性らしく、凛々しくも美形だったが、髪と目の色が黒く、エルフ特有の耳が無かった。
代わりに人間と同じような耳があったことから村の同年代からは『ニンゲンモドキ』と罵るようにして呼ばれていた。
それだけでなく、人族でも黒髪黒目は珍しいので、稀に村へなってくる人族の者からも忌み嫌われていた。
嫌われ者のヒカリが、性格をひん曲げること無く育つことは不可能に近かった。だが、ヒカリは持ち前の精神力だけで、なんとか一般的と呼ばれるような人格を手にしていた。
村では、年齢が十七を越すと男は村の防衛二年間、女は衣服を作るか、嫁ぐことが義務付けられていた。
男の大半は防衛をするが、特別な理由、又は望んでやる場合は、年齢が十七にならなくても早めに防衛を出来ることになっていた。
ヒカリは、十四の時から、この防衛の仕事を担当していた。
理由は、十七になる前に防衛を担当すると周りの大人が補助してくれること。
そして一番の理由は……防衛は本来最低でも二年間担当するのだが、若い者は防衛を一年間やるだけで済むから……要するに、楽がしたかったのだ。
そして、本来なら勇者がやってきた日を持って、晴れて担当から抜けられることになっていた。
そう、本来ならば――
勇者は前触れもなく村に現れた。
「異世界よりやって来て、今は勇者なんて者をやらせて頂いています『コノエ カンザキ』と言います。この度はこの村に一番近い森に異変を感じたので、その対処にと参りました」
そう説明すると、腰を丁寧に四十五度傾けて会釈してきた。
第一印象では、丁寧な男。
ヒカリと同じく黒髪黒目でほっそりとした体格で、髪は一般的な長さより少し長めで、妙に優しい瞳が特徴の男だった。
だが、第一印象とは別にその瞳の奥に秘めた微かな興奮をヒカリは感じ取っていた。
きっとあの興奮は、冒険することに対しての興奮だったんだろう。
異世界から来たと言っていたので、前の世界では冒険なんて物は存在すら無かったんだろうか。
冒険をするという事は、消えない傷が出来ることを意味する……と言うと大袈裟だが、少なからず傷は残ってしまうだろう。
だが、未だに傷一つない姿の彼からは、冒険なんて無かったことがありありと証明されていた。
そんな彼が突如、他族との交流を嫌うエルフ族の村へやってきて、村の近くの森で異変を感じたから。なんて言ってきても誰も信じることができなかった。
半信半疑のまま、勇者と防衛長と呼ばれる二人で急遽会議が行われた。
会議と言っても、勇者はただ異変を感じたから。としか話さず、勇者がこの件から引く気の無いことを防衛長は感じ取り、午後の偵察の際に同行させることが決まった。
ちなみに、その時の偵察班は六人でヒカリはそのうちの一人として一緒に偵察へ行くことが決まっていた。
氷里以外のエルフは『森の加護』という加護があり、森に異変があれば、森の魔力を通じて異変を感じ取ることが出来ていた。
なので、森の加護を受けられないヒカリは、仕方なく、防衛の先輩に当たる女エルフのミカエルさんに異変を感じられるか聞くことにした。
「ミカエルさん、森の加護で何か感じられますか?」
するとミカエルは尖った耳を少しピクリと動かせて異変がないかを確認していた。
「今のところ何も感じられないんだよね。それに私、あの勇者とか言う奴のことが信じられない。勇者の加護については理解しているんだけど、私たちの森の加護よりも優れているなんて思いたくないし……ぶっちゃけ、あの勇者の態度は気に入らない」
「まあ、そうですよね。勇者とか呼ばれてるからって調子に乗ってる印象が強いですからね」
そう言って肩を少し上げてから、目へと魔力を送り込んだ。
「お、魔力視か。久しぶりじゃないか、それを使うのも」
魔力視という術は森の加護に近い仕組みで、ヒカリなりに解明して作った術のため、森の加護でも分からないような微妙な異変も分かることがある。
魔力視は、その名の通り魔力を目で捉えられるようにしたもので、自分の目に術をほどこし、魔力をそこへ注ぎ込むことにより、効果を発動する。
森の魔力は森に異変があると、とても濃くなり、霧のように森を覆い隠すことがほとんどで、魔力視を使って森を見ることによって異変があるかないかを察知できるようになっていた。
