二つの書状
遅きに失する悪役令嬢ものです。だが書いたからには勿体ないので投稿する。こんなんがいっぱいある……
喧騒と怒号。血の匂いと、金属同士がぶつかり合う不愉快な音が響く広間には、かつての荘厳さは欠片も残っていない。夜会の度に聞こえていた、貴婦人たちの口さがない姦しささえ、懐かしく思えるほど。あぁ……あなたが教えてくれた戦場とは、こんなにも虚しいものだったのね……。
「おい! これはどういうことだ! 一体どうなって……な、なぜお前がここにいる!?」
声がした方に視線を向ければ、見知った顔が並んでいた。あの日、この広間で断罪と称し、私を好き勝手蹂躙した、忘れたくても忘れられない人々の姿が。
「あら、ごきげんようアーネスト王子殿下……いえ、立太子されたのだから、王太子殿下とお呼びしたほうがよろしかったわね。なにぶん王国を離れて久しいもので、ご無礼をお許しくださいましね」
この国の社交界で、女神の再来と謳われていた極上の笑みを浮かべつつ、ふわりと礼をとる。身につけているドレスは照明の加減でキラキラと輝き、その色彩を自在に変える特別な一着。初めてこのドレスを手にした時は、まるで月を写した湖面のようだと、感動したのを覚えているわ。
そんな神秘的なドレスを纏った女がひとり、屈強な騎士が幾人もバタバタと倒れる広間で、静かに佇んでいるのだもの、壇上に集まった皆様には、私のこの姿は場違いどころか、異質なものとして映っているでしょうね。
この場所の本来の用途を思えば、誰よりも相応しい装いなのは間違いない。けれど、今この時に限っては、さぞ奇妙で不気味に感じられているはず。やはり、無理を通してこのドレスを選んで良かった。皆様、怒りや不信というより、恐怖を覚えていらっしゃるご様子。大変愉快だわ。
「そうそう、遠くこの地を離れた私の元にも、皆様のご功績を含め、色々と届いておりましてよ。それはもう……色々と」
王太子であるアーネスト殿下を護るように、彼の専属護衛騎士であるカイル様が、いつでも剣を抜ける体勢で一歩前に出る。職務を全うしようというその姿勢は評価いたしますが、でも残念。周りが正しく見えていないわ。あなたの今の立ち位置では、後方にいるアベル様が攻撃魔法を使いたくても使えないもの。
最年少で宮廷魔道士にまで上り詰めた彼の活躍の場を奪ってしまうことに気づいていないし、戦略的にも減点。このおふたりの不協和音ぶりは、相変わらずなのね。
居並ぶ男性陣の中で、一番冷静なのはクリス様かしら? 流石宰相補佐に任命されたことはあるわ……と褒めてあげたいところだけれど、彼の頭の中は真っ白で、思考停止していると表現した方が正解でしょう。彼は昔から不測の事態に弱いものね。この広間の有様は、予想外どころの話ではない。ふふ、お可哀想に。
以前と立場は違えど、あの時と同じ顔ぶれが揃う。見下ろされる構図も同じだけれど、今度は私が断罪する番よ。彼らと正面から相対する位置へ移動しながら、一人一人に視線を合わせ、名指しでその功績に対して皮肉を贈る。
各々思うところがあるのでしょう。視線を逸らしたり、あからさまに敵意をむき出したり。そんなことでは貴族社会を渡り歩くことはできないと、私も彼らも共に学んだはずなのに……それすらも彼らは忘れてしまったのね。
「かつての幼馴染である皆様の、華々しい活躍に敬意を表しますわ」
カツンとヒールの音をわざと立て、トドメの祝辞を述べる。今の彼らに、あの当時感じた恐怖を抱くことは微塵もなく、この場に戻って来るまで私を支配していた怯えと不安は、呆気なく霧散した。
広間は今、王国の禁色である赤に塗り替えられつつある。この国の騎士たちから流れ出る血が、国の象徴である王宮を染め上げる様は、これ以上ない皮肉でしょう。国鳥である白孔雀のレリーフがこの国の民の血で赤く染まる。こんな最後が訪れるとは、この場にいる誰も想像していなかった。こうなる前にもっとできることがあったのではと、思う気持ちはあるけれど、彼らが選んだ末路ですもの。私は最後までやり遂げてみせるわ。
床も壁も血みどろで、まさに戦場と呼べるそんな惨状を前にしてのんきに話を続ける私には、一滴の染みさえもない。存分に言い知れぬ恐怖に怯えるがいい。
さて、殿下たちの心境がどうであれ、それに配慮する気は毛頭ない。彼らを追い詰める、最後の仕上げをしなければいけないわ。私の一番見たかった顔はどこにあ・る・か・し・ら。あぁ、やっぱり。あなたはそこが定位置ですものね。
「そちらにいらっしゃいましたの。相変わらず殿方に護られる可憐な花でいらっしゃること。マリアベル様におかれましては、アーネスト殿下とのご婚約おめでとうございます。長かったですわねぇ。私を追放したら、すぐにでも乗り換えられると思っていましたのに。随分とお時間がかかりましたが、ようやく、といったところかしら」
