わからない日常
時間だけが、淡々と流れていく。
まるで、誰かが遠くで砂時計を逆さにした音だけが、
ずっと鳴り続けているようだった。
曜日の感覚も、季節の移ろいも、うまく掴めなくなっていた。
朝が来て、職場へ向かい、
日が暮れる頃に帰宅して、家族と食卓を囲む。
テレビからは変わらない笑い声。
子どもたちがじゃれ合い、香梨奈が静かに食器を片づける。
——それだけの毎日だった。
でも、本当はわかっていた。
これは、何かを“取り戻した”生活ではない。
修復でも再生でもない。
壊れた現実にフタをして、
傷口を見ないようにして、
ただ“同じ空間”にい続けているだけだった。
あの夜を越えて、私たちは何も変わっていない。
何かを許したわけでも、乗り越えたわけでもなかった。
ただ、壊れた部屋の中で、
散らばった破片を踏まないように気をつけながら暮らしている——
それだけのことだった。
子どもたちの笑顔だけが、唯一の救いだった。
でも、その笑顔すら、どこか薄皮一枚、私の心には届かなかった。
テレビの中の誰かが笑っている。
香梨奈も、穏やかに笑った。
その横顔は、まるで何もなかったような顔をしていた。
私はそれに合わせるように、
口元だけでぎこちなく笑った。
喉の奥に澱のようなものを抱えながら、
深く、誰にも気づかれないように息を吐いた。
これが“わからない日常”なのだと思った。
わからないまま、止まることも、壊すこともできず、
ただ、繰り返されていく日々。
この日常は、終わらない。
たぶん、これからもずっと続いていくのだろう。
私たちは、「家族」という名前の枠のなかで、
それぞれが自分の孤独を胸に抱えたまま、
触れ合わず、傷つけず、
まるで“他人”のように生きていくのかもしれない。
壊れた心を見せることなく、
何かを修復することもなく、
それでも笑って、暮らしていく。
——きっと、誰かに見せるための“幸せ”を演じながら。