第15話 出題編2-7 残された手がかり
すぐに凪沙は私にそのトリックを説明してくれた。そして、それは確かにあの部屋で密室を作り上げるトリックだった。まさに穴一つもない完璧な論理だった。
「う~ん、なるほど。確かにそれなら密室になりますね。ただ、となるとそのトリックに必要なものを自然と用意できるのは……」
「いや、そこまでは憶測よ。それは確かにこのトリックには必要だけれどもその人が仕組んだことかはわからないわ。ひょっとしたらそれを見たことで犯人はこのトリックを思いついたのかもしれない」
まだ犯人は絞りきれない。ただ、これで一つの事件が解決した。残るは修一と英二の殺害について。修一の場合はどうやってこの吹雪の中でそんな遠いところにある池から館に向かって滑り降ろさせるところまで移動させる方法。そもそも、この深い雪ではボートの移動なんて困難を極める。しかも、仮にそれができるほどの力があったとしてもそんなに長時間、外にいれば体に影響が出るだろうし館の人間が誰かは気が付くはずだ。修一を殺害するためだけにわざわざそんなリスクを負わせてまで移動させる意味もわからない。どうやって移動させるのか。
「とりあえず、今日はもう何も思いつかないわ。頭が動いている気がしない」
「もしかして、風邪でも引いたんじゃないですか?」
凪沙はそう言って、そのままベッドに倒れ込む。私もとりあえずココアを飲み干して、片付けてから凪沙の隣に横たわった。先ほどまでだらだらと鼻水を垂らしていたのだから、それは不思議ではない。
「ああ、頭がヒートしてる。なんだか眠れない」
「なにかで冷やしたほうがいいですか?」
「じゃあ、これ貸して」
凪沙はぼんやりとした声で、私の手を取った。少し冷え性のきらいがある私の手は自分で触っていてもひんやりとして冷たい。それを凪沙はおでこや頬に当てていた。しかし、そのうち眠くなったのか私の手を握ったまま寝息が聞こえてくる。いつの間にか凪沙の手は緩んでいたから手を引き抜いて、私もゆっくりと目を閉じる。
吹雪はさらに激しくなり、私はその音に眠りを妨げられていた。眠りについた頃でも外は未だに銀色に染まっている。こうして布団に入っているのに眠れないでいると、いろいろと考えてしまう。柴崎さんから聞いた話、今泉さんから聞いた話、久米さんから聞いた話。あとは中道さんにも詳しく話を聞く必要がある。
凪沙が寝ているから今から何か動き回れるわけでもないし、私は犯人からすれば殺害する理由はないとはいえ何かを見つけてしまえば途端に危険になる。下手に動き回れば凪沙の言うように自分の身が危ない。だけど、このままじっとしているのももどかしい。凪沙によって温められた手と、もう片方の冷たいままの手を擦る。
雪の山荘で巻き起こる殺人事件。それはミステリーでは使い古された設定だ。これまで、探偵の助手として過去の殺人事件やミステリー小説をいくつも見てきたけれども、様々な手法を凝らして凪沙の様な探偵小説を書いている人たちは読者を混乱させてきた。犯人はどうやって修一と英二を殺害したのか。
それを考えるために、英二が殺害された地下の倉庫。そこで撮影した証拠の写真を再び見直す。どこか怪しいところはないか、部屋中荒らされて高そうなグラスやカーペットに地下だというのに高級な洋館だからか高い天井はドアから部屋中を加工用に建てられた棚からはるか高く上にある。
床、窓、壁、天井など隅々まで撮影していた。事務所の備品であるカメラは高性能で、オートフォーカスとか光量とかよくわからない私でも綺麗に隅々まで撮れていた。特に、散らばったガラスの破片はとてもきれいに映っている。柴崎さんによるとさすがに超が付くほどの高級品だったそうで、そういうものはやはり違うのか。
「て、あれ?」
一枚の写真に覚えた違和感。それを見つけると同時に英二の遺体を発見した瞬間の事を思い出す。目の前に広がるガラスの海。その真ん中には剣で胸元を貫かれた英二の遺体。答えはなんだと、他の画像もチェックしていると不可解な点が見つかる。
