(0) Mission No.1 : 準新人戦で優勝する事
『残り時間 10分』
抑揚の無い合成音声が頭に直接響く。仮想戦場――V-フィールドにログインしている人間の心身状態を逐一監視しているシステムからのメッセージ。それはさながら、この小さな世界に存在している神からのお告げのよう。
“ササラ ミア 身体ダメージ75% 直ちに治療が必要なレベルです
精神ダメージ 35% 支障は無いレベルです
備考 右上腕部より毒(軽度)の侵入あり、解毒が必要です”
次いで脳裏に映像として提示されるのはシステムから見た自分自身の状態。ちらついたのはほんの一瞬だが、脳はしっかりとそれを理解した。この数字がどちらかでも100%になれば自分は死亡する(正確には、いつ死んでもおかしく無い状態になる)から、生存本能が現在値を嫌でも刻みつけるのだ。それに呼応するかのように自身の荒い呼吸が耳につき、射られた右腕が熱を伴ってズキズキと痛む。まるで誘導されているようなそのシステムメッセージに、要らない情報をくれたものだ、と胸中で舌打ちする。
「後少し、なのに……」
実際の声は悔しさで絞り出した。この戦場における勝利条件は、“相手の陣地に鎮座する水晶を破壊する”事。そしてその水晶は、もう目と鼻の先にある。ところが、そのあと少しが届かない。
「クリスタルの力で再生しているみたい。これがあの噂の“力”の正体だね……」
自分の唾棄に対し冷静に答えたのは姉だった。二人が対峙するのは自分たちと同じような黒い戦闘服に身を包んだ二人組。片方は弓、もう片方は杖を持っている。人数的には互角だが、どうやら敵方は水晶の力を使って体力や精神力を自動回復しており、それが同様の手段を持たない自分たちにとっての脅威となっていた。
先のシステムメッセージは敵味方問わず他人の状態は一切流さないので相手の状態を正確に知ることはかなわないが、彼女たちの異常なまでの再生能力は、嫌でも自分たちの不利を自覚させられる。
対して自分はシステムからの通知通りの満身創痍。どこで切ったのやら右耳の上で結った赤い髪の毛に紛れて血が付着している。姉もあちこちに傷を作り、腰の上まで伸びる長い黄色の髪はぼさぼさで、一つに結っているリボンも今にもほどけてしまいそうだった。
――刹那、敵の杖と、弓がきらりと光り、それぞれの武器をこちらに向けて何かを叫ぶ。
「!!」
姉もその殺気に気付いて、直ぐに杖を構えた。向けたその先から銃弾のように白い光弾が次々放たれ、一直線に自分たちに襲いかかる。この魔法そのものは姉も唱えられるレベルのものだが、いかんせん数が多いので全て相殺する事は難しいだろう。自分は魔法を使えず迎撃する事が出来ないので、流れ弾を回避する為姿勢を低くした。
すると、目の前に硝子があるかのように、見えない壁がその光弾を次々と跳ね返した。姉は杖を構えながらも魔法は発動していない……つまり陣地で控える仲間が自分たちを守ってくれたのだと気付く頃には小爆発と煙で視界から敵の姿が消えた。思わず安堵の溜息が零れた。
『遠撃反射障壁を張りました、ただ30秒が限界です』
若干のノイズに混じり、淡々とした声が左耳にかけたインカムから聞こえる。一見平静に聞こえる声音はしかし焦りと疲労を伝えており、それが30秒と言う制限の要因だろう。
味方は味方で水晶を防衛する必要がある。敵も自分達と同じように、水晶を破壊する為の人員を送っている筈だ。残り時間はあと10分、もしかするとこのノイズは、交戦中の為に生じたものなのかもしれない。
「ありがとう、十分よ」
