序章
メシを食うことは作業であった。
大学生までは食べることが大好きで、食事でストレスを発散するタイプだったが、就職してから8年。
食べることに喜びを感じなくなった。
月日が経てば経つほど、色んなことが面倒に思えたのだ。
食事はカップ麺を深夜に食べて、終わり。朝は面倒だから食べなかった。昼は仕事が忙しくて、食べる暇がない。昼休みなんてものはなかった。
いっそ病気にでもなれば、仕事へいかなくて済む。
逃げられる。
そんな風に考えつつも、結局、毎日出社していた。体も意外と壊れない。案外、頑丈に出来ている。退職する気も、死ぬ気にもなれず、惰性と絶望の中で毎日を過ごした。
変化は突然起こった。
うだるような暑さの、夏だった。
流通業、倉庫作業の管理者という仕事柄、冷房のない倉庫だ。だから、ありがちな熱中症か、脱水症状か、はたまた無茶な生活による栄養失調か。
どれかはわからない。
だが、ある日突然、経験したことのない耳鳴りと、眩暈によって視界が歪み、平衡感覚を失った。
誰かの声が聞こえた気がした。しかし返事も出来ず、やがて体の感覚も消え、意識がブラックアウトする。
――なんだこれ。体が言うことを聞かない。怖い。痛い、苦しい。
ロクな人生ではなかった。
ブラック企業に所属し、忙しさに追い込まれ、毎日小言をぶつけられる日々。昼休みなし。休日出勤はほぼ毎週。家にいても電話が鳴る。不規則なスケジュール……文句を全部上げようとしたら、キリがない。
それでも、人生ずっとクソだったわけじゃない。
思い出すのは、かつて自分が好きだったこと。
美味い物を食べることであった。
――死ぬ、死ぬ。ああ。どうせこうなるなら、高い肉とか、がっつり食っておけばよかったなぁ。
久しく食欲なんてなかったのに、不思議なもので、恐怖に襲われる死の間際に、そんなことを後悔したのであった。
☆
「……そうか! 俺は、転生者だったのか」
一般家庭の一軒家。そのリビングにて、18歳の高校生、武宮 昴は唐突にそんなことを呟いた。
お米の盛られたお茶碗を片手に、箸を持っている。
机の上には肉と野菜たっぷりの野菜炒め、具がたっぷりの味噌汁、漬物、納豆パックといった献立であった。
対面には母と父もその夕食を食べていたのだが、父が心配げに眉を顰めた。
「え。どうしたんだ、突然。年頃?」
いきなり18歳の息子が「俺は転生者だった」なんて呟くので、気はたしかかと思われるのは、仕方なかった。
武宮は慌てて、首を横に振る。
「な、なんでもない。独り言だ」
(なんでこんなタイミングで記憶が戻るんだ……)
前々から夢で、存在しない記憶を見ることはあった。また、年齢の割に落ち着いている、と言われたこともある。意識下の奥深くで、前世は間違いなく存在していたのだ。だが、はっきりと記憶を思い出し、自身が転生者だと自覚するのは初めてであった。
前世での名前は鈴木 治。
没年30歳という若さだった。
それなのに生の喜びを忘れ、絶望から逃げる勇気も湧かず、死を受け入れてしまう。そんな一生だった。
(とりあえず、あれだ)
野菜炒めの肉を食い、その旨味と共にモチモチのお米を食べた。
(メシを食うって、やっぱ、良いな! お米美味いっ! おいしいって最高!)