「探偵さん、探偵さん!」
私は興奮のままに既に眠りについていた探偵さんを叩き起こす。さすがに写真を撮影しているとはいえ、このまま謎を残したままで眠ってしまえば犯人がまだ私たちが気が付いていない証拠の隠滅に走る恐れもあるからできるだけ早く謎を解きたい。
「もう、なによ。ふわ~ぁ」
「そんな場合じゃないんですよ。この画像を見てください」
私は一番最初に違和感を覚えた画像をカメラの小さな画面に表示させた。寝ぼけ眼のままでも、凪沙は視力も良いからぼんやりとではあるが認識はできているだろう。私はできるだけわかりやすくするために画像をするすると変化させる。
「これって……」
「そうです。ドアから遠い場所のグラスは様々な方向に落ちて飛び散っているのに、英二の遺体付近やドアの周りに落ちているグラスは持ち手の部分がドアの方を向いているんですよ。これって、何かおかしくないですか?」
基本的にグラスが割れる場合はワインなどを入れる口側の部分だ。それは当たり前にそちらのほうが体積として大きく、床にぶつかるのが早いから。しかし、それによって残された持ち手の部分が全てドアの側を向いているのはおかしい。
「いや、違うわ。その逆よ」
「逆?」
「普通、壁に沿って配置されている棚のグラスが落ちる時は重い口側の部分が先に落ちていくから持ち手は棚の方向に、ひいてはドアに向かっているのが自然なの。むしろ変なのは窓側で割れているグラスの方。これがいったい……」
そこで凪沙の言葉が止まる。変な方向に落ちているグラス、英二があの倉庫で襲われたとしてもグラスなんてものを投げつけるよりも棒状のものはあそこならいくらでもあった。英二の胸元を貫いた剣だって、倉庫のものを使われていたし他にもいくつか備えられている。これが、意味するのはどういうことか。
私が思考を巡らせていると、凪沙が立ち上がった。
「いくわよ、すぐに倉庫を空けてもらって。スペアキーは中道さんに言えばいいのよね。私はすぐに靴を持ってくるから」
「どういうことですか?」
「まだ、犯人はおそらく決定的な証拠を地下の倉庫に残している。それを回収されてしまったら、おそらくこの事件を立証することすらもできない。それくらい狡猾な犯人ってことよ。完璧な流れに、完璧な行動。あの事件、いやそれ以上に手ごわいかもしれない。一刻も早く修一殺害の真相を解き明かさなきゃいけない」
「わ、わかりました!」
私は慌てて立ち上がり、中道さんを探す。できるだけこちらが動いていることを犯人に悟られると、今度はこちらの命も危なくなるとは凪沙にいつも言われていることだから、慎重に、その中でも急いで。三人もの人間を死に至らしめた犯人、一本だたらの正体がわからない状態では、変に人に出会うのも危険だ。
幸いなことにもう就寝の時間も近いからなのか、廊下にも厨房にもほとんど人はいなかった。がらんとした館の中で、私の分だけの足音が聞こえる。まずは中道さんの部屋を訪れる。しかし、出てきたのは黒崎医師だった。
「おや、これは助手の方。どうされましたか」
「実は、中道さんを探していて。運んでもらった荷物で見つからないものがあったので心当たりがないか聞きたかっただけなんですけれども……」
「そうですか。別に私は犯人ではないからそんなことを隠さなくても大丈夫ですよ。おそらく、もう探偵さんは犯人を絞ってその実証をしたいとかそういうところでしょう。ちなみに中道さんは外にいますよ、やってくる警察のために除雪だとか」
そう言いながら、黒崎医師から手渡されたのはスペアキーのまとめられたリングだった。いったい、彼はどこまでこちらの思考を見抜いているのかわからないけれども、それは後で考えればいいことだ。私は深く頭を下げて玄関に向かう。
「わかりました、ありがとうございます!」