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第14話 出題編2-6 白銀の先には

「ううっ、寒い」


 コートを着て、外に出るとやはり寒さが体中の細胞に押し寄せてきた。強い風と雪で、前はほとんど見えずにこの中を凪沙と私の二人だけで通ることは無謀だ。なんとか先導してくれている中道さんの背中に隠れながら、凪沙が迷子にならないようにと後ろにも気を配る。念のためにその後ろには木刀を持った今泉さんもいた。


 英二殺害のトリックが解けないまま、行き詰ってしまった私たちは吹雪がほんの少しだけましになったタイミングで凪沙の提案により修一を押しつぶしたボートがあったであろう場所を見に行くことにした。ただ、あくまでまっすぐに歩ける程度の吹雪になっただけで、依然として警察が来ることはできない。


 背後でそびえる六花館がどんどんと遠ざかっていく。さすがに慣れているのか中道さんたちの足取りは私たちに比べても軽やかだ。一方で凪沙はと言えば。


「ちょっと、私のほうに体重をかけてこないでくださいよ」


「ううう、寒いししんどいし、どうして雪なんて降るの?」


 東京から仙台に向かう新幹線であれほどまで叫んでいた人とは大違いだ。さすがにあの程度なら雪も可愛いものだろうけれど、ここまでになれば大自然の驚異というほかにない。このペースで振り続けていれば、夜のうちにすべての痕跡は跡形もなく雪によって消し去られてしまうだろう。


 犯人が人間なら、モーターボートをこの状況で動かすのはトリックがいるはず。


「それにしても、四葉さんはあまりにも軽やかに歩きますね」


「それはこの靴のおかげなんです。お二人の分までご用意できなくて申し訳ないんですけど、完全防水でしかも撥水はっすいコーティングもしてあるので」


「撥水コーティング?」


 私がその言葉を飲み込むのに時間がかかっていると、凪沙が小さな声で言う。


「撥水って言うのは水を弾く作用の事よ。靴の中に水が入らないように生地の時点で水を弾くのよ。後で見せてもらえばいいけれど、靴の表面に綺麗な水滴が残っているはず。車のボンネットやレインコートなんかにも加工することが多いわ」


「普段は安全靴などを使っているところに特注でお願いしたので、こんなことになるのなら予備をいくつか作ってもらっておけばよかった」


「四葉様、おそらくボートはここから放たれたのだろうと思います」


 中道さんが指し示す先、そこには確かに明確に雪が多かった。ボートを放たれた場所かはわからないが、何かしら人為的な力が加わったであろうことは容易に想像できてしまう。ここから見ると、視界の真ん中に薄く見える六花館は少し低く見える。深く積もった雪のせいで気が付かなかったが、どうやら傾斜があるらしい。


「さすがにこの雪ですから犯人の足跡らしきものは残っていませんね。私も詳しく全員の行動を見ていたわけではありませんが、お客様を連れているとはいえここまで来るのに今の時点で五分もかかっています。湖には更に五分はかかりますから、帰りも考慮すると手ぶらで行き来するだけで二十分ほど。そんなに長い間、姿が見えなかった人はいませんし、そうならさすがに気づいていると思います」


 中道さんの言う通り、ましてや今よりも吹雪が強い時間帯にそれ以上のスピードで雪中行軍を行うなど不可能だろう。なにより、犯人は船を移動させているのだ。それ以上の時間がかかるはずである。何より、ボートがぶつかった瞬間に私たちは現場に向かい、その後にすぐ全員が修一の部屋の前に集合していた。


 仮に船を移動させていたとしても、ここから落とされた船よりも速いスピードで館へと戻るなんて、それこそ妖怪でもない限りは不可能な気がする。


「ううっ、もう無理。湖なんてこの状況じゃいけやしないわ。すぐに戻りましょ、体調が悪く成れば推理どころじゃない」


「でも、もしも湖に何かトリックがあれば」


「さっき、中道さんも言ったでしょう。正攻法で修一をボートによって殺害しようと思えば、何かしらのトリックがいるの。ボートを動かす以前に、ここを往復する時間を短縮する方法が。それを思いつきさえすれば、ボートなんて最初からこの近くに隠しておいても夏季しか使わないものなんだからばれないわよ」


 なるほど。そうなれば時間はさらに短縮できる。ただ、まだ十分以上も時間がかかるという点では無理だ。凪沙はその方向からこの殺人の全貌を解き明かすことを諦めたのだろう。いや、単純に寒すぎるからというだけだろうか。



