第3話 合意
放課後、珠梨は校長室の柔らかいソファに腰掛けていた。校長先生と柴村先生は珠梨の向かいに座って微笑んでいる。
珠梨はこの様子だと悪い内容の話ではないだろうと安心した。しかし、次の瞬間期待は打ち砕かれてしまった。
「さて、宮野さん。突然だけど、君は魔力を持っているから魔法界で暮らす必要があるんだ」
珠梨は耳を疑った。先生の言葉が頭の中で反響する。何かの冗談だと思った。
珠梨の呆れ顔を見て、柴村先生は苦笑した。
「信じられないだろうけどそうなんだよ。証拠に、これを」
そう言って鞄から取り出したのは、10センチほどの長さの杖だった。銀色で、先端には珠梨の目が正しければ青い宝石が付いている。
「持ってごらん」
言われるままおそるおそる持つと、杖の触感は冷たく金属のようだった。持ってみたものの先生の意図することが分からず、珠梨があのう、と口を開きかけたその時――
先端の宝石が青く輝きだした。
「えっ」
光は淡く輝き続け、校長室は青い光で満たされていった。
杖の輝きを見て先生は満足したように頷き、宝石に手をかざし光を消した。珠梨はただ口を半開きにして杖と先生を交互に見るだけだった。先生はくすりと微笑み、
「やっぱり。ああ、これは冗談じゃないからね。魔力のない校長先生が持っても何も起きないよ」
校長先生も持ってみたが何も起こらない。珠梨はまとまらない頭をなんとか整理し、だんだん自分が立っている状況が呑み込めてきた。
「私はなぜか魔力を持っているから、この世界では暮らせないということ……ですか」
先生は深く頷く。
「そう。君の魔力はだいぶ強力だ。ぜひ僕の勤める魔術学園に転入しないかい?学園には寮があるから住むところには困らないし」
「転入、って……ええと、あの」
突然の誘いに上手く返事できず、うつむいてしまう。なんとしても珠梨に魔術を学んでほしいという風に先生は身を乗り出す。
「宮野さん、そこの学園は魔力の研究にも力を入れている。君がなぜ魔力を持っているのか気になるし、研究もかねて」
顔を上げて先生を見るとお願いします、といいたげな表情をしていた。
「あの、あたし今更魔法界で暮らしていいんですか?」
先生の表情が途端に明るくなる。
「うん、さっき政府に君についての資料を送ったし、許可が下り次第あっちに住めるよ」
今日出会ったばかりなのにもうそんな手配が済んでいることに驚いた。今日一日で自分がとんでもない存在になってしまったようだ。
口を挟む機会が無かった校長先生は、コホンと軽く咳払いをして珠梨に話しかける。
「君、確か施設育ちだったね?」
「そうです」
珠梨は赤ちゃんのときみなしごを育てる施設の玄関に置き去りにされ、そこで16年間育ってきた。その施設ともお別れになってしまう。しかし、施設の院長さんと今まで上手くやって来れなかったので、寂しいかといえば実はそうでもなかった。
「施設の方にもお話しなければね。君が魔術学園に入るなら明日にでも伺いたいのだが」
珠梨は決断を迫られていた。ふう、と一息つく。
一瞬、人付き合いの下手な珠梨の傍にずっといてくれた、天真爛漫な実香の顔が大きく浮かんで消えた――
「わかりました。私、転入します」
もう後戻りできない。実香とも会えなくなる。知人がいない地でゼロからのスタートを切る……
珠梨に言いようのない不安がさざなみのように押し寄せてきた。
珠梨の不安を表情から感じ取ったのか、先生から先ほどの明るい表情が消えて、少し申し訳無さそうに眉を寄せハの字にした。
「ありがとう。いきなり申し訳ないとは思っていたんだけど、止められなくて……君の気持ちを考えることを忘れていたよ」
「は、いえ、そんなことないです」
珠梨はこの先生を前にすると、どうもしどろもどろになってしまうのだった。あまりにも整った顔をしているからだろうか、至近距離で顔をみるのは辛い。
そんな気も知らず先生はまた微笑みながら、
「君は魔術師になれる。行こう、魔法界へ」
珠梨の気持ちを確かめるようにそっと呟いた。
夕暮れの眩しい朱色が校長室に差し込んでいる。
夕陽に照らされながら、珠梨はただ静かにはい、と返事をした。