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第7話 出題編1-7 椋木の晩餐

「ねえ、ねえ。起きて。ほら」


「え? あ、はい」


 凪沙に身体を揺す振られて私は目を覚ました。どうやら、知らぬ間にかなり深く眠ってしまったらしい。思えば、朝の五時に電話でたたき起こされて、ずっと働いて緊張し続けていた。思っていた以上に、体が疲れていたらしい。窓を見ればもう外は真っ暗だ。反射する光を失った雪景色も黒く染まる。時計を見ると七時を過ぎていた。


「ねえ、夕食を食べに行きましょうよ」


 お腹が空いたのか、凪沙はえらく急かしてくる。正直、眠っていたばかりでそんなに食べたい気分でもないけれど、そうもいかないだろう。私はさっと眠っていてしわのついた服を伸ばして立ち上がる。あとでアイロンでも貸してもらおう。


「そうですね、行きましょうか」


 私たちは部屋を出て、食堂へと向かった。部屋から出て一階とを結ぶ螺旋階段のある部屋には南の方向から入る必要がある。かなり昔に作られた年季の入った建物だというのに、暖房のついていない廊下でも寒いとは感じなかった。廊下を内側に配置して暖房の付いている部屋を外に向かせるのは考えられた作りだ。食堂へやってくると、すでに何人かが席についていた。


「小伏さん、渡橋さん。こちらです」


 二人が部屋に入ってどこへ座るか悩んでいたところ、先に座っていた四葉さんに声をかけられた。テーブルは横に長く、海外ミステリーの映画でみるように三又の燭台に蝋燭が立てられ、既にグラスが席の数だけ並べられている。


「ちょうどこちら側に二つ、席が空いているのでお二人とも隣にお座りください」


 どうやら、席は十個もあるらしく、私が四葉さんの隣に、その隣に凪沙が案内された。テーブルクロス、椅子、その作りも全てが統一されていた。明らかにあの椅子だけが浮いている気もするけれども、理由は納得できる。


「わあ、すごい。すごく良い匂いね」


 凪沙は目をキラキラさせて、こちらを見てきた。普段はチョコレート菓子以外にこんな表情を見せることはないのに、凪沙にそれほどまで楽しみにさせるほど良い匂いが部屋中に漂う。匂いを嗅いでいるうちに私もお腹が空いてきた。


「今日は、お二人にせっかく仙台まで来ていただいたのでぜひ食べていただきたいと思い、私からリクエストしました。楽しんでいただけると幸いです」


 先ほどまで来ていた少し明るい色のスーツではなく、白いワンピースに着替えていた。食事だから着替えたのだろうか。そう言うマナーなんてものはわからないけれども、あまりにもよく似合っている。


「お待たせいたしました。本日のメニューは四葉様からリクエストいただいた牛タンのステーキです。仙台名物ですので、楽しんでいただけると」


 焼きたてで油をぱちぱちと鳴らしているぶ厚い牛タンステーキは、きっと私がこれまでの人生で見た中で最も高級な食べ物だろう。ほどよく盛り付けられたサラダの横に、たっぷりと並べられた牛タンステーキ。思わず、喉がごくりとなった。そんなに感じていなかった空腹感が体の内側からあふれ出る。


「どうぞ、お召し上がりください」


 料理を運んできたのは今泉さん。ちょうど、この館を訪れた時に私のコートを預かってくれたメイドさんだった。年齢は、この館にいる人の中でもっとも私たち二人に近いけれども、仕事はテキパキとしていて笑顔も可愛らしい。まさに、理想のメイドさんといった感じだった。


「ありがとう、今泉さん。皆さんも準備が終われば休んでね」


「はい、ありがとうございます」


 今泉さんは、しっかりと体を曲げて頭を下げ、そのまま部屋から出ていった。


「では、いただきましょうか」


 四葉さんがそういうと、もう我慢もできなくなっていた私たちは、すぐに食べ始めた。慣れないナイフとフォークに悪戦苦闘しながらも、美しく焼かれた牛タンステーキの一切れを切り取った。ナイフの刃先が肉に触れた瞬間に、柔らかくそれは包まれて切り取られる。ステーキはそのまま、口の中へと滑り込んだ。その瞬間にステーキは口の中を温めていく。油がほろほろと口の中で溶けていく。