まるでお茶会でのんびりと会話を愉しむような、柔らかな表情をあえて浮かべ、祝辞を述べる。でもね、本題はここからよ。
「……それに、ご懐妊の兆しもあるとか。王国のお世継ぎは早ければ早い方が良いというわけですわね? 喜ばしいことです」
「な、なにを言って……」
たじろぐアーネスト殿下の影に隠れて様子を伺っていた彼女の顔が、一気に青ざめた。殿下をはじめ、周りの取り巻きの皆様の動揺も絵に描いたようで、呆れてしまうわね。
いくら世継ぎが重要な身分といえど、婚約中の懐妊などありえないのがこの国の法ですもの。貴族の妻、ましてや将来の王太子妃が婚姻の際に乙女でないなどあってはならない。アーネスト殿下の様子を見るに、相手は彼ではなかったのね。寝所を覗く趣味はなかったから、そこまでは調べていなかったけれど。さて、では誰がお相手なのかしら?
「デタラメを言うな! マリアベルが懐妊しているなどと……今までで一番ひどい虚言だ! 未来の王太子妃に対する侮辱は王家への侮辱でもある! お前はまた罪を犯すのか!?」
罪、ねぇ。私はあの時も今も嘘をついてはいないのだけれど……。やはり、殿下が私を信じることはないのね。
「罪人の戯言と捨ておかれても結構でしてよ。嘘であろうと真実であろうと、どちらにせよ、懐妊しているかどうかは時間が経てば分かること。ご禁制の堕胎薬でもなければ、然るべき時におのずと答えは出ますもの。ねぇ、マリアベル様?」
あの時の勢いと自信はどこへやら。太陽の愛し子として、あんなに堂々と私の罪とやらを詳らかにしてくださった聖なる乙女の姿は今はなく。震える肩とこちらを射抜く鋭い眼光には憤怒の感情が表れている。着飾ってはいても、刑の執行を待つ囚人に見えてくるのですから不思議なものね。
アーネスト殿下の目が泳いでいる。心当たりがおありなのね? 最側近の皆様も顔色がお悪いわ。他の方と比較しても、明らかに動揺しているあの三人の中に、お腹の子の父親がいるのは間違いないわね。……まぁ、予想はしていたのだけど。
「リリー様ぁ、いつまでもくっちゃべってないで目的を果たしてくださいよぉ」
「俺も、そのお話は楽しそうだと思いますけど、この国の奴ら相手にするの飽きちゃったっす」
私の背後で騎士を軽々となぎ倒していた影が二つ、その手を止めて武器に着いた血を払いながら話しかけてきた。あらかた片付け終わったらしい広間は惨憺たる有様で、今は呻き声くらいしか聞こえてこなくなっている。
「ごめんなさい、クイナ。話に夢中になり過ぎたわ。いくらつもる話があるとはいえ、長々と時間を使ってしまって悪かったわね。シュウ、すぐに終わらせるからもうちょっと我慢して。書状をちょうだい」
シュウは頬についた血を拭いながら、書状をぶっきらぼうにポンと投げて寄こした。これは本当に飽きてしまったみたいね。早くしないと余計なことをしでかしそう。
「アーネスト殿下、それからマリアベル様。国王陛下がご不在のようなので、あなたがたへ、我らグリムガルの皇帝陛下より通達致します」
黒い封蝋が目に留まり、書状を持つ手が少し震えてしまう。唇を噛み締め、過去の自分の不甲斐なさを嘆きたくなるけれど、しかしこれは、私の、私だけに与えられた任務ですもの。そんな個人的な感傷に囚われるわけにはいかないわ。すでに覚悟は決まっている。ならばあとは、粛々と遂行するだけよ。
「読み上げます……『クライスナー王へ告ぐ。再三の招集勧告を無視し、大陸会議への出席はおろか、自国民の管理もままならぬ昨今の傍若無人ぶりは目に余るものとして、この度、大陸同盟から貴国を除名する決定がなされた。裁量権は隣国グリムガルに一任。これをもってグリムガルは以下の決定を下す。クライスナーは領土を速やかにグリムガルへ明け渡し、皇国の配下として無条件降伏を選ぶならば、大地が血に染まることはないだろう。だが抵抗する場合、グリムガルの名のもとに征服するものとする。これは大陸会議の総意である』……以上でございます」
「ふざけるな! なんと勝手な言い分! それに、我らがグリムガルだと? リリー、お前はクライスナーの公爵令嬢だろう!?」
「まぁ、アーネスト殿下はいつのお話をされているのでしょうか。私、三年前に殿下の手で追放されましてよ? 着の身着のままでさまよっているところを、グリムガル皇帝陛下に拾われまして、今は陛下の秘書官を任されておりますの」
ニッコリと微笑んで見せれば開いた口が塞がらないといったご様子。自分で言うのもなんですが、この国が逃した魚はとてつもなく大きかったのですよ?