「しかし、酷く寒いわね」


 鼻水を垂らしながら、凪沙は全身で布団に包まっている。仕方なく私はその鼻水をティッシュで拭きながら、床暖房の温かさが少しでも感じられるように床に向かって手をかざしていた。しかし、寒いところに出たおかげか目はぱっちりと覚めて脳はよく回転している気がする。


「館に残っているのは中道さん、黒崎医師、久米さん、今泉さん、柴崎さん。そして現時点で館の主になった雄三さんと妹の四葉さんですね」


「この天候じゃやっぱり館のどこかに潜んでもいない限り他の人間である可能性はないと考えてもいいわ。うう、さぶいわ」


 しかし、先ほどの現場で凪沙が犯人と英二が揉みあったと推理している。そしてボートを移動させた方法はまだわからないけれどもそれなりに力がいるから久米さんの犯行とは考えづらい。同じく黒崎医師も高齢だが、男性だからまだ不可能ではないのだろうか。ただ、力があればできるという話でもない気がする。


「うう、ちょっと温かい飲み物とチョコレートをちょうだい」


「はいはい、ココアでいいですよね」


 凪沙の推理に必要な個包装のミルクチョコレートを自分と凪沙用の二つをテーブルの上に置いてから、渡曽は粉ココアを準備する。次に凪沙の方向へ向いた時にはそのチョコレートはどこかに消えてしまっていた。ココアを淹れるためにお湯を沸かしているときに私はあることを思い出した。


「そういえば、凪沙がチョコレート好きだって言ったら四葉さんがこれをくれたんですよ。渡すのを忘れてました」


 昨日の夜、ちょうど凪沙がシャワーを浴びているときに四葉さんが部屋に来てくれた。その時に四葉さんに何か差し入れは必要かと聞かれて凪沙がチョコレートを所望している事を伝えると朝には部屋の前に置いてあるテーブルにこれが置かれていた。明らかに外から見てもわかるほど高級そうな包装をされている。


「それを早く言いなさいよ」


 そう言って、私の手からチョコレートの箱をひったくるように凪沙は奪う。そして、適当に選んだものを口に放り込んだ。


「美味しい……口の中で蕩ける」


「ちょっと、私にもくださいよ」


 私も凪沙からチョコレートの箱を奪い返し、すぐさま一つを口の中に放り込んでみた。しかし、それは口膣にぶつかった感触がわからないほどすぐに溶けだして上品なチョコレートの甘さが口の中を支配していく。すべてを押し流してしまうようにチョコレートが口の中を侵食する。


「さすが高級なチョコレートはやっぱり違うんですね」


 私はチョコレートの美味しさに感動して思わず頬が緩んでしまう。しかし、凪沙は神妙な顔つきをしていた。


「しかし、糖分を取ったおかげでさらにおかしなところが目についてしまったわね」


「え、どこですか?」


 チョコレートと糖分は脳にとって最高の回復アイテムである。特に疲れたときなどはより一層の効果が期待できる。そのはずなのに、凪沙の顔は優れないどころかますます険しくなっていた。それを話す前にもう凪沙の口の中から消えてしまったのかチョコレートをもう一つ口に含んだ。


「まず、どうして物置で英二を殺害したのか。英二があの場所に行ったのは状況から考えても犯人に呼び出されたと考えるのが自然ね。ただ、増吉と修一が続けて殺害されている状況で英二をわざわざ二人きりになる場所に呼び出すなんて犯人の身も危ない。別に鍛えているわけでもないだろうけれども、警戒している成人男性を相手に完璧に制圧してなおかつ完璧にあの物置から地下の通路を使わずに消えることができるトリックを準備することができるほどの力がある人はいないように見える。もちろん、誰かが特殊な経歴を隠しているのかもしれないけれどもそれなら英二の部屋で殺害してもいいわけじゃない。密室というのは基本的に自殺に見せかけるために使われるトリック。増吉殺しだけなら自殺という可能性を私たちが考慮したみたいにね」


「でも、すでに二人を殺害している状況でそれをする理由がない」


 私の相槌に、凪沙は満足したように頷く。


「そう。しかも私たちはガラスが割れた音に反応した。それは、私たちがかなり地下の通路につながる階段の近くにいたから。その場所に人がいない可能性もあるから、物置にすぐに駆け付けるのかもわからない。いわば、この物置は犯人によって作り上げられた密室ではなくて偶発的な密室だった。意図して密室を作り上げるのならまだ未解決で事件が迷宮入りさせることも可能だけど、ここまで考え抜かれたトリックで二人を殺害した犯人がここにきて偶然に頼るかしら」


