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「と、とにかく、立ち話も何ですから!」
焦ったように場の雰囲気を取り繕うスタッフの努力を、律は意に介す素振りも見せない。相変わらず、自分のペースで周囲を見回している。
まだ撮影は中途で、セットの入れ替えをしている最中だった。そのセットの様子から察するに、この後、どんな段取りで撮影をするのか、何となく見当がついた。
撮影スタジオに亜紀と奈央がいることからして、何人かファンを入れて撮影をするのだろう。そうとしか考えられなかった。
瞬時にそれを理解した律は、思いついたことをスタッフに質問した。
「ファン協力、何人入れるの?」
「……一応、30名ほどの予定です。抽選する羽目になりましたよ」
一瞬、面食らったものの、それに簡潔に答えるスタッフ。その答えを聞いて、律は自分の予想が間違っていなかったことを確認する。
「へえ、けっこういるもんだな」
本気で感心して、律は感嘆の感想を述べる。
そのプロジェクトの事実はどうあれ、健太は無名の新人だ。他のアーティストのバックでファンを掴んでいたわけではないし、もちろん、デビューすることはまだ大々的に公表してはいない。しかも、それが《DARK BLUE》の曲を提供してもらって、という、ある意味では羨ましい強運に恵まれてのことだとは、関係者しか知らない事実だろう。
だが、それでも確実にファンがいるのだ。デビュー曲の撮影協力に抽選が必要なんてことは、無名の新人にしては随分と運のいいできごとに違いない。
「少しずつ、露出はしていますからね。情報を掴むのが速い子は、行動も速いですよ。一部で写真だけ公開した程度なんですけど、かなり事務所に問い合わせがあったらしいですし。ほとんど《DARK BLUE》のファンの口コミでしょうけどね」
「……ふうん、ま、そりゃ結構なことで。それと、あの曲、本気で使うの?」
うんざりした口調に戻った律に、スタッフは苦笑するしかない。
気に入らないのはわかるが、もはやどうしようもないことくらいはわかるだろうに、と思ったのだ。
「……使わないで、どうします? あれしかないんです。まあ、あれだけのルックスなら、多少の歌唱力の低さはカバーできますよ」
「あと何日、余裕ある?」
懸命にフォローするスタッフの話を、やっぱり聞いちゃいない律は、自分の中で完結している論理だけで話を進める。
「は?」
案の定、彼はその意味が掴めずに聞き返して来た。それに、律は苛々とかぶりを振る。
「……だから! 最後のトラックダウンを遅らせるのは、どれだけできるかって聞いてんだよ!」
「……いえ、あれは、もう、あの状態で完成……」
「俺が許せるか、あんなの。《DARK BLUE》の名前に泥塗る気か!?」
「そ、そういうわけじゃないですけど!」
ゴリ押し理不尽大王、相川律に、スタッフは半泣きである。彼らのチーフ・マネージャーを務める橘が、いつも胃薬とお友だちである理由を、その身で思い知らされた気がした。
「だったら、ギリギリまで遅らせろ。ってか、俺が決めた。遅らせる」
「おいおい、何をやる気だ、律?」
それなりに予想はついているような気がするものの、把握しきれない海斗は、からかうように問いかけた。
律のやりそうなことには、大体予想がつく。それでも、時折突拍子もないことを言い出すから侮れない。次のツアーはミュージカル仕立てでやろうとか、ワケのわからないことを言い出した時を思い出して、海斗は嘆息する。
あの時はひどい目にあったなぁ、と自らの過去を嘆いてしまう。
ミュージカル仕立てなのはいい。それはそれで、斬新な試みで、面白かったと言えば面白かった。だが、あのツアーで無理やり着せられたフリフリリボンの王子さま衣装は、海斗の人生最大の汚点と言えば汚点である。
……ファンは、ものすごく喜んでいたようだが。
とは言え、そんな律だからこそ、ファンもついて来るのだ。そして、海斗も、文句を言いつつも付き合ってしまうのである。
「……特訓」
「はあ?」
身構えていた海斗だったが、意外とまともな答えが返って来たことに、ついつい驚いてしまった。そういう意味では、自分がかなり律に毒されていることを実感して、苦笑を浮かべる。
何にしても、このまますんなりデビューさせてやる気がなくなったらしいことだけは、確かのようだった。
「プロジェクト、とりあえず、全部中止だよ。第一、こいつがマトモに歌を歌えるようにならなきゃ、勝負になんねえだろうが」
「……まあ、そりゃ、そうだけど……」
自分勝手な理屈を振り回して、律は力説する。
それならそれで、勝負としてはこっちが有利なんだから放っておけばいいんじゃ、と海斗は思うが、どうやら律の考えとしては違うらしい。
あくまでも、同じ位置に立った上で勝負を受ける。それが、彼なりの考え方らしい。その姿勢は、見上げたものかもしれない。
とは言え、そのとばっちりを受ける方はたまったものではない。
それなりの金をかけてこのプロジェクトを進めているのだから、簡単に中止できるはずがない。それくらい、律にだってわかっているだろうに。
「律、あんまり無茶言うなって……」
罪のないスタッフが泣きそうだよ、と耳打ちをする。だが、律は鬱陶しそうにそちらに視線を滑らせただけで、軽く舌打ちした。
「だから、スケジュールをギリギリまで遅らせろって言ってるんだろ。でなきゃ、《DARK BLUE》は曲の提供なんかしない。白紙に戻す」