大陸一の強国であるグリムガル帝国の秘書官といえば、そこらの人間が三度生まれ変わっても試験を受けるための条件すら満たせないと語られるほど、難関中の難関。名誉中の名誉。一日で罷免されたとしても、他国より引く手あまたとなる憧れの職業と認知されている。国によっては、王よりも強い発言力がありますものねぇ。
元々、見目しか能がないと言われていた私がそんな地位にいるなんて、思いもよらなかったでしょう? 道端の石ころ同然だと見下していた相手が、自分たちのはるか頭上の高みにいるなんて、ねぇ? 殿下たちの狼狽える姿を見るために、あの地獄のような十七年間があったのだと思うと、少しは溜飲が下がるというもの。
「あのリリーが、帝国秘書官だと? なんの冗談だ。王妃として俺に寄り添うこともできない役立たずの嘘つきが……なるほど、その体でも使って帝国に擦り寄ったと言うわけだな!」
「そ、そうです! あの見目しか取り柄がないと言われていたあなたが、文官の最高峰と名高い帝国秘書官などありえない! 私でさえ一次試験で落とされるくらいなのに!」
アーネスト殿下とルーク様の発言を皮切りに、壇上に集う面々が粗雑な悪態を重ねる。色仕掛けだなんだと、馬鹿のひとつ覚えのような聞くに絶えないその罵詈雑言は、私を断罪した己を認めたくない一心で放たれていると分かる。
皆様、どんな状況だろうと、一度下に見た存在を侮辱しないと気が済まない病気にでも罹っていらっしゃるのかしら? しかも思い込みだけで人を貶めて、同調することで精神の安定を図ろうだなんて。この国の将来を担う立場にいる者がこれほど狭量では……王国の未来はこちらが手を下さなくても真っ暗ですわね。
しかし、王国民が逃げるように他国へ移動しているのは事実。ここ数ヶ月は明らかにその数を増し、いくら帝国といえど許容量を超えてしまいそうになっている。早々に手を打たなければ、同盟各国に影響が出てしまうところまで来ているのよ。
「……どのように解釈されても構いませんが、私は今、正式な帝国の使者としてこの場におります。正当な手続きを踏んで、会談の場を設けるよう打診いたしましたが、尽くそれを無視され、仕方なしに先触れを出した上で使節団として訪問してみれば、騎士団による不当な攻撃。この現状はそちら側の不手際としか言いようがないのですけれど、これが王国側の返答であると受け取ってよろしいのですね?」
移民の多くは重税に耐えきれなくなった者たちだ。王国の大部分を占める農地では、大規模な不作という目に見える被害が表れているにも関わらず、彼らは税率を下げるどころか、為政者としての責務すら果たそうとしていない。そんな状況だというのに、今日、この場に我々が押しかけなければ、王宮では大規模な夜会が行われる予定になっていたというのだから、話にならないわ。
民の疲弊を無視して自分たちだけ夢の中にいるなんて馬鹿げている。自らの置かれている状況が、どれほど最悪なものなのかということさえも、理解していないのでしょうね。
──実は帝国からの書状は二つあった。王国の内情次第では、同盟からの除名ではなく援助という形でこの国を救う道が用意されていた。
私とて、追放されたとはいえ祖国ですもの。この胸の奥には捨てきれない思いが残っていたわ。国王陛下が病に伏しているという噂が本当であれば、王太子が王に代わり国政を担う形を取っているはず。慣れないながらに奮闘している彼らの姿が少しでも見られればと願い、用意していただいたもうひとつの金の封蝋の書状。……でも、シュウが投げて寄こしたのは、黒い封蝋の最終勧告だった。
事前に情報収集はしていたから、あり得ないことは分かっていた。けれど、それでも、幼い頃から見てきた彼らの優しさや義憤に賭けたかった……。
「リリー、お前の気持ちは分からんでもないが、きっとこの書状が日の目を見ることはないぞ?」
