第9話 出題編2-1 一本だたらの伝承
「ふわぁーあ」
「おはようございます」
凪沙が目を冷まし、ベッドの上でごろんごろんと回りながら、その小さな身体を大きく伸ばしている。私は三十分以上も先に起きて既に朝の準備を済ませていた。洗面台にも椋木化粧の高級な化粧水や洗顔フォーム、乳液などが用意されていた。皮膚が洗われる感触があった。
「もう、いつでも朝ごはんの準備はできているらしいですよ。さっさと準備してから行きましょ。ほら、寝癖を直してあげますからこっちに来てください」
はいはいでこちらに寄ってくる凪沙を捕まえて、ドライヤーで暴れた髪の毛を落ち着かせていく。頭をマッサージしながら整えていると、凪沙はとても気持ちよさそうだ。手で触れると、さらさらと髪が散らばってまた戻っていく。
「また寝ないでくださいね」
「うんうん」
こうしていると、なんだか妹ができたみたいだった。私は一人っ子なので、なんだか新鮮ではある。実際に、服を用意して下着まで用意して髪の毛を整えてほとんどペットみたいなものではあるけれども。
「さ、できたので下に降りましょ」
二人が階下へと降りると、そこには四葉さんと中道さんが椅子に腰をかけていた。しかし、その向かいには修一と見たことのない二人の男性が腰をかけている。
「小伏様、渡橋様、おはようございます。どうぞこちらへ」
「おはようございます。そちらの方々は?」
柴崎さんの誘導で私たちは昨日と同じ席に案内された。そのままの流れで向かいに座ることになった男性たちの事を尋ねると、四葉さんが返答した。
「昨日は紹介できず申し訳ありません。兄の修一、英二、雄三です」
「どうも」
三人はそれぞれ、少しずつ表情は違ったけれども全員が不機嫌であることは間違いなかった。おそらく、四葉さんが雇った関係者だということであまりこちらに良い印象は持っていないのだろう。それは仕方がない気もする。自分たちの会長就任を邪魔する敵に見えても仕方がない。
昨日の夜、仮眠をとったせいかあまり眠れなかったので、外の雪に反射する光で照らしながら四葉さんにもらった家系図などを見て自分なりに整理をしていた。兄弟の関係性や中道さんと久米さんという存在。その中で前妻と増吉さんの不仲が言われていると、彼らからすれば自分たちとは違って父親と母親が仲良くして、それを見せつけられるのはかなり思うところもあるのだろうという推理もできた。
その気持ちを考えれば、自分たちへの態度にも納得するしかない。
「初めまして、四葉さんの依頼で事件の捜査をさせていただきます渡橋です。こちらは探偵の小伏です。挨拶が遅れて申し訳ありません。皆様の仕事やプライベートを邪魔をするようなことはしないようにします」
私が凪沙を紹介したところで、修一が馬鹿にするように笑った。
「ふっ、そんな人が探偵なのか? 四葉も焼きが回ったな」
「ちょっと、そんなことを目の前で言うなんて失礼よ」
四葉さんが修一に苦言を呈するけれども、凪沙は全くと言ってもいいほどに気にしていない。むしろ、もうすぐ出てくるであろう美味しい朝食に気を取られているらしい。用意されたナプキンを柴崎さんに巻いてもらっている。
「だいたい、いまどき探偵なんて流行らないだろう。それに、見たところ随分と若いじゃないか。社会経験がないどころか、大学生にも見える」
まあ、凪沙は事実として二十三歳なので、大学生に見えても不思議ではない。
「すみません、お二人に失礼な態度を」
「別に気にしていないわ。大学なら海外で飛び級したから若く見えて当然だし、人間は一定以上に能力が離れると相手の事を正しく理解できなくなるから。IQが十も違えば会話ができないように。まだ、自分の半分くらいしか生きていない人間に対して、そんな態度を取るほうがよっぽど馬鹿だと思うけれども」
思いっきり気にしているじゃないかと私は思った。しかし、言ったことを取り消すことは今から口を抑えてもできない。私は黙って頭を下げる。別にこの三人にどう思われようと気にはしないが、この先の捜査に影響しないようにと。
「ちっ」
修一の乾いた舌打ちの音だけが響いて、とても朝食を美味しくいただけるような雰囲気じゃなくなった。だけど、こういうところで凪沙の空気を読めない、あるいは読まないところは役に立つ。
「お待たせしました。スクランブルエッグにクロワッサン。ベーコンなども準備してあります。ぜひとも、こちらの調味料もお使いください」
柴崎さんと今泉さんがテキパキと料理を説明しながらテーブルに並べていく。そのメニューの量はまさにホテルのバイキングみたいで、すべてが形までしっかり整えられている。並べられたケチャップやマヨネーズも自作したものらしい。