「はあ? おい、お前、本気?」
本気で言っていないはずもないだろうが、一応、聞いてはみる。今までの経験からすれば、無駄だろうけど。
当然のごとく、律は即答だ。
「当たり前だ。俺の大事な歌を、電波に歌わせられるか」
「で、電波?」
それはあんまりでしょう、と、言いかけて、海斗は口をつぐむ。ここで口答えをしたら、後で何をされるかわからない。それに、似たような感想を抱いたのは海斗だって同罪だった。
「ったく、素材はいいってのに、何だってメロディと重なるとああなるかね? 信じられねえな」
健太の声質は、確かに聞き心地のいいものだと思ったのだ。
だから、磨けば光ると思った。それが、あんなことになるとは、想像もしなかった。
予想外と言うか、予想を裏切りやがってこの野郎、である。それが本人にとっては理不尽なものだろうと、律には通用しない。
「お前さ、亜紀ちゃんと付き合いたいとか、大それたこと考えているんだったら、少しは俺に協力しようって気になったらどうだ?」
とっくのとうに本人を無視して話を進めていた律は、そこに至って初めて健太を振り向いた。用心深く、彼女たちがこちらの会話の内容には気付いていないことを、さり気なく確認している辺りは、さすがと言うべきか。
健太は、ムッとしたように律を振り仰ぐ。だが、その瞳には覇気がない。
さすがに彼自身も、あの歌のできには納得できなかったのかもしれない。と、海斗は分析する。
「……じゃあ、どうすればいいんだ」
律の理不尽極まりない要求に、健太は低い声で問いかける。
「特訓だっつってんだろ。少なくとも、俺が納得できるくらいのヴォイス・トレーニングはしてやる。仲良くしようなー、健太?」
「敵に塩を送るの? 寛大だねぇ」
「はん、今の状態じゃ、敵にもならねえだろ。敵になるまでなら、面倒見てやってもいいよ。あー、俺ってば、なんっていい先輩! 感激しちゃうね!」
海斗のからかいを一言であっさりと片付け、自画自賛の台詞を傍若無人に振りまいて、律は責任者と話をつけるべく、意気揚々と歩いて行った。
取り残された健太は、呆然としてその後ろ姿を見送っている。
……気の毒だが、これも、ひとつの試練だ。耐えろよ、少年。
所詮他人事にしか過ぎない海斗は、心の中で、これから健太に降りかかるであろう厄介なことを想像し、ご愁傷様、と、つぶやく。律がああなってしまったら、止める術はないし、誰も止めようとは思わないだろう。
世に出すからには、クオリティの高いものを、と願うのは、誰でも同じことだ。
そして、それは海斗とて変わらない。
健太をスタッフに任せるようにして踵を返し、海斗はスタジオの隅で座り込んでいる亜紀と奈央の所に戻った。
「……律、何してるの? 何かトラブル?」
「んー、何か、歌録りからやり直しさせるらしいよ」
「……間に合うの?」
「間に合わせるだろ。ギリギリまで、遅らせるさ」
「健太、大丈夫かなぁ……」
不安げに瞳を曇らせた亜紀に、奈央はカチンと来て言い返す。
「あのね、亜紀。あいつじゃなくて、律の方を心配しなさいよ! 律、ずっとスタジオに籠もりっぱなしだったんだから! それなのに、あいつの面倒まで見るって言ってるのよ!? 律の負担の方が大きいに決まってるじゃない!」
「……そっか。それもそうだよね」
あっさりと奈央の言葉にうなずいた亜紀は、やっぱり、健太の気持ちなんて欠片も気付いていないのかもしれない。
それが、気の毒なような、楽しいような。
「大体、あいつをアイドルとして売ろうってする方が間違ってるわよ……! ねえ、海斗、そう思わない?」
「……まあ、それは社長の決めたことだしねぇ」
「絶対、成功なんかさせてやんないんだから!」
亜紀には聞こえないように、低い声で吐き出すように叫ぶ奈央。彼女と向き合っていた海斗には、それがしっかり聞こえてしまった。だが、あえて聞こえなかったふりをした。
律より何より、健太にとっての一番厄介な敵は、この奈央なのではないかと、海斗は思う。たとえ、律との勝負が彼の勝利で終わったのだとしても、奈央を乗り越えなければ先には進めない。
果たして、彼はそれを理解しているのだろうか。
「……ま、いいか。それはそれで、楽しいしね」
律があれだけ熱中しているのも、珍しいことだし。
口ではあれこれ言いながらも、海斗としては、基本的に律が楽しければ何でもいいのだ。そのノリで今までを乗り切って来たのだから、それも、間違っているわけではないだろう。
せいぜい、健太には律を楽しませてもらおう。律の玩具になってもらおう。
その間に、自分は彼女たちと存分に遊ばせてもらうことにして。
「亜紀ちゃんさー、今度、俺たちの撮影にも差し入れ持って遊びに来てね? 律、きっと喜ぶよ」
「えっ、行っていいんですか?」
「おっけーおっけー。ただし、健太にはナイショな? これ、お約束」
「ずるーい、亜紀だけ! ねえ、海斗。私も行く! 行っていい!?」
「亜紀ちゃんを誘ったってことは、君もセットでしょ。わかってる?」
拗ねたように口を尖らせた奈央と、嬉しそうにはにかむ亜紀。
目の保養の美少女二人をお相手に、海斗はちょっぴり満足だった。
健太が追いついて来ようとしているのは、大いに結構。だけど、それもまだまだ先のこと。
彼はまだ、スタート・ラインに立ったばかりなのだから。
間が空いてしまいました。
ここで一区切りして、また次の話へ続きます。健太の受難は続く。