帝国の執務室で頭を下げる私に、レオル陛下の優しい声が降る。彼の手には私が願った内容の書状が。
「……承知しております。帝国の影がもたらす情報に嘘偽りはないでしょう。それでも……彼らに少しでも希望を持ちたいのです」
握りしめる拳に汗が滲む。下げた頭に血が上っているからか、耳や頬が熱を帯びていくのが分かる。私の目に涙が集まるのは、きっとそれのせいなのよ。
「どうか……どうか、王国の未来に慈悲を……陛下……」
マリアベルに出会う前の彼らと過ごした時間が、走馬灯のように脳裏を過ぎる。あの頃は学園に通えるようになる日が純粋に待ち遠しかった。
父や母には、いつでもアーネスト殿下を立てるよう厳しく教育された。殿下より秀でてはいけないが、王妃としての知性も兼ね備えていなければならない。慎ましく、穏やかに、目立たず殿下を支える。それが私の当時の信条。
学園に通ってもそれは変わらなかったけれど、それでも家の中や王宮にいるより息がしやすかった。殿下たちとの距離も、ご学友の方々と同じような気安いものに変化したことが嬉しくて……。幸せだった、夢のような二年間。マリアベルという存在が全てを壊すまでは。
太陽の愛し子は実りをもたらす。それは国民の誰もが知っている。だから私も、最初はとても歓迎した。国が富めば、アーネスト殿下の治世はより良いものになるはずだから。しかし、豊穣の神は愛の神でもあるためか、彼女は無制限に愛を振りまくことを止めなかった。まるでそれが己の本分であるかのように。
彼女の身の回りは、瞬く間に彼女を崇拝する殿方で固められ、その際たる人物がアーネスト殿下であり、彼の側近たちだった。私はあの異常な光景を、止めるどころかただ、眺めていることしかできなかった。気づいた頃には全てが砂のように、この両の手からこぼれ落ちていた。
「俺の可愛いリリーの頼みとあれば仕方ない。だから、そんな声で俺を陛下と呼ぶな。顔を上げろ。……頼みは聞いてやる。だが書状は二通用意するぞ。最終的な判断は、お前に随行するシュウがやる」
レオル陛下はそう言いながら、顔を上げた私の目元を拭う。涙は溢れる一歩手前で、まつ毛でギリギリせき止められていた。鼻が赤いぞとからかいながら、私の背に優しく腕を回し、その大きな胸に私を閉じ込める。幼子をあやすように包み込んでくれた温もりに、陛下への想いが膨らんでいく。
「リリー、いい加減俺に甘えろ。もっと頼ってくれ。たとえお前が俺の秘書官でなくても、俺はお前を手放す気はないからな? 愛なんてのはそんな深刻なもんじゃない。大丈夫だ。人を愛すること、そして愛されることを恐れるな」
マリアベルと比較され、役立たずと捨てられた私を拾ってくれた恩は返しきれないほど大きい。最初はその恩に報いたいだけだった。できることをとあれこれやっているうちに、私の才能を見いだしてくれたのは陛下だ。王妃教育も決して無駄ではなかった。あの頃は一度も褒められず、常に足らないと叱責され続けた教養は、蓋を開けてみれば一国の王妃としては異常なものだった。それこそ、帝国秘書官として通用するほどに。
秘書官の正式な辞令がおり、成績の結果を知らされて心底安堵したのを覚えている。私のやってきたことは無駄ではなかったのだと。鞭に震え、寝る間も惜しんで蓄えてきたものが、やっと評価されたあの瞬間は忘れられない。
「この問題が片付いたら返事をくれないか?」
そっと力を弛めた陛下の腕の中で、私の様子を伺うその顔を見上げる。返事とは、求婚に対する答えだ。私では畏れ多いと断ってきたのだけど、言葉とは裏腹に、陛下に対する気持ちは膨らむばかりで、彼はそれを見抜いている。
「急かしたいわけではないんだが、正直、こうでもしてお前を繋ぎ止めておかなければ、消えてしまいそうで不安なんだ」
「消えるだなんて、そんな……」