そして……その魔力視によると、森に異変はない。
「今はまだ異変のような物は見られませんね。それに魔力溜りのような物も見当たらないです」
「そうか、なら勇者は何故やってきたんだろうな。あんな態度のやつなら何かを企んでてもおかしくは無いな」
ミカエルさんが言い終えると同時に俺たちの後方から森へやってきた勇者が会話へ潜り込んできた。
「酷いなー、これでも僕は真面目に見えるように頑張ってるんだけどな」
そう言いながらショックを受けているように顔を下に向けている。
「いつの間に後ろに。まあ、勇者様がとーっても信用出来ない態度を取るからですよ」
と軽く氷里が返事を返すと、勢いよく顔を上げて俺の顔を睨みつけるように覗き込んできた。
勇者と目が合う。すると勇者は質問してきた。
「君、名前は?」
「ヒカリ、『ヒカリ シイノ』です」
ほうほう、と頷きながらまだヒカリのことを覗き込んでいる。
「君は、どこの国出身だ?もしかして日本とかいう国からとかじゃないか?」
「いえ、全く違います。さっきの村で生まれ、育ちました。髪と目の色のことなら僕は分かりません。耳がこんなに小さく、人間と同じなのは自分が嘘つきだからだそうです」
そう言い終えると、勇者は今度こそショックを受けるかのように地面に倒れ込んだ。
まあ、耳に関しては完全に嘘だが・・・
「日本人かと思ったとのに……召喚されてとかじゃなくて転生者とかでも良かったのに、神って奴は残酷だ」
いやいや、召喚された人間がいる訳ないだろ。
召喚魔法は半年ちょっと前に出来たばかりで勇者が一番最初にやってきた人だ。
あと、転生とかなんだかよくわからない単語も聞こえたが、ヒカリには関係の無いことだった。
「で、勇者様にはこの森に異変が起きていると感じていると。間違いありませんか?」
「あぁ、それに関しては間違いないな。何せ勇者の加護がそう訴えてきたのだからな」
勇者の加護か、なんとも便利なものである。
「では、森へ向かいましょうか。ミカエルさんほかの人を連れてきてください」
「なぁ、思ったんだけど、なんで君みたいな小さい子が仕切ってんの?仕切りたいとかそういう年頃なの?」
そう言うと、隣で静かにしていたミカエルさんが怒りを顔に浮かべながら説明してきた。
「ヒカリはな、魔力視って言って森の加護とは違う特別な術式を体に埋め込んでるんだ。だから私たちよりも小さな異変に気付ける。それで何度も助けられたし、この能力があれば偵察班のリーダーになるのは必然とも言える。どんなに小さかろうと」
「ごめん、一言だけ言わせて。俺はそこまで小さくない、まだ発展途上なだけだ」
俺らが会話する横で勇者はブツブツと呟きながら自分の世界に浸っていた。
そして口を開いたかと思うと、こう告げた。
「要するに、君は異世界チートマンなんだね!納得、納得」
「は、はい?ちーとまん?なんのこったな」
「はぁ、俺がいた世界では簡単に言うと……ずるいヤツをそう言う。まあ、本人は自覚ない様子だけどね」
俺が……ずるい?
努力の末に手に入れたこの力をズルだって?
「お前は何も分かっていない。氷里は私たちと違って見た目も、加護を受けることすらできなかった。それなのに挫けずにこの力を手にしたんだ。ズルなんかじゃない、そこを理解してヒカリに謝れ」
おうふ。ミカエルさん、きっーい。まあ、言いたいことは言ってくれたし、感謝しないとな。
「そうですね、ミカエルさんの言う通りです。まあ、言い方はあれでしたが大体は理解して頂けたでしょうか」
「あ、あぁ、もちろんだ。僕の理解が足りなかった。許してくれ」
「分かったのならそれでいいだろう」
「そうですね。でも勇者様、敬語を辞めて頂けませんか。なんか……気持ち悪いです。俺もやめるんで」
若干キツく言うことでさっきのお返しをすると同時に、少し距離を地締めてみることにした。
すると苦虫を潰したような顔をしたかと思えば、すぐにニチャア、と音がしそうな笑顔を返してきた。
「じゃあ、敬語は辞めようか。ヒカリ」
この瞬間から、ヒカリの不運と言う能力は開花し始めていた――