「うわぁ、美味しそう。ほらほら、早く食べましょ」
マイペースな凪沙は一分前のことなど忘れてしまったかのように、料理にくぎ付けだった。私は三兄弟からの冷たい視線を感じながら席に着く。
「そ、そうですね」
「もういい、俺は仕事に戻る」
どうやら居心地が悪くなったのか、修一はそのまま部屋へと戻っていった。
「気にしないでください。もともとは兄が悪いんですから」
四葉さんがこちらに話しかけてくる内容を聞いて、英二と雄三も席を立った。
「うん、だいたいの関係性はわかったわ。大丈夫、甘いものをたくさんたべたら頭も回るはずだから。ほら、そこのジャムを取って」
「はいはい」
しかし、このことが。喧嘩とも言えないような凪沙と修一の諍いが、犯人の引き金を引かせるとは、私も四葉も、もちろん凪沙も知る由は無かった。
「ふぅ、満足。ご馳走様」
「素敵な食べっぷりでした。お口にあったならよかったです」
三十分ほどかけてゆっくりと食事をしていた凪沙と私。いつの間にか部屋にいたメンバーは入れ替わって残っているのは私たちと四葉、久米さんになっていた。柴崎さんと今泉さんすぐに朝食を食べて忙しく働いているようで姿は見かけない。三兄弟は部屋にこもってしまったようだった。
「お二人は探偵さんなんでしたね。まあ若いのに働いていて偉いねえ」
久米さんは、まるで孫娘を見るような目で二人を見ている。年齢で言うとちょうどそのくらいにあたるだろうか。バリバリ仕事しているからか元気に見えているけれども、既に七十歳を超えているらしい。
「ねえねえ、せっかくだからあなたにも話を聞きたいの」
凪沙は、既に推理モードに脳が切り替わったのか久米さんに詰め寄るように聞いていた。それに少し驚いたのか、孫に語り掛けるような声で久米さんは優しく話す。
「そうですねえ、私が知っているのと言えばここらに伝わる伝承くらいでしょうか」
「伝承?」
伝承と言えば苦い思い出が私にはある。いや、最終的に解決したからいいのだが以前の事件で伝承になぞらえて無惨な殺された方をした遺体を見た記憶がよみがえった。まさかそれはドラマや推理小説の中だけだと思っていたけれども、もしかしたら意味があるのかもしれない。なにより凪沙の探偵としての信条は、すべてを疑って否定して残ったものが真実だ。妖怪や物の怪の類も大好物である。
「それについて詳しく教えてくれる?」
「ええ、もちろん。話は江戸時代のことでした」
そう前置きしてから、久米さんはこの地域に伝わる伝承を語り始めた。
江戸時代の中頃、長兵衛と弥吉という男がいた。二人は村でそれぞれの家族と共に仲良く暮らしていたが、毎週末には山を越えて町まで編んだ草鞋を売りに行かなければ生活ができなかった。春や秋は楽しく山を越えていたが、ひとたび冬になるとそうはいかない。きつい風と雪に体力をすり減らし、週の終わりに山を越えて草鞋を売る。そんな生活をしていたある日、冬の山を越えていた時だった。その日は商売が繁盛したこともあって二人は帰るのが遅くなった。
「寒いなあ」
「がんばれ、がんばれ。あと少しだ」
二人は昔から大の仲良しで、この日も声を掛け合いながら進んでおった。しかし、進めど進めど村は見えてこない。ついに、弥吉は足が動かなくなってしまった。弥吉は、吹雪で周りの音が聞こえない中、なんとか息を切らせながら言った。
「だめだ、わしを置いて行ってくれ」
「そんなことができるか、ほら帰るぞ」
長兵衛は弥吉に肩を貸して歩き出した。しかし、寒さと疲労が二人に襲いかかってくる。ついに弥吉は歩けなくなってしまった。このままでは長兵衛も動けなくなる。
山から下りることもできず、二人は山の中で洞穴を探して一晩を過ごすことにした。雪がより強く降り始め、二人は寒さに震えた。しかし、弥吉の顔色はどんどんと悪くなっていく。長兵衛は声をかけ続けたが、とうとう弥吉は死んでしまった。
弥吉の死体を置いて行くことはできない。長兵衛は死体を背負って山から下りることにした。しかし、降りれば降りるほど雪は強くなっていき体力は減って足は重くなる。やがて雪が吹雪に変わり、視界はほとんど見えなくなった。それでも長兵衛は山を下り続けるしかなかったが、ついに疲労と寒さで倒れてしまった。
意識の遠くで、何かが聞こえたような気がした。しばらくすると人の声が聞こえるようになり、暖かい風が顔をなでた。それが気持ちよくて目を覚ますと、長兵衛はいつの間にか村についていた。
「あんた、よく無事だったのね」
「ああ、しかし弥吉は?」
そういうと、長兵衛の妻は静かに首を振った。
