第6話 出題編1-6 びしょ濡れの密室
「どうぞ、こちらがお二人のお部屋です。何かあればお申し付けください」
そう言い残して、中道さんは去っていった。荷物はテーブルの上に綺麗に並べて置かれ、品の良いアンティークが出迎えてくれた。凪沙はさっそく、部屋の端に準備されたベッドに寝転がってだらだらとしている。私は、とりあえず荷物の整理をすることにした。服ばかりなので、とりあえずハンガーにかけて並べていく。もしかすると架けている服よりも高級なんじゃないかと思うほどのハンガーが並べられていた。
なんだか体を動かしている方が頭も回る気がして、服を整理して今日の寝巻を凪沙の分も準備する。そういえばお風呂のことも気になる。一応、シャンプーとリンスは持ってきたけど、化粧品会社の女社長である四葉さんがどんなものを使っているのかは私も一人の女性として気になる。そんなことを考えていた時だった。
「ねえ」
凪沙が急に声をかけてきたので、私は慌てて振り返った。
「なんですか」
「ちょっとわからないことがあるから来てほしいんだけど」
手招きをされたので、私はそれに従った。凪沙は四葉さんに貰った館全体の見取り図を見ながら、いろいろと考えているらしい。ごろごろと動き回るせいで、先ほどまで綺麗に張られていたベッドのシーツが既によれている。
「仮に吹き矢を使用したとして、どれくらい大きいものなら、狙えるかしら?」
さあ、私は吹き矢なんて当たり前に使ったことがないのでわからない。ただ、ある程度は狙いが窓枠に載せれば固定できるから、増吉の体を覆うくらいの大きさならば狙えるんじゃないだろうか。もちろん、背中を狙う前提の話ではあるけれども。自分で言い出したのだが、さすがにチェアの背もたれの隙間は不可能だ。
「まあ、それくらいならできそうよね。うん、ありがとう」
私にはよくわからなかったけれどもどうやら凪沙は納得したらしい。どうしても頭に積んでいるエンジンが違うから、推理の速度が違う。だから、私は凪沙の推理を補足し、材料を与えることが仕事だと自分で認識している。
そう言ってから、凪沙は再び推理の海へと潜る。凪沙の好きなチョコレート菓子を準備していたのをベッドに向かって放り投げると、黙ってそれを食べだした。どうやら、そのチョコレートの中に入っている糖分が頭の回転には必要らしい。
「夕食までそんなに時間がないですから、食べ過ぎないでくださいね」
「わかってるわよ」
そう言いながら、凪沙は五個目のチョコレートに手を伸ばす。
「そういえば、部屋の構造はだいたい同じなんですね」
先ほど訪れた増吉の部屋と、私と凪沙の宿泊する客室はほとんど同じように見えた。少なくとも部屋のサイズは同じだろう。さすがに増吉の部屋にあったような独特の調度品は用意されていないけれども、部屋の広さや天井の高さは同じ。増吉の部屋はおそらく書斎だったろうから、ちょうど真ん中に机が置かれている。ちょうど、私が立っている場所あたりが部屋の中心で、窓までは五メートルもないはずだ。
「でも、もし吹き矢を放ったなら。外から撃ったことになるのか」
私は窓の外を見る。吹雪が窓を叩きつけるように吹いているその様は圧巻の光景だった。はたして、そんなに寒い状態で五メートルほど吹き矢を飛ばすために思い切り息を吸い込むことができるだろうか。それなら、ボウガンなどを準備したほうが良い気もするけれども、ボウガンなんてどこから入手するのかもわからない。
そもそも、吹き矢が目に入ったからと言ってそれにとらわれすぎではないだろうか。ある考えに固執すると、推理の間違いや停滞を招く恐れがある。
「まあ、でも。どっちにしろわからないなあ」
私は椅子に深く腰掛けて、目をつぶった。探偵助手としての経験が浅いだけに、凪沙の推理についていくだけでも精一杯だ。脳がヒートアップしているのを感じる。
「ねえねえ、お代わり」
名前を呼ばれて目を開ける。凪沙はちょうど、六個目のチョコレートを食べ終わったところだった。そして、その箱にはもう何も入っていない。箱を振ってアピールすると、カラカラと音が鳴った。
「もう、食べ過ぎないでくださいって言ったじゃないですか」
「別にいいじゃない。お腹が空いたんだから」
このままだと押し切られる可能性があったので、再び脳を起動させて私は反論する。手のかかる子供をあやしているような気分だ。
「でも、ここってたぶんとても豪華なお料理が出てくると思うんですよね。今の内からお腹を空かせておいたほうがいいと思うんですけど」
「……まあ、それもそうね」
そう言って、凪沙は黙ってしまった。どうやら、私の勝ちらしい。
「じゃあお代わりは我慢するから。ねえ、もう一回推理してみてよ。なにか考えるきっかけが欲しいわ。鍵となるのは毒入りの水と開けられた穴なのはわかるけど」
「そうですねえ……」
そうは言われても、なかなか推論をあげるのも難しい。なら、水を利用したと考えるのが普通だろうか。密室にするとき、あるいは毒を飲ませる時に。