毎日、ごはんを食べる。
腹を満たす。
なんでもないことが、最高の幸せなのだと、武宮は学んだ。
☆
転生した世界は、前世とよく似ている。時代もほぼ同じ。日本という国があって、第二次世界大戦など大きな戦争が過去に起きていた。
ほぼ同じ歴史を辿っているものの、全く同じ世界ではなかった。なので、パラレルワールドである可能性が高い。
大きな分岐点は、50年前。異世界へ続く扉「ゲート」が世界中に現れたのだ。
空間に突如として光の歪みが生まれたのである。
ここ日本にも13のゲートが現れた。
そしてゲートを潜り抜けると、広大な大地が広がる異世界へと通じた。
異世界はやがて「フィールド」と名づけられ、フィールドに足を踏み入れた者は「ステータス」、つまり異能者として覚醒した。
フィールドにはダンジョンがあり、モンスターがいて、お宝があった。
未知なる冒険が、そこに待っていた。
やがてフィールドを探検し、様々な資材を持ち帰る「冒険者」と呼ばれる職業が成立した。
武宮 昴の両親も、この「冒険者」だ。
両親の生活は……残業に苦しんだりとか、突然の休日出勤をしたりだとか、昼休みがないだとか、そういったことに苛まれている様子はなかった。
自由に生きて、自由に飯を食って、自由に楽しむ。
武宮の目には、そういう風に映っていた。
というか彼の感覚としては、両親が朝8時ぐらいに出て、夜の6,7時ぐらいで帰ってきている、というルーティンが最高の生活に該当するのだ。
前世は日によるが、繫忙期は深夜の5時に終わって、朝の9時に朝礼が待っていた。
記憶を取り戻す前は、就職と冒険者どちらの進路にするか、迷っていたようだが……転生者の自覚がある今は、即決出来る。
夕ご飯を食べ終えた後、武宮はすぐに両親へ告げた。
「俺、高校卒業したら冒険者になる」
突然の発表であったが、武宮の両親は冒険者ということもあって、反対しなかった。
☆
お隣の家に住む、幼馴染――五十嵐 桃がいる。
桃色の髪をした、可愛い顔をした女の子だ。
前世では素人童貞で、恋愛のれの字もなかったため、ものすごく嬉しい状況であった。
物心ついた時から、一緒であった。両親はお隣さんと仲が良く、その過程で武宮も五十嵐と遊んだりしていた。
ただ、最初から心を開いてくれたわけではない。
五十嵐は超がつくほどの、人見知りであった。
いつも両親の後ろに隠れて、不安げで落ち着きがない。
武宮は時間をかけて、少しずつ五十嵐と仲良くなろうとした。
「五十嵐ちゃん! 俺と一緒に遊ぼう!」
「……」
無言で逃げられた。
「五十嵐ちゃん! 俺と一緒に遊ぼう!」
「……」
無言で逃げられる……を、繰り返す。
だけどやがて、共通で遊んでいたゲームがあって、それを一緒にプレイしたのをきっかけに、少しずつ距離が縮んだ。
しかしそれでも、話しかけると目を逸らされて、返事をしてくれない。
だが、武宮は気にしなかった。会話はいつも武宮がベラベラ喋る、一方通行のものだった。
五十嵐はもう逃げることはしなかったが、首を縦に振るなどの、相槌を打つことすらほとんどなかった。
そんな重度の引っ込み思案な性格だったので、同じ幼稚園に通い始めた時は、予想通りの事態が起きる。
五十嵐は誰とも友達にならず、いつも教室で絵本を読んだりして、1人でいた。同性の女の子にすら、心を開かなかった。
放っておくなんて出来ず、絵本を読む五十嵐に声をかけた。
「絵本、面白いか?」
「……」
いつも通り無視されるだろうな、と思った。
だけどその日は、違った。
「うん。面白いし、可愛い……」
「おっ! 五十嵐ちゃんって、喋れるんだな!」
「……むぅ」
「あ、ちょ、背中向けないで! ごめんって、怒るなよ!」
何気ない一瞬だった。だけど、2人にとっては違った。この出来事をきっかけに、五十嵐は武宮へ心を開くようになった。
一緒に外へ遊ぶこともあった。
武宮を通じてなら、ギリギリ、他の子と遊ぶことも出来た。
五十嵐はいつも、武宮の後ろへ雛のごとくついて行った。
名前の呼び方も、そろそろ変えようと思い、武宮は一つ提案をした。
「幼馴染だし、これからは桃って呼ぶからな!」
「じゃ、じゃあ、わたしは、すーくん……」
「おう! よろしく!」
ある日。両親に連れられる形で、2人一緒に夏祭りへ行ったこともある。
五十嵐は可愛らしい赤い浴衣を着て、祭りを楽しんだ。
夜空に咲く花火を一緒に鑑賞していた時、五十嵐は武宮へ言った。
「わたし、すーくんのお嫁さんになる」
武宮はにかっと笑みを浮かべて、五十嵐の手を握った。
「うん! いいよ!」
「……その返事、一生忘れないから」
幼い頃に交わした、何気ない約束だ。
☆
小学生になると、五十嵐の人見知りは多少改善された。控えめではあるものの、少しずつ自分の意見を言えるようになって、同性の友達も出来るようになった。
それでも、武宮と疎遠になることはなかった。
幼稚園時代のように、いつも一緒とまではいかなかったが、お互いに大切な存在として意識をしていた。一緒に家へ帰ること、朝一緒に学校へ登校することは、日課である。
小学生時代は五十嵐との関係を茶化されたりしたが、それで離れたり、突き放したりすることはなかった。
また、高学年に上がった時から、時々五十嵐から手料理を振舞われることがあった。
というのも、五十嵐の実家は地元では大繁盛の定食屋を営んでいるのだ。