「はぁ、美味しい」


 思わず、そんな言葉が私の口から出てきた。ほっぺたがこぼれるという表現の意味が初めて理解できた気がする。口の中の溢れそうな唾液を、肉を飲み込むことで抑えながら、二口目へと進む。どんどん、体が次へとナイフとフォークを動かしてステーキを口へと運んでいく。手が脳の制御を受け付けていない。


「本当に美味しいわね」


 凪沙もどうやら同じことを思っていたらしく、私はなんとなく嬉しい気分になった。ただ、まだ口の中にステーキが残っているので喋らずに頷くだけに留める。結局、二人は一言もしゃべらず黙々と食事を続けてしまったが四葉さんはそんなに気を悪くした様子もなかった。


「お代わりもありますから、遠慮なくおっしゃってくださいね」


 四葉はそう言って、ステーキの皿を持って部屋を出ていく。どうやら、銀杏たちの食事風景が微笑ましかったらしい。恥ずかしくなってしまったが、それでも食べる手は止まらないし、それは凪沙も同じだった。


 再び、ドアが開いて冷たい風が舞い込んでくる。しかし、現れたのは四葉さんでも今泉さんでもなかった。私にとっては見知らぬ顔だけど、凪沙は平然としているらしい。この家にいる使用人で顔を合わせていないのは料理長で、それは高齢な女性だと聞いていた。そもそも、身にまとっているものは高級品だ。


 ただ、同じく高級品を纏っている四葉さんや増吉と違ってどこか品が無いというか、身に着けているものがギラギラとしたものばかりで統一感もない。自分も人のファッションに文句をつけられるような見た目をしているとは思わないけれど、まさに成金と聞いてイメージするような見た目をしていた。


「なんだ、こんながつがつと汚い食い方をする奴をこの家に入れたのは誰だよ。死んだ親父に申し訳が立たねえぞ。おい、柴崎」


「こちらの方々は四葉様が招かれた探偵さんと助手さんです。修一様」


 修一という名前を聞いて、私はその人が誰であるかを理解した。椋木修一むくのきしゅういち、増吉の長男に当たる人物だ。椋木家具の社長で、実物を見ると思い出したけどテレビでも何度か見かけたこともある。ただ、その見た目は椋木家具のホームページに載っていた写真とは似ても似つかないものだった。編集というのはすごい。


「なんだ、それなら四葉にお似合いだな。まあ、どうせ推理なんて面倒なことをしなくてもあいつが犯人なんだ。そうなれば、親父のお気に入りとか一番業績が伸びているとか関係なく長男である俺が椋木グループを継ぐことになる。今のうちに俺の側についておいたほうがいいんじゃないか?」


 そう言いながら、修一は煙草の煙を柴崎さんに向かってわざと吹きかけた。しかし、柴崎さんは表情を一つも崩さずに凪沙の向かいにある椅子を引く。しかし、修一はそれに座る様子は見せない。


「話を聞いていたのか? どう考えても、俺が座るべきはあの椅子だろう」


「いえ、まだ椋木家を継ぐ者が決まっていない以上は誰も座らないようにと増吉様が遺言を残されておりますので」


 柴崎さんが冷静に返事をすると、更に機嫌を悪くしたのか修一は顔を歪める。そして、テーブルに並べられていた皿に吸っていた煙草を押し付けて火を消した。なんとなく、椋木修一がどんな人間なのかはわかった気がする。柴崎さんはこんな男に付き従っていて良いのだろうか。


「後で俺の部屋に料理を運んで来い。いいな」


「畏まりました」


 柴崎さんが頭を下げている間に、修一はもう一度こちらに向かって蔑むような目で見た後に部屋から去っていった。私は思わず、凪沙と目を合わせる。そして、二人で大きなため息を付いた。それと入れ替わりに四葉さんが戻ってきて、料理を並べてくれる。しかし、皿に押し付けられたタバコからかすかに残る煙を見て何があったのかを察したみたいだ。こちらに向かって頭を下げる。


