第2話、運命の面接と、宙に浮くカツラ
第2話。運命の最終面接と、宙に浮くカツラ
「鈴木拓海くん。君にとって、我が社の理念である『挑戦』とは何ですか?」
御影石の立派な机の向こう。
すり鉢状の役員面接室には、威圧感を放つ3人の面接官が並んでいた。
中央に座るのは、この会社の最高権力者である社長だ。
威厳に満ちた表情をしているが、悲しいかな、その頭頂部は完全なる砂漠地帯であり、それを隠すための高級な「カツラ」が、緊張のせいか心なしか左に3度ほど傾いていた。
(集中しろ俺。ここが人生の正念場だ……!)拓海が唾を飲み込み、背筋を伸ばしたその時。
背後の壁に掛けられたモダンなデザインの時計から、聞き覚えのある不吉な「声」が鼓膜を震わせた。
『おい、拓海。聞こえるか? テスト、テスト。マイクの調子は良好っと』
(……は?)
拓海は目玉だけをギョッと動かして後ろを振り返る。
モダンな掛け時計の文字盤から、シルクハットをかぶった時次郎が、上半身だけをニョキッと乗り出しているではないか。
(なんでここにいるんだよ時さん!!)
声に出せない拓海は、必死の形相で
「帰れ!」
とジェスチャーを送る。
しかし、時次郎はフッと男前に微笑み、親指を立てた。
『安心しろ、相棒。君の曾おじいさんとの約束を果たす時が来た。君がここで立ち止まらないよう、僕が時間を止めて、面接官のパソコンのカンペを全部「拓海くん、即採用」に書き換えてあげるからね!』
(余計なことすんな!!)
拓海の必死の拒絶も虚しく、時次郎が指をパチンと鳴らした。
――ピシィィィン。空気の振動が止まり、面接室のすべてが静止する。
社長のネクタイの揺れも、隣の面接官がめくろうとした書類の手も、完全にフリーズした。
「よし、作戦開始だ!」
時計から飛び出してきた時次郎が、我が物顔で社長のデスクへ歩いていく。
だが、その歩みが、3歩目でピタリと止まった。
ギュルルルルルルルルルルルウウウウウッ!!!
静寂の世界に、地響きのような腹の虫の音が鳴り渡る。
「……あ。拓海、僕、朝ごはん食べる
の忘れてた」
「この、大バカ野郎がァァァ!!!」
拓海はついに叫んだ。
時次郎の顔面はみるみる土気色になり、その場でカチコチに凝固し始める。
世界の時間が完全にロックされた。
「おい時さん! 嘘だろ、ここで止まるな! マヨネーズは!? 今日は持ってないぞ!」
「マ、マヨ……は、ない……。でも、そこに……」
時次郎が濁った目で指差したのは、社長のデスクの上に置かれた、お中元とおぼしき高級な『水ようかん』の詰め合わせだった。
「あれ、あれを僕の口に……」
「わかった、今行く!」
拓海は社長のデスクへ飛びついた。
しかし、時間が止まっているため、水ようかんのフィルムが鉄板のように硬くて剥がれない。
「くそっ、剥がれろよ!」
拓海は必死に爪を立て、渾身の力でフィルムを毟り取った。
その反動で、拓海の肘が、すぐ横に座っていた社長の肩にドゴォッ!と激突した。
――その瞬間、信じられない光景が起きた。
衝撃によって、社長の頭部に鎮座していた高級カツラが、フワリと浮き上がったのだ。
時間は止まっている。
そのため、カツラは社長の頭上およそ15センチの空中において、まるでUFOのように「完全静止」してしまった。
「……あ」
拓海は息を呑んだ。
社長の頭はツルツル。
その上に、不自然に浮かぶ毛髪の塊。
もし、このまま時間を動かせば、カツラは社長の顔面に真っ逆さまに落下するか、あるいは床に落ちて大惨事になる。
一発で不採用どころか、国家出禁レベルの無礼だ。
「おい時さん! カツラが浮いた! 社長のカツラが浮いたぞ!!」
「はやく……ようかん……死ぬ……」
時次郎の体から、薄っすらと光の粒子が抜け始め、輪郭が透けていく。
拓海はハッとした。時次郎の時計のネジが、本当に限界を迎えているのだ。