いずれ家業を継ぐのか、料理を幼い頃から教えられているらしく、練習がてら武宮が試食する、ということが多々あった。
武宮は平均的な体型だが、食いしん坊なので悪い話ではない。
しかも五十嵐の作る料理は、いつも美味しかった。
月日が経ち、中学時代になっても、この関係性は変わらなかった。
中学生にもなると、色々とマセてくるから、ベタベタな距離感を冷やかされることもない。
ただ、付き合っているのか、と聞かれることはあった。
武宮は幼馴染で、家族みたいなもので、一緒にいるのが当たり前なんだ、と答えた。
五十嵐は顔を赤くして、女子と恋バナに発展していた。
そして高校生へ上がると、転機が訪れた。
☆
五十嵐はお店を継ぎたくない、と両親へ告げた。
しかし両親は継いでほしい、という意見を変えなかったようだ。
兄弟もいないので、後継ぎ作りの熱意は五十嵐1人に注がれていた。
難しい問題だ。高校時代の五十嵐はこの進路が原因で、両親とはずっと変な空気感になっていた。
しかも五十嵐の進路希望は、冒険者であった。
年間、平均で400人ほど死亡する業界というだけあって、尚更両親は反対したようである。
もっとも、冒険者業界を除く年間の労災による死亡者は、大体700~800人くらいなので、考えようによっては、普通の仕事とリスクは大きく変わらないのだが、やはり「モンスターを狩って、金を稼ぐ」という仕事内容へ、愛しい我が子を送り出したくないという両親がいるのは、仕方のないことである。
だけど、五十嵐は頑固だった。
高校3年生になっても、進路希望を変えない。
前世の記憶を取り戻した武宮は、五十嵐と学校から帰った後、将来の話をした。場所は五十嵐の部屋。ピンクを基調とした部屋で、ウサギが好きな彼女らしく、ウサギのぬいぐるみがたくさん置いてあった。
「パパとママ、高校を卒業したら、私を追い出すって」
五十嵐の声は少しだけ震えていた。
「おかしいよ。家業継がないくらいで……お店のなにが、そんなに大事なのか、私にはわからない……」
五十嵐の両親の考え方は、いわゆる毒親なのかもしれない。
子供は出来たことがないが……前世が30歳ということもあって、武宮は店を継いでほしいと願う五十嵐の両親の気持ちも、少しは理解したいと考えた。
というのも。前世には五十嵐とよく似た境遇の友達がいて、そいつは最終的に家業を継いだ。
大人になると、色々と考えや、境遇が変わったりするらしい。
もちろん、実家の店を継ぐことが全てではない。それは間違いない。絶対に継がなきゃいけない、というのはおかしい話だ。
五十嵐の人生は、五十嵐のものだ。
それは両親であっても、奪うことは絶対に出来ない。
だから武宮は、五十嵐の考えをしっかり聞いて、たくさん一緒に考えようと思った。
「桃の将来の夢って、なんだ?」
「私、冒険者になりたい。知っている? 強いドラゴンとか、ものすごく美味しいんだって。この世界の食べ物じゃ、比べ物にならないくらいだって」
「うん」
「だから、冒険者になりたい。すーくん、異世界料理好きでしょ? だからね、強くなって、強いモンスターを狩って、あるいは……冒険者が上手くいかなくても、お金持ちになって、いっぱい稼いで。すーくんに最上級の美味しいものを、いっぱい食べさせてあげたいの。それでね、それでね、すーくんが死ぬまで、ずーっと一緒にいるの。すーくんが死んだら、その後私も追いかけてあげるからね。ずっとずっと、一緒だよ。絶対絶対、絶対なんだから。逃がさないから。逃げないでね」
「そうか。それは素敵な夢だ」
後半の低い声にやや恐怖を感じたが、男たるもの、細かいことは考えない。でっかい器を持つべしだ。
それに、進路希望は同じ。
武宮も、五十嵐へ進路のことを告げた。
「俺もさ、決めたんだ。冒険者になる」
「えっ」
「一緒にパーティーを組まないか? それでさ、いっぱいモンスターを狩って、いっぱい異世界料理を食べるんだ。どうだ?」
ぱああああっ、と五十嵐は笑顔になった。
「うん! 一緒、絶対に一緒っ! すーくん、すーくん!」
そして協会が開くダンジョン研修を受けて、ステータスを得て。安全が確保された状態でレベルも上げた。
それによって発生した給料を初期費用とし、さらに武宮の両親のサポートもあって、彼は高校卒業と同時に家を出た。
マンションの部屋を借りて、同じパーティーである五十嵐と一緒にそこへ住むことになった。
ちなみに家を出る際、五十嵐の両親に声をかけられた。
桃のことを守ってあげてくれ、と頼まれたのだ。
昔からの付き合いなので、信頼はされていた。
武宮はこくりと頷いて、そして言った。
「色々なことがあったと思います。でも、桃の好きなようにさせてあげてください。お店のことは、俺も、桃と一緒にちゃんと考えますから。桃の人生は桃の物なんです。それだけは、どうか理解してほしいです」
そう伝えると、五十嵐の両親は複雑そうな感情がありながらも、わかった、考えてくれてありがとう、と答えた。
そしてもう一度、桃をよろしく頼む、どうか頼む、と言われた。
「――もちろんです! 俺が、絶対に守りますから」
こうして、2人の冒険が始まった。
そして五十嵐はとんでもないユニークスキルに、目覚めることとなる。
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