「うちの兄が失礼な態度をとってすみません。柴崎さんも大丈夫?」


「私は大丈夫です。こちらの皿を片付けてまいります」


 そう言いながら、柴崎さんが今度は部屋から去っていった。四葉さんが先ほどまで座っていた場所に座り、再び中断されていた夕食の時間が始まる。


「聞いてはいけないことかもしれないんですけど、修一さんが椋木グループで増吉さんの後を継ぐわけではないんですか?」


「そのことですか……」


 四葉さんは、明らかに戸惑っている様子だ。さすがに聞いてはいけないことかもしれないけれども、それでも推理の役に立つかもしれないのなら、それは私自身に課せられた役割として遂行しなければならなかった。やがて、四葉さんは話し出す。


「それが問題で、私たちも警察に連絡ができていないんです。本当なら長男である修一がグループを継ぐことが理想なのですが、兄が椋木家具に入ってから業績は右肩下がりで、役員たちからも慕われているとは言い難く……」


 それは確かだろうとさっきの一コマでも充分にわかった。柴崎さんを自分につけようとしているのも、自分が慕われていないことは十分に理解しているのだろう。


「そのため、外面を気にするのであれば兄が長男としてそのままグループを継いで、私たちでそれを支えることが理想なのですが、それは内部からの反発が強い。ですが、他の役員の方々に有難いことに支持をいただいている私では、兄たちが許さない上に、父を殺害した容疑者となってしまっているのでどうにも」


 なるほど、やっぱりお金持ちにはそれぞれ考えることもあるらしい。警察に下手に増吉が亡くなったいことを知らせて万が一にもそれが外に流れれば重大なニュースだ。後継者も決まっていないうちにそれが漏れると大きなお金が流れる。


「へぇ、お金持ちも大変なのね」


 十分にお金持ちと言えるだけの収入を得ている凪沙が、そう言いながらステーキを再び口に運んでいた。



「ふう」


 やがて、満腹になったころには二人のグラスは空になっていた。さすがに食べ過ぎだとは思うけれど、この満足感には何も言い返せない。二人ともお腹は服の上からでもわかるほどに膨らんで、私は履いてきたデニムの腰回りがすこしキツイと感じるほどだった。締めてなおしていたベルトを誰にもばれないように緩めた。


「あらあら、これはこれは」


 やがて、部屋へと入ってきた私たちは初めて見る六十歳くらいの女性は、二人が平らげた皿の跡を見て嬉しそうにしていた。ここまで会っていない館にいる人物で、高齢の女性は一人だけだった。おそらくこの館の料理長、久米くめミヨさんだろう。


「満足していただけたようで、なによりです」


 そういって、ぺこりと頭を下げる。それに倣って、私も頭を下げ返した。


「美味しかったです。ありがとうございました」


「ええ、本当にね」


 凪沙は満足そうにお腹をさする。その膨らんだお腹を見て、その女性はさらに口角をあげた。柔らかな笑顔には気品を感じる。きっと、昔はとても綺麗だったのだろう。修一も性格は悪いが、さすがに顔は整っている。やはりお金持ちやその周りにいる人たちは容姿まで整っているのかと少し打ちひしがれてしまう。


「満腹の様ですので、デザートは少し後に部屋までお持ちしましょうか」


「私もお腹がいっぱいだからそうしてもらえると嬉しいかな。お願いできるかしら、ミヨさん。なんなら、私が欲しくなったら取りに行くわ」


 四葉さんも少し膨らんだお腹をさすりながら、久米さんに向かって言った。


「もちろんでございます、お嬢様」


 久米さんは、ゆっくりと頭を下げると部屋を出ていった。私たちは体が重くてなかなか動く気にならず、四葉さんも同じなのか部屋に残っていた。


「あの、四葉さん。先ほどの久米さんで使用人の方は全員でしたよね」


 念のために確認しておくことにした。容疑者のリストを早めに作成しておきたい。


「ああ、紹介がまだでしたね。あの人は料理長のミヨさんです。たぶん、私が生まれる前からこの家にいる方で、あんまり雇われた経緯はわからないんですけれども」


「なるほど、いえ詮索するつもりはないんですけれども何がヒントになるかはわかりませんので。できるだけ早く、館にいらっしゃる方にお会いしたいのですが」


 基本的に、探偵だということである程度は理解してくれる人が多いけれど、やはり人にいろいろと探られるのは嫌だという人も一定数は存在する。仮に痛くない腹だとしても。特に、人の心があまり常識という定規では測れない凪沙に代わって、動機などの面を推察するのは私の主な役割だ。


