第4話 宝華魔術学園へ
珠梨に魔力が宿っていると発覚してから2週間。珠梨が思っていた以上に、転入は大変だった。
施設の院長さんに書類へ押印してもらい、荷物をまとめ、魔法界の基礎知識を身につけ……他にもたくさん。
特に一番大変だったのは実香との別れだった。子供みたいに泣き続けるものだから、珠梨の涙などどこかに行ってしまった。ティッシュの箱を差し出し、よしよしと母親のように背中をさするばかりだった。
不思議なことに、育ての親である院長さんとの別れよりも、実香との別れの方が身を切るように辛かった。
手紙を毎週必ず書くとお互い約束して、魔法界へのゲート入り口で別れたのだった。
そんなことがあり、心身共に疲労していた。2週間がこんなにめまぐるしく過ぎたことはない。
そして今、珠梨は柴村先生と霧深い森の中を歩いている。とても静かで、どこからか水の流れる音が微かに聞こえる。
「どう、魔法界の住み心地は?」
柴村が珠梨に尋ねた。
「そうですね。あんまりあたしがいた所と変わらないです」
ゲートをくぐった先にどんなものが待ち受けているのだろうと思いきや、人間界と同じようにビルやデパートなどがあり、着ているものも大差なかった。ただやはり髪色は様々で少し目がチカチカした。
最大の違いと言えばあちこちで魔法が使われ、ふわふわ宙に浮かぶ人が数人いることだったが、そのことを言うのも面倒なほど疲れていたので、一言で片付けた。
「良かった。じゃあこれからの寮生活も大丈夫だね」
そう、今日から珠梨はようやく宝華魔術学園に編入し、寮生活を始める。
「ただ、ちゃんと魔法を使えるか心配です……」
それが一番問題だ。もし、あまりにも出来が悪くて退学させられたら? 他の生徒も馬鹿にするだろう。
「学園長先生に協力をお願いしてるし、補習もちゃんとあるから大丈夫だよ」
珠梨は頷いた。出来るだけ補習は受けたくなかったので、絶対人並みに魔法を使えるようになろうと決心した。
やがて暗い森がひらけて、気持ちいい陽光が二人を包んだ。
「さあ、着いたよ。ここが宝華魔術学園」
「あ、ここが……綺麗……」
珠梨には学園がどこかのお嬢様のお屋敷に見えた。門は黒い鉄格子で、奥にはクラシカルな造りの大きなお屋敷が建っている。
門につけられている真鍮の札には「宝華魔術学園」と彫られている。とうとう来てしまった。変な汗が手に滲む。
それでもお屋敷、いや校舎の美しさに見とれていると、突然門が両側に開いた。
「わっ!?」
珠梨は驚いて思わずのけぞった。先生は珠梨が驚く様子を見てくすくす笑った。
「さ、入ろう。学園長先生が君を待っている」
「は、はい」
二人は大きな玄関へと入って行った。
「君があの例外の女の子かね」
応接室に入ってすぐ言われた一言だ。
例外だなんて。好きでこんなことになったんじゃない、と心で珠梨は反論する。
来洲学園長先生は、見た目は普通のお爺さんで、ごつごつとした顔に円らな瞳が印象的だ。
髪の毛があった頃は一体何色の髪を生やしていたのだろう、と珠梨は失礼ながら思った。
応接室は来訪者と会って話す場所だからか簡素だったが、綺麗に掃除され、小奇麗だった。
「柴村がこの学園に入れるだけあるのう?」
楽しそうに目を細めて笑った。
「ここは宮野さんに丁度いい所だと思ったので」
珠梨は期待されているようだ。今まで面倒なことを避けてきた珠梨がほとんど背負ったことのないもの。
学園長先生は珠梨の目をじっと見据え言った。
「じゃあ、明日から授業に参加することじゃ。今日は客用の部屋へ案内するから」
「はい」
珠梨が立ち上がろうとすると、柴村先生が思い出したように口を挟んだ。
「学園長先生、杖を渡さないと」
学園長先生は目を更にまん丸にしてふんふんと頷いた。
「そうじゃった、うむ、さあこれをお取り」
学園長先生のしわだらけの手には前に見たのと似ている10センチほどの細い杖があった。珠梨はおそるおそる受け取る。
「これは君のような魔術初心者が使うのに丁度いい杖じゃ。初めはこれを使えばよい」
杖は銀色で、珠梨が今まで見た素材だとやはり金属に近かった。先端には緑の球体がついている。
学園長先生は杖をまじまじと見つめる珠梨を見て微笑み、
「さ、今日は明日の準備をして、夕食を食べて眠りなさい。明日からきっと忙しくなるからしっかり眠らないと」
「あ、ありがとうございます。失礼しました」
「じゃ、こっちだよ」
大理石の床をコツコツと柴村先生が歩いていく。そのとき、右側の大きな扉が重い音をたてて開かれ、制服を着た生徒がぞろぞろと出てきた。数人の男女の生徒が先生に話しかけようとする。珠梨は思わず先生の長身に隠れた。
「先生お久しぶりです! 人間界視察どうでした?」
「まあ、見たものはいつもと同じだよ。人間界の学校の様子。ただね? 新しい発見があったんだ。――君らの新しい仲間を連れてきたよ」
生徒達は顔を見合わせ、怪訝そうな顔をする。
「え? ……あ、もしかして後ろの?」
先生の背からはみ出た珠梨に気づいたようだ。もう隠れられない。珠梨は腹を決めた。思い切って先生の前にずいと出る。
「あ、あのっ。人間界から来た宮野珠梨です。よろしくお願いします……」
すると、みんな一斉にどよめく。柴村先生がえへん、と咳払いをするとどよめきが収まった。
「みんないろいろ不思議に思うかもしれないけど、明日の集会で説明するから。さ、食堂にいって」
生徒達は他にも言いたいことがありそうだったが、しぶしぶ歩き出し、ときどき珠梨を振り返りながら食堂へと向かっていった。珠梨は呆然として立ち尽くす。
先生は珠梨に何度見たか分からない微笑みを浮かべ、
「宮野さん、大変だと思うけどみんないい子だから。ちゃんと仲良くなれるよ」
「はあ……」
おもわずため息をつく。
その後部屋へ案内してもらって、先生と別れた。
部屋は客用だけあって広くて快適だった。テーブルには夕食が置いてある。湯気をたてて美味しそうな香りが漂っている。生徒達と食堂で会って気まずい思いをしないように、という配慮だろうか。
嬉しいはずなのに食欲がわかず、ベッドにごろんとあおむけになった。天井の小さなシャンデリアがかすんで見える。学園までの旅の疲れがどっと押し寄せてきた。
(明日から……授業、かぁ)
ふあぁと大きなあくびを1つして珠梨は眠ってしまったのだった。
同じ頃、珠梨を見た生徒が寮で騒いでいることを知らずに――