 確かにそれは不自然だった。あの時、私と凪沙、それに今泉さんが階段付近にいたのは偶然でしかない。それに、ガラスの割れる音も今泉さんと耳がいい凪沙しか気が付かなかった。私だけなら間違いなく気にならなかった。私の頭がこんがらがって湯気が出そうなほどショートしたところで、ちょうどお湯も沸いたらしい。ココアの粉をお湯に溶かして手渡すと、凪沙はすぐに口をつけた。


「熱い!」


「淹れたてなんですから当たり前ですよ。猫舌なんだから、しっかり冷ましてから飲んでください。ほら、こうすればいいんです」


 銀杏は自分の分も注いでから、二重窓の内側に入れた。東北地方の人は二重窓の内側を冷蔵庫代わりに使うと社会科の教科書で見た記憶があるから、そこの方が良く冷ませると思ったからだった。しかし、内側の窓を開けただけなのにかなり空気は冷たく感じる。


「先に増吉の方から考えましょ。こんな風に二重窓になっていて、その内側に外へ出られないように十字架で柵が立てられている。その隙間は私たちでも通り抜けることはできないのよね。そして、二重窓の鍵は両方開いていた」


「つまり脱出はできないけど何かしらその窓に細工をしたというのが自然ですか」


 完璧な密室を作り上げるのなら鍵を閉めるはずだ。これまでの経験が私の中でそんな結論を生む。しかし、十字架の柵は腕くらいしか通らないし窓の鍵は内側からしか閉められないから窓が両方空いていたのはわかる。


「そう考えると、一旦は部屋から脱出して鍵を内側に送り込んだというのが自然ね。ただ、腕しか通らないところからどうやって鍵を増吉の遺体という壁を越えてテーブルに置いたのか。一本だたらの伝承になぞらえるというのならばともかく、怪力という設定でボートを投げ飛ばす。さっきの英二殺害なら凍らせる。ただ、増吉だけはわからない。毒死には何かしらの意味があるの?」


「氷や怪力はともかく、毒は一本だたらとはなんの関連性もないですよね。無理やり部屋を濡らして雪が降っていたというのを演出したとか?」


「う~ん、増吉の遺体が濡れていたことに必然性はあるのか、それがトリックに関係があるのかよね。ただ、カモフラージュにしては残り二件も濡れているのが……」


 濡れていたことの必然性、水を使った密室トリックなのだろうか。そんな時、私の頭に一つのアイデアが浮かんだ。


「そうだ、鍵には確かキーリングが付いていましたよね!」


「うん、そうだけど」


 そう言って、凪沙は推理のヒントになるように借りてきた鍵を取り出す。そこには指が三本入るくらいの大きさのキーリングがついている。


「なにか棒みたいなものにこのキーリングを通すんですよ。それでその棒を十字架の柵、その隙間から通して傾ければするするって部屋の内側へ……」


「残念だけど、それは不可能ね」


 私が嬉しくなって声が大きくなったところを、凪沙は人差し指で制する。


「どうしてですか、いいアイデアだと思ったのに」


「もしも鍵が床に落ちていたのならまだわからなくもない。だけど、鍵の一つはテーブルの上。もう一つは増吉の膝の上。どう考えても窓の高さが足りない。窓の一番上までその棒を持ち上げたとしてもそんなに滑っていかないはずよ。でも、いいアイデアだと思うわ。何かしら棒状のもので鍵の行き先を……」


 そこまで言ったところで、凪沙の言葉が止まる。


「あの、探偵さん?」


「しっ、静かに」


 凪沙はそれだけ言って、静かになった。さすがにこの状態でしつこく声をかけると私は凪沙が不機嫌になるとわかっていたから黙ってココアを飲んでいた。どれくらいの時間が経っただろうか、それまでがちがちに固まっていた凪沙の顔がどんどん綻んでいく。雪が解けて、春を迎えるような温かさが感じられた。


「どうしたんですか?」


「わかったわ! これなら完璧よ。濡れていた部屋と窓に開けられた小さな穴。その先には転落防止の用の十字架の柵。その全てを突破する方法があったのよ!」

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