「黒崎医師は夜型の人なのでそろそろ起きてくるかと思います。ですが、兄である英二と雄三に関しては修一よりも私の事を恐れていると思うので、なかなか」


 恐れているという言葉の意味がわからなかったところで質問しようとしたが、そのタイミングで再び扉が開いた。英二と雄三のどちらかが来たのかと、修一のコピーみたいな人が来たら嫌だなと思っていたら、どうやら違ったらしい。


「簡単な話ですよ。英二坊ちゃんも雄三坊ちゃんも強みがない。修一坊ちゃんは長男として生まれたこと、四葉お嬢様は椋木化粧品の業績が好調な事。その二人が現在の後継者争いの中で、もしも二人が結託するようなことがあれば英二坊ちゃんも雄三坊ちゃんもグループ内では立場がありません」


 そう言いながら入ってきたのは白衣を身にまとった男性だった。黒崎医師くろさきいしだろう。


「お二人もあまり、こんなことを言うのは失礼ですが経営能力が……」


 私はできるだけ失礼にならないように、明言は避けた。


「恥ずかしながら三人の兄は父の代から長年にわたってそれぞれのグループ子会社を支えてくださっている役員を始めとした重役の方々には信頼されておりませんし、この不景気なので仕方はないのですが兄たちが担当している会社はどれも業績が良くなく、グループ全体でなんとか会社同士の想定売り上げを補填している状態です」


「まあ、英二がやってる椋木文具と雄三の椋木食品も椋木グループの主力とは言い難いじゃない。グループの中心である銀行はまだ増吉を始めとした昔からの椋木グループで信頼できる人たちで運営されているし、新たに力を入れているインターネットの事業では修一たちよりも若い新卒登用から働いてきた人が社長についてる。要するに、増吉たちも子供の能力を見抜いていて、文具とか食品とか最悪の場合は他の会社に統合する形で売り払ってもグループとして大きな影響がないところを子供だからという理由で任せていただけ。死んだ人には聞けないけど、そんなとこでしょ」


「ご主人様には良くしてもらったので愛息たちを悪く言いたくはありませんが、おそらくはそうでしょうね。実際に、数年前に大きな病気をされたときにはかなりグループ全体のことを憂慮しておられた様子でしたから」


 黒崎医師は運ばれてきたステーキを食べながら話してくれる。


「その時に、何かグループ全体の後継者について明言はしていなかった?」


「当時と言っても五年以上は前ですが、まだ修一坊ちゃまをグループ全体から優秀で信頼できる役員を集めて支える。いわば現代の天皇制ですな。そういうものを想定していたんじゃないかと思います。遺言でもあればはっきりするんですが」


 遺言。間違いなく残すべきは、このグループは誰が継ぐべきかということと莫大な遺産をどのように分配するかということだろう。そうなるとやはり自殺ということには思えない。正式な形では不可能だろうが、手元にペンと紙がいくらでもある状況で青酸カリで殺されたなら、その二つくらいの事なら書けそうなものだ。


「四葉さんは、それを聞いてどう思いますか?」


「合理的な父らしい考え方だと思いますよ。仮に私が椋木グループを継ぐことになっても同じような形になったでしょうから。ただ、今は形の上で争っているとは言えども血を分けた兄弟ですからあまり兄のことを悪く言われるのは事実でも……」


「そうですね、変なことを言いました。では、また明日」


 黒崎医師はいつの間にか皿の上を平らげていた。もう定年間近の私のお父さんよりも年上に見えるのにステーキ一枚を平然と食べきっているのは凄い。


 夢中になっていて隣に座る凪沙のことを忘れていたけど、どうやらお腹がいっぱいでここにいるのが飽きたのか、部屋に帰りたそうにしている。さすがに移動などで疲れたのか、少し眠たそうだ。私と違って、さっきの間もずっと考えていたのだろう。


「じゃあ、すみません。そろそろ部屋まで戻らせていただきますね」


 私はそのまま凪沙の手を引いて、部屋へと戻る準備をする。お腹いっぱいで動きづらいけれども、体はさっき仮眠をとったおかげで元気だ。


「またあとで、デザートをお持ちしますね」


「よろしくお願いします。楽しみにしています」

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