「あの、部屋中が濡れていたという話が気になりますね」
「ああ、そう言えばそうね。考えることが多くて仕方がないわ」
凪沙はそう言ってから、ベッドの近くにあったサイドテーブルの上に置かれていた水差しを手に取るとコップに注いで一気に飲み干した。そして、二杯目を注ぎながら私に向かって質問する。パートナーとしては二度目の事件捜査だけれども、普段の生活から頼りにされているおかげか、今回はよく私の意見を聞いてくれている。
「なんで、部屋が濡れていたのかしらね」
「自然に考えれば、窓が開いていて吹き込んできた雪が部屋の温度で溶けたからだと思うんですけど。なんとなくそれだけではない気がするんですよね」
ただ、四葉さんの言い方はそういう意味で言ったわけではないと思う。そもそも、そこまで思い切り開くわけではない窓から差し込む量なんてたかが知れているし、部屋全体に雪が届くこともないだろう。数時間、窓を開けてから犯人が密室にしたのならともかく、そうなると行動の理由がわからない。
「じゃあ、増吉さんは自殺だったのかしら」
確かに凪沙の推理は筋が通っている。ただ、密室が作り上げられた原因としてはちょっと弱いんじゃないだろうか。そもそもなぜドアではなく窓から吹き矢を使ったのかという謎が残るし、さらに言えば吹き矢を仕込むくらいであれば普通に窓を外側から開ければいいはずだ。いや、そもそも吹き矢で増吉は殺害されたはずはない。
「そうね……確かにそうよね。じゃあ、何かしら」
凪沙は水差しを置いて、私の隣に座った。二人で頭をひねるが、なかなかいい考えが浮かばない。水、部屋全体を満たされた水。一つだけ案を思いついた。
「じゃあ、犯人は部屋中を水に満たしたんですよ。プールみたいに」
「へぇ、それで?」
凪沙は目をキラキラさせて、私のほうを見てくる。餌を求める動物みたいに、謎と特殊な発想を常に求めているのだ。
「そして、犯人はダイビングスウェットスーツを着ているんです。犯人はまず増吉さんを殺害。そのまま、あの狭い窓の隙間から抜け出します。普通なら通り抜けられないでしょうけど、女性でウエストも細い四葉さんやメイドさんなら、それも水中で摩擦が減っている中ならなんとか通り抜けられるんじゃないかって」
話しながら、あまりにも突飛すぎて少し恥ずかしくなる。凪沙はといえば、真剣に私の話を聞いてくれていた。
「なるほどね」
凪沙は二杯目の水を飲み干してから、ふぅと小さく息をついた。
「面白い推理ね。でも、それにはすぐに思いつくだけで二つ足りないことがあるわ」
「え?」
「部屋の作りがプールのように水すらも通さないほど完璧なつくりになっていたとしても、窓から抜け出してしまった後に残った水はどうするのか。窓よりも高い場所なら外へと流れるけれども、それよりも下に溜まった水が殺害から遺体発見までに乾ききるとは思わないわ。それともう一つ、濡れたダイビングスウェットスーツを着てこんな状況の外に出るなんて自殺行為よ。無事でいられるとは思わない。良くても体調は崩すだろうし、ひどければ凍傷や死亡よね」
「そ、そうですよね」
言われるとおりだ。コートを着込んでカイロをつけていても外に出たくないほどなのだ。そんな状態の外に濡れた体で出る時点で正気の沙汰じゃない。それは、実際に着込んで外に出た私や凪沙はよくわかっている。
「でも、あなたの発想力はやっぱりすごいわ。そんな方法、考えもつかなかった」
「そうですか? ありがとうございます」
両手を取り、見つめられながら素直に褒められて、私は照れてしまう。なんだか気恥ずかしくて、思わず目線が窓の外へと行く。すっかり暗くなり、吹雪が猛威を振るっているのが見えた。あまりにも鋭いそれに、飲み込まれてしまいそうな恐怖感を覚えた。凪沙は、そんな私の様子を見て小さく笑い、そのまま立ち上がった。
「なにかしら、部屋中が濡れていることはヒントになるには違いないわ。水を使って、鍵を外から送り込むのか、それとも水を使って外から増吉を殺害したのか」
「そうですね、現実的に考えればカギを送り込んだと考えるのが自然ですけど」
私は窓の外から視線を戻す。凪沙は部屋の中をいつの間にかうろうろと歩き回っていた。凪沙の言うように、部屋中が濡れているというヒントは重要だけれども、それがそのまま答えになるわけではない。そもそも、水で鍵を送り込むなんて現実的に考えて無理がある。ただ、部屋中がびしょ濡れという不自然な状況にすれば密室に見えにくくなるから、犯人が何かしらの目的で濡らしたのは間違いないだろう。
「問題なのは、増吉の机の上にカギがあったということ。仮に犯人がコントロール抜群で窓の外から窓枠を通して三メートルほど先の机に投げ込めたとしても、その手前に障害物になる増吉の体がある。一筋縄ではいかないわよね」
ぐるぐると歩き回る凪沙を横目に、私はようやく一息をつけた。きっとここで喫煙者なら煙草を口にしているだろう。そんなことをぼんやりと考えていると、いつの間にかまぶたがだんだんと下がってきて、私は久しぶりに眠りにつけた。