それからというもの、長兵衛は一人で雪の山を越えなければならなくなった。そして次の週末、再び山を越える時のことだった。吹雪の山に足を踏み入れると、雪は長兵衛の顔を優しくなでる。
そんな時、雪原の中に一本の棒のようなものが突き刺さっているのが見えた。もしやと思ってその棒を雪から引っ張り上げると、それは弥吉の足だった。それを見つけると、雪山に大きな唸り声が響いて雪がやんだという。
「弥吉……」
長兵衛は弥吉の死体を丁寧に葬り、その日から決して山で弥吉の名を呼ばず、決して振り返らないと決めた。足を失った弥吉は、一本だたらとなって今も山で暮らしているという。
「へぇ、なんだか殺人の可能性って言うくらいだけど怖い話なのね」
決して明るい話ではないけれども、確かに終わり方は綺麗だった。
「そして、一本だたらというのは怪力で一本足。目玉は一つだと言います。また、雪を降らせるのもやませるのも自由自在だとか。増吉様を殺害するのも、一本だたらなら可能でしょう。人を凍死させるなんてことも」
「なるほどねえ」
もちろん、一本だたらの話も増吉を殺害したというのもおかしな話だけれども凪沙はこういう話が大好きで久米さんの話を興味深く頷きながら聞いていた。うんうん唸りながら、一本だたらが増吉を殺害した可能性を考え続けている。久米さんはそれを微笑ましそうに見ている。そんな時だった。
「ひいっ」
朝食を食べ終わって、膨らんだお腹を擦りながらゆっくりと歓談していた。つまり
全員が油断していたところにまるで地震のような揺れが起こった。テーブルが揺れ、皿のいくつかが床へと落ちる。ぶ厚いカーペットが敷かれているおかげで割れることはなかったけれども、椅子は倒れて油断していた私は態勢を崩した。慌てて、テーブルの下へと凪沙を連れて滑り込んだ。しかし、地震にしては揺れが少ない。
「大丈夫ですか?」
すぐさま四葉さんがこちらの様子を伺ってくれるが、凪沙も私も無事だ。久米さんも大丈夫だったようで、表情はすぐに笑顔を作っている。
「ありがとうございます。私たちは大丈夫ですけど、他の方は?」
「こちらは大丈夫ですが。これから、兄たちの無事を確認しに向かいますが、どうやら地震情報が全く更新されません。どういうことでしょうか」
確かに、携帯電話は全く災害情報を知らせない。体感で言えば、震度五以上だったから何かしらメッセージが表示されて然るべきなのだが。
「なんだかイヤな予感がする。私も行くわ」
凪沙が、推理をするときの鋭い目線で私に言った。こうなると、こちらの言うことは聞かないのを、これまでの経験から良く知っている。
「私たちも一緒に行きます」
そのまま駆けていくと、増吉の部屋を越えてすぐに修一の部屋に行き当たった。ただ、そこには正確に言うと修一の部屋は無かった。
「ひっ! なにこれ」
先を行く四葉さんが驚いて止まり、廊下を後ずさりした。目の前でそれをされた私もその背中にぶつかりそうになり、慌ててスピードを緩める。
「どうしたんですか?」
そう言いながら私は四葉さんの影から覗き込んだ、さらにそれ越しに凪沙もその先を見る。すると、その先には瓦礫があった。昨日、通った時には綺麗なカーペットに品の良いつくりの廊下だったものが破られていた。まさに地震が起こったあとのような惨劇だ。四葉さんがガチガチと震えて歯を鳴らしている。
「これは、酷いありさまだ」
その場に到着した凪沙と私、追って現れた久米さんたち全員が言葉を失った。かろうじて、中道さんが口からこぼれたような声を発したのみだ。しかし、それも外から直接吹雪いてくる風の音でかき消され、全員がそのまま立ちつくしていた。
「でも、あそこにあるのはなんですか?」
私の目に映ってきたのは、破壊された壁とその壁の間から突き出す一艘のモーターボート。しかし、それだけではない。ボートの下にはなにかが押しつぶされていた。そこから、どす黒い、吹雪いてくる雪が染み込んでもすぐには溶けていかないようなどろりとした液体が流れている。この状況で赤ワインとは思えなかった。
「修一様!」
私の隣から柴崎が飛び出す。しかし、それに触れようとしたところを凪沙が声だけで制した。張り詰めた空気をぶち破るような高い声が響く。
「待ちなさい!」
その声を聴いて、柴崎さんの動きが止まった。そのころになってようやく、私もボートの下に何があるのかわかった。逆方向からやってきてその光景を見ているのは先ほどまで朝食を摂っていたであろう英二と雄三。さらにこちら側には使用人である中道、久米、柴崎、今泉が揃っている。
ボートの下で体を潰され、血を噴き出しているのは椋木修一であった。