「ないとは言いきれないだろ? 出会った時の存在の希薄さは幻ではない。お前もまた、神に愛された愛し子だったのだから。しかし神が相手だろうと、お前をあちら側にやってたまるものか」
陛下は再びその腕に力を込めると息ができないくらいに、ギュッと一瞬強く抱きしめてから解放した。私が大きく息を吸い込むところを可笑しそうに眺め、それから額に口づけをひとつ落とす。
「陛下、先程返事は待つとおっしゃいましたのに、臣下への口づけは些か行き過ぎではないかと……」
「陛下じゃない」
有無を言わさぬ圧を自在に操る姿は、流石皇帝といったところか。ぐっという声にならない音が喉で鳴る。多分、私の顔は首まで真っ赤だ。
「レオル……様」
「愛称。敬称もなしだ」
「ん~~…………レ、レオ」
狼のような猛獣が目の前で尻尾を振っているような幻覚を見てしまう。満面の笑みで満足そうに私の頭を撫でると、陛下はソファに座り給仕にお茶を促した。一方の私はというと、心臓の早鐘が警報を鳴らしている。この男はダメだ。心臓がいくつあっても足らないぞ、と。
──かくして、王国は帝国の手により速やかに解体され、アーネスト殿下は王より後継を賜るも、一領主という立ち位置に収まらざるをえなかった。前線で指揮を執っていたのは、レオル皇帝陛下自身だ。
秘書としておそばに仕えるようになり知ったのだけど、彼は兵士と寝食を共にすることを好む変わり者として有名で、皇帝という最も尊い地位にいながら、民草との交流を厭わない稀有な存在だった。騎士団の兵士が嬉々として語る彼の武勇伝を、誇るようなことではないと一蹴し、バツが悪そうに頭をかくその姿に、私は驚きとトキメキを覚えた。あれがきっと、恋の始まりだったのよね。
マリアベルはあの一件の前から堕胎薬の服用を始めていたらしく、子を流したあと、二度と孕むことのできない体となった。それに加え、太陽の愛し子としての力も薄れ、今では表舞台に出てくることは一切なくなってしまった。
彼女がこの結末を迎えたのには、きちんと理由がある。愛し子である彼女が愛するものに、実りを与えるのが豊穣の神の力。本来であれば、国を愛することでその恩寵は国の隅々まで広く行き渡るのだ。しかし、彼女は自分の欲を優先し、周囲に侍る殿方だけを愛した。そして、愛の実りの象徴である子を流すことは、神に背くことと同義。保身に走った彼女の、自業自得というわけね。
国民の半数は他国に流れ、領地としては廃れる一方だという。私は、どうすればあの国を守ることができたのだろうか。生まれ育った国に捨てられた時、確かに見切りをつけたはずだった。しかし、郷里への哀愁が消えることはない。
「リリー、やはりここにいたか」
「……レオ」
クライスナー王国が解体された後、私は正式にレオの求婚を受けいれた。あのまま、秘書官としてずっとおそばにいる選択もできたのだけど、結局、気持ちに嘘はつけなかった。
皇后となってからも、私は時折、バルコニーに縫い留められたかのように動けなくなることがある。それを知っている彼は、皇帝としてではなく愛する伴侶として、ただ静かに寄り添ってくれる。
私の肩をそっと抱き、少し肌寒さを覚える夕暮れを共に見つめるレオ。あの太陽の沈む方角に、かつての祖国、クライスナー王国はあった。
「忘れろとは言わない、お前の心はお前だけのものだ。民を愛し、国の繁栄を望んだお前の願いをなかったことにしてしまうことはない。……まぁ、どんな感情であれ、お前の心にあの男が居座るのは少し妬けるがな」
「まぁ、途中まで良い感じでしたのに。最後の部分で台無しですわね?」
顔を見合わせ小さく笑い合う。秘書官でも貴族でもないただの私を見てくれた、私の可愛い人。この穏やかな幸せを、レオがくれた。忘れなくていいと言ってくれた私の願いを、この場所で、彼とふたりで叶えていきたいと強く思う。
読んでくれてありがとう。暇つぶしになりましたか?




