第7話 怒り
珠梨たちは三人連れ立って桔梗寮の部屋へ向かっていた。
廊下ですれ違うのは授業の準備のためにせっせと魔法界にありそうな怪しげな荷物を運ぶ先生や、あくびをしながら食堂に向かう生徒だけだった。
大理石の壁を正方形にくりぬいて開け放した窓からは、朝の眩しい光が差し込んでいる。初夏の空はどこまでも澄み渡っていて気持ちがいい。
今頃もといた高校のみんなは衣替えしているんだろうな。
珠梨はふと思った。
人間界の高校に入学したばかりのあたしは友達を上手く作れなくて、幼なじみの実香とばかり一緒にいた。こうして三人で、しかも男子とも歩いているなんて、信じられない。
この世界にいるあたしは前と少し違う。自発的ではなくて、周りがそうさせるんだけど。なんだかもやもやする。魔法の勉強を頑張ろうと思う自分と、周りについていくだけしかできない自分。なんだか、やるせない。
もやもやした気持ちでいると、いきなり蓮は珠梨に振り向いて、
「珠梨、いい天気だし気分もいいだろ。魔法ってのは技術も大事だけど、気持ちももっと大事なんだ。気分が悪いと使える魔法も使えなくなる」
ちょっと後ろ向きな気持ちになっていた珠梨ははっとして蓮を見た。魔法は呪文を唱えれば、思うように使えると思っていた。
「そうなんだ……」
蓮は頷いて、
「今の珠梨は暗い顔してる。せっかく魔法界に住めるようになったんだから、思う存分楽しく魔法使えよ」
栞は蓮の言葉を聞いて蓮を咎めるような顔をした。
珠梨は柴村先生や蓮を親切だと思っていた。先生は珠梨を魔法界に住めるよう一日で手配してくれたし、蓮もすぐ打ち解けてくれた。
しかし、この世界の男性は女性の気持ちなんてどうでもいいのだろうか?親切にしてくれることにはもちろん感謝している。だけど少し一方的ではないか?
しかも魔法を使ったことがない自分が初めて魔法を学ぶ場所が、魔法の水準が高いこの学園なんて。
魔法界に来てから周りにされるがままだった珠梨は、急にたくさんのことに不満を持ち始めた。どうしてこの一週間不満もなく過ごしていたのか。
こっちは唯一の友達とも離れてしまったというのに!
せっかく魔法界に住めるようになったんだから思う存分楽しめ、だなんてよくもそんなこと言える……
蓮は急に黙った珠梨を見て、不思議に思ったようだがまさか珠梨が怒りとやるせなさを感じているなど露ほども思わなかった。
「なあ、どうしたんだよ?」
栞はきっ、と蓮を鋭くにらむ。
「蓮、黙って!」
栞は珠梨を心配するように顔を覗いた。珠梨の顔が青ざめているのが栞にはわかり、いっそう気の毒に思った。
「ねえ、珠梨?さっきは早く魔法を使わせたいなんて言ってごめんなさい。珠梨は不安だったのに……なにも考えてなかった」
栞が優しく話しかけてくれるだけで、気持ちが落ち着いた。
感情に身を任せるのはよくない。珠梨が苦手だった人間界の派手な子達は、いつも感情を露わにしていた。そのことを自分は嫌悪していたではないか。今の自分は子供っぽくて恥ずかしい。
「うん……ありがとう。ちょっと、いらいらしてただけ。大丈夫」
珠梨はまだ顔が青ざめていたがなんとか笑おうとしていた。栞はほっとした。鈍感な蓮もようやく珠梨の気持ちが分かり、すまなさそうな顔をする。
気まずい沈黙が流れる。珠梨はこの沈黙の原因が自分だと分かっていたので、今度こそにっこり笑った。
「ね、早く寮に案内して?」
その言葉に栞と蓮ははっとしたように顔を見合わせた。やがて口を開いたのは蓮だった。
「ああ、行こう……」
さすがに楽しくおしゃべりしながら歩けず、黙ったまま寮に到着した。寮の黒い扉を開くとそこは十畳ほどの広さで、まだ誰もいなかった。左側に男子寮、右側に女子寮の扉があり部屋の真ん中にはなにも無い。あるのは絨毯とクッションだけ。部屋の天井には大きく桔梗の花が描かれている。
「ここが桔梗寮。たぶん珠梨の荷物は先生が魔法で移動してあるはずだわ」
栞がそう言うと女子寮の部屋のドアを開く。女子寮は初等部、中等部、高等部に部屋が分かれているようで、更に三つのドアがあった。
「私達は高等部だから、この一番右端の部屋なの」
高等部のドアを開くと机は窓に九つ、くっつくようにして横一列に並んでいた。窓からの白い光が机を照らしている。
また三段ベッドが右端に一つある。そして左端には……
「あ、珠梨のベッドと机がある。机は九つ、ベッドは四段に増えたのね……いつの間に?」
九つ目の新しい机には珠梨の教科書、ノートがあった。
「わあ、準備いいわね。珠梨よかったわねー」
「うん、助かる。あたしそういえばノートも何も持ってなかったんだ」
栞がふんふんと頷く一方、珠梨は部屋を見回していた。ここが自分の新しい部屋。ちょっとどきどきする。
「さ、珠梨。杖持った?あとは……ノートだけでいいわね」
珠梨は杖とノートを抱きしめるように持つ。それを確認した栞は微笑んで頷いた。
「じゃ行きましょ」
部屋を出ると蓮も道具を持って待っていた。しかし、蓮の隣にはもう一人見慣れない人がいる。髪はちょっと茶髪で、瞳の色素は薄い。蓮より背が高くひょろりとしていた。珠梨はこんな人クラスにいたなあ、とぼんやり思った。栞は何気なく挨拶する。
「大和、おはよう。私の隣にいるのは珠梨。人間界から来た子なの」
大和は柔和な顔で珠梨を見た。
「俺は望月大和。よろしくね」
「よ、よろしく」
蓮は男子にしては小柄な方だし、顔つきも中学生とそんなに変わらないが、大和は大人っぽくて、たぶん人間界の女子が見たら騒ぐだろうな、と思った。あまり見た目で人を判断するのは好きでない珠梨だが、好青年だと思った。
大和は時計を見て、
「そろそろ教室に行かないと。食堂にいた連中も戻ってきてる」
栞、蓮も相槌をうつ。
「そうね。みんなで行きましょ」
「だなー」
そうして四人は部屋を出たのだった。