同じ内容が伝わっていた姉は、一つ頷いて仲間へ礼を告げた後、振り向いた。敵からの猛攻はいまだ続いているが、相手方に近接攻撃を得意とする者がいない事が幸いしている。ドーム状の障壁は遠距離からの攻撃に対し不規則な方向に反射するので、ともすれば応戦になっていると錯覚させることが可能なのだ。
30秒の間に何が出来るか考えようとして――
「みあちゃん、今のうちに、逃げて」
「っ……!!」
姉の口から出た言葉に思考は遮断、それどころか被弾以上のショックを受けた。
「途中で合流したら、みどりこちゃんが回復してくれるから」
回復係の先輩は自身の毒を解毒する為向かってきてくれている上、悪い知らせも届いていないところから彼女はまだ生存している事もわかっている。けれど、その物言いは――
「でも、お姉ちゃんが!」
姉の事は誰よりも尊敬している。それに、姉とは十何年と一緒に過ごしてきた。だからそれ故に姉の実力もわかっているつもりだ。その結論は、この状況下で一度に二人を相手にするのは無謀だ。最悪の事態は免れられない。
「大丈夫、本当に死んじゃうわけじゃないから」
……そして姉もそれを自覚している、そんな覚悟の伴った口調に、背筋が震える。
確かに、死亡扱いとなるのはあくまでこの仮想戦場においてのみなので、本当に死ぬと言う事は無い。ちょうど魂が肉体に戻って行くようにして、現実世界に安置されているカプセルの中で目を覚まし、まるで夢だったかのように傷一つ残らないのだ。
「でもっ……!」
けれどその一方で、“死亡扱い”でV-フィールドからログアウトした場合、ペナルティとして身体の目覚めに悪影響が出る。自分は“V-フィールド上での死”を経験したことが無いが、かつて姉がそれを経験した時、胃がひっくり返りそうな吐き気と生理の時にですら感じた事の無い下腹部の鈍痛に襲われ保健室に行かざるを得なくなったと言う。これは個人個人によって違うらしいが、一概に誰もが「出来れば二度と体験したくない」と口を揃える程のものだ、気軽に死ねる代物ではない。
「お姉ちゃんを置いて行くなんて、出来るはず無いよ!!」
――何よりも、自分を逃がすために仮想空間とは言え大切な人を見殺しにしてしまうという行為そのものが許せなかった。システムこそ姉の死を黙殺し監視を続けるが、自分は姉の死に対し戦意を維持できるはずがない。
「ありがとう。でも、みあちゃんを死なせるわけにはいかないの……絶対に」
そんな妹の願いを知ってか知らずか、姉は安心させるように穏やかな笑顔を浮かべつつも、強い口調で迫った。睨みつける勢いの金色の瞳に思わずたじろぐ。まさに有無を言わさぬ態度だが、それに対しての抵抗は増えるばかりだ。
「お姉ちゃん……!」
もうひとつ、その場を離れるわけにはいかない理由があった。それは、自分が何故この戦場に立っているのか……更に言えば、姉の隣にいるのかと言う根本的な部分。
「みあちゃんは、おねえちゃんが守るから」
そう言って、傷だらけの姉は血が滴る手で杖を握りしめて障壁の向こうを睨む。そんな健気な姉に対し、妹は拳を強く握りしめる。ぎりっと奥歯が軋み、視界が滲む。
(今度は私がお姉ちゃんを守るって、決めたのに……!)
幼少のころから受けていた姉からの庇護。この学園に入って強くなって、今度は自分が姉を守ると意気込んでいたはずなのに――これでは、入学前と何一つ変わらないではないか!!
びし、と、罅が入る乾いた音。言わずもがな、障壁の効果が切れ始めたのだ。逃げる為の時間が奪われていく。猛攻はいまだに続いており、止む気配が無い。
(……私は、逃げることしかできないの……?)
情けなくなって目を閉じると、優しい空色と、柔らかな桜色と、眩しいまでの白が飛び込んできた。
まるで走馬灯の始まりのようにフラッシュバックする過去の記憶、その瞼の裏に見えたのは、桜吹雪の舞う校門――入学式――