「時さん、お前……体が!」
「……ごめんね、拓海。君の時間を、応援しに来たのにさ。やっぱり、僕は最後までポンコツの厄介者だ……」
時次郎は消えかけの笑みを浮かべる。
拓海は歯を食いしばり、水ようかんをスプーンで掬うと、時次郎の口へ乱暴にねじ込んだ。
「うるせえ! お前は厄介者だけど、俺の友達だろ! 飲み込め、時次郎!!」
喉を無理やり撫で下ろすと、ようかんが胃に落ちた。
ピキィィン!と、時次郎の瞳に一瞬だけ強い光が戻る。
「……拓海、走れ!!」
時次郎が最後の力を振り絞り、指を鳴らした。
カチ、カチ、カチ!と、止まっていた世界の歯車が一気に回り出す。
それと同時に、空中に浮いていたカツラが、重力に従って落下を開始した。
「うおおおおおおお!!!」
拓海は叫みながら、社長のデスクをスライディングで乗り越えた。
面接官たちが
「な、何事かね!?」
と目を見開く。
落下するカツラ。
その真下に、拓海は自らの両手を飛び込ませた。
チリ紙一枚の差で、カツラをキャッチ。
そのままの勢いで、社長のツルツルな頭頂部へと、寸分の狂いもなくスッと「着陸」させた。
「……え?」
社長が呆然と拓海を見る。
拓海は膝をついたまま、社長の耳元で、誰にも聞こえない小声で囁いた。
「社長。……左に3度傾いていたのを、センターに修正しておきました。お命、お救いいたします」
社長はハッと自分の頭に手を当て、完璧な位置に収まった相棒の感触を確かめると、深く、静かに頷いた。
「……素晴らしい危機管理能力だ。鈴木くん」
「やったぜ拓海!」
と、後ろで時次郎の声が聞こえた。
しかし、その声はひどく掠れていた。
拓海が振り返ると、モダンな掛け時計の前に、半透明になった時次郎が立っていた。
衣服の端から、光の粒となって、静かに空気中に溶けていく。
面接官たちには、彼の姿は見えていない。
『楽しかったよ、拓海。立ち止まってた君の時間が、ほら、こんなに速く動き出した』
時次郎は満足そうに微笑み、自分のシルクハットを胸に当てて、お辞儀をした。
「待てよ、時さん! おい、まだポテチ残ってんだぞ! マヨネーズも、一本丸ごと奢ってやるから!」
拓海の目から、堪えていた涙がポロポロと溢れ落ちる。
『曾おじいさんとの約束、完了。……あーあ、最後に君の内定、見たかったな。バイバイ、僕の最高の友達』
時計の秒針が、ひときわ大きく
「チーン」
と鳴り響いた。
次の瞬間、時次郎の姿はどこにもなかった
一週間後。
拓海の元に、一通の封筒が届いた。
結果は、見事『内定』。
拓海は実家の物置へと走り、あの大きな古時計の前に立った。
ネジは完全に巻ききられ、もうピクリとも動かない。
拓海は内定通知書を時計に見せるように掲げ、フッと笑った。
「勝ったぞ、時さん。俺の時間、もう止まらないからな」
その時、拓海のポケットでスマホがぶるりと震えた。
画面を開くと、正体不明のアドレスから、一本の動画が届いている。
再生すると、画面に映ったのは、現代の『カツラ専門店のサロン』だった。
そこには、ふかふかの椅子に座り、最先端のフサフサなウィッグをセットしてもらって「ヒャッホーウ!」と大はしゃぎしている時次郎の姿が…。
『拓海〜! あの後、社長のカツラの執念に引っ張られて、僕のネジが奇跡的にリチャージされたよ! 今度社長に、僕を専属のヘアアドバイザーとして雇うように言っといて! じゃあ、今から焼肉行ってきまーす!』
動画の中で、時次郎はお腹を鳴らし、カメラに向かって豪快に指をパチンと鳴らす。
スマホの画面がフリーズした。
……いや、よく見ると、拓海の部屋のカーテンの揺れも止まっている。
「……おい!! 焼肉食う前に、また時間止めてんじゃねえよ!!」
拓海はマヨネーズをひっつかみ、全力で部屋を飛び出した。
二人のドタバタな時間は、これからも続いていく。




