軋む日常と告白の夜
何も変わらない日常。
しかし、何も解決していない現実。
そんな日々が、三ヶ月――ただ、過ぎていった。
朝起きて、会社に行き、仕事をこなし、帰宅し、食事を摂り、眠る。
心を動かされることもなく、感情の起伏もなく、ただ機械のように繰り返される毎日。
けれど確かに、少しずつ、確実に心が削れていくのを感じていた。
何が正解なのか分からず、前に進めない。
どんな選択をしても、何かを失う気がして、ただ立ち尽くしていた。
そんなある日。
私は、ふと携帯電話を手に取っていた。
無意識に、画面をスクロールする。
指が止まったのは──ゆきひろとまさよしの名前だった。
彼らは中学時代からの親友で、今では神戸に住んでいる。
利害も遠慮もない、ただの友達。
今の自分には、彼らしかいなかった。
――近々、飲みに行けるか?
送信したメッセージに、すぐに返信が返ってくる。
――いいね! まさよしにも声かけてみる?
その軽さが、ありがたかった。
――うん、久々に盛り上がろう。
今回は、まさよしの新築の家で飲むことになった。
海沿いに建てられたその家は、アメリカ西海岸を思わせるような洒落た造りだった。
タイミングよく、まさよしの奥さんと子どもたちは実家に帰っており、家には彼ひとり。
土曜の夜、私たち三人は、その家に集まった。
「リア充め……」
私は心の中で、ぼそりと呟く。
洒落た空間。統一感のある色使い。整ったインテリア。
少しだけ、羨ましさと、劣等感が入り混じる。
ビール片手に、くだらない話をして笑い合う。
ほんのひとときだけ、心が軽くなった気がした。
だが──
ふとした沈黙のあと、私は言った。
「……香梨奈に、男がいたんだ」
言葉が落ちる。
空気が凍る。
「お前、それって……」と、まさよしが口を開きかけて、黙る。
私はただ、頷いた。
「……本当に? 香梨奈ちゃんが……?」
ゆきひろの声には、驚きと戸惑いが混じっていた。
香梨奈のことを知っている彼だからこそ、なおさら信じ難かったのだろう。
「うん」
私は短く、そう答えた。
沈黙。
だが、彼らは逃げなかった。
ゆきひろが言う。
「……お前がどうしたいのか、俺たちには分からないけど、今ここで話したことで、少しは楽になったんじゃないか?」
私は、黙って頷いた。
まさよしも、静かに言葉をつなぐ。
「再生を望んでるなら、まずは自分の気持ちをちゃんと見つめることだよ。家族としての責任もあるけど、結局は、自分がどうしたいか。それが一番大事だから」
その言葉は、妙に静かで、深く刺さった。
ゆきひろが、少し強めの口調で言う。
「でもさ、こんな状態を続けるのって、お前にも、家族にも良くない。……離婚したほうが、みんなのためになるんじゃないか?」
その一言が、胸の奥に刺さる。
「それが……できればいいんだけど」
私の声は、掠れていた。
「でも、お前はどうしたいんだよ?」
問いかけられた言葉に、私は答えられなかった。
ただ、グラスの中のビールを見つめていた。
しばらくの沈黙のあと、私はようやく口を開いた。
「香梨奈に……離婚を告げる」
それは、決意ではなく、ようやく口に出せたひとつの“答え”だった。
「ありがとう。……もう帰るわ」
立ち上がる私に、ゆきひろが驚いたように声を上げる。
「今から帰るのかよ?」
「泊まっていけばいいのに」と、まさよしも言う。
だが、私は背を向け、靴を履いた。
夜風が火照った顔に、心地よかった。
迷いは、もうなかった。
このまま黙って戻れば、きっと何も変わらない。
壊れたままの心を抱えて生きていくことに、もう限界だった。
私は車に乗り込んだ。
──香梨奈に、すべてを告げるために。