30代男性が補助輪付きの自転車に乗っていた
30代男性が補助輪付きの自転車に乗っていた。正確に言えば30代に"見える"男性だ。実際に聞いたわけじゃないから、20代ということもあるだろう。
背筋を伸ばして、凛とした顔つきで赤色の自転車を漕いでいた。颯爽と、肩で風を切っている。周囲には、補助輪のガラガラというやかましい音を鳴り響かせていた。
自転車のサイズ感が小さく、見るからに子ども用のものだとわかった。大人が楽に座れるように、サドルの高さを極限まで上げているのが印象的だった。
同じく自転車に乗っている僕は、二度見して、目が離せなくなってしまった。中学生の僕でさえ、補助輪はとっくの昔に卒業している。
大人で自転車に乗れない人も、子どものように補助輪を付けることがあるのだろうか。僕の親戚のおじちゃんも、自転車に乗れないけど車があるから、特に何も困っていないと言っていた。
補助輪を付けてまで自転車に乗る理由とは何だろうか。
暇だった僕は、30代男性に、こっそりついていくことにした。補助輪のガラガラという音は強烈だ。意識しなくても、勝手に耳に入ってくる。
前を歩いていた女子高生も、30代男性を二度見して、ギョッとしていた。お母さんに連れられたメガネをかけた子どもは数秒間、凝視していたほどだ。
30代男性のことは、「補助輪さん」と呼ぶことにする。
補助輪さんは、平坦な道を真っ直ぐに進んでいく。何の後ろめたさも感じない堂々とした姿勢に、尊敬の念を抱いてしまう。
僕も補助輪なしで自転車に乗れたのは、友達と比べても遅い方だった。たっちゃんからは「何で乗れないの? ダサ」と、面と向かって言われてしまったこともある。悔しかった僕は家に帰って泣いたから、今でも強く記憶に残っている。
だからこそ、補助輪さんの気持ちはわかる。「大人なのに自転車に乗れないのダサ」というようなバカにした気持ちは一切ない。
だけど、あまりにも堂々としているから、過去の自分にできなかったことを成し遂げている感じがして羨ましくもあった。
尊敬心と嫉妬心が入り混じり、僕は自転車のハンドルをギュッと握った。結局、好奇心が勝つので、僕はどこまでも補助輪さんについて行ってしまう。
緩やかな坂道が目の前に現れた。補助輪さんは立ち漕ぎを始めた。速い。やっぱり大人の体力なだけある。僕はついていくのに必死だった。
ガラガラという補助輪の音が周囲に鳴り響いているからか、僕が尾行をしても、怪しまれることはなかった。補助輪さんは今のところ、後ろを振り返ったり、急に自転車のスピードを上げたりすることもなかった。
途中、補助輪さんは自販機の前でピタッと止まる。どうやら水分補給のために、飲み物を買うらしい。
僕もできるだけ補助輪さんから離れた位置で、カゴに入れていた水筒の麦茶を飲んだ。美味しい。乾いた喉に沁みる味だ。
補助輪さんは、アイスコーヒーを買っていた。大人だ。補助輪を付けて自転車に乗るのは子どもっぽいけど、アイスコーヒーを選ぶところは大人っぽいと思った。アンバランスな印象を抱いてしまう。
そうこうしているうちに、補助輪さんはペダルに足をかけた。あ、先へ行ってしまう。
僕は慌てて追いかけようとした。周囲にはガラガラという音が、性懲りも無く響いている。
補助輪さんの背中を追っていると、見慣れない道に出た。
ピンクと白のコスモスが咲く空き地があったり、たぬきの大きな銅像がある蕎麦屋さんも発見できたりした。
見慣れた街であるはずなのに、知らない人についていくと、見える景色はすべて新鮮だった。
補助輪さんは、一度も後ろを振り向かなかった。行きたいところがあるようにも思えてきた。
よし。こうなったら、どこまでも補助輪さんについていこう。僕は固く決心した。
大通りに出ると、建物の陰に隠れて警察が一人で立っていた。まずい。このままだと補助輪さんは、職質をされるかもしれない。「大人なのに、何故、補助輪を付けて自転車に乗っているんですか」と、面と向かって言われるかもしれない。
僕がたっちゃんに自転車に乗れないことを指摘された時のような、惨めな気持ちに補助輪さんもなるかもしれない。
お願い。道を左折して、警察の視界に入らないルートを走ってくれないかな。
僕の願いも虚しく、補助輪さんは堂々とした態度で前へ進んでいく。警察が僕達に気付くのも時間の問題だった。
ええい。僕は自転車のスピードを上げて、補助輪さんの後ろにピタッとくっついた。
これで、親子が仲良く自転車乗りを楽しんでいるように見えるかもしれない。30代男性が補助輪付きの自転車に乗っていたら怪しく見えても、近くに子どもがいれば見方は変わる。
僕の読みは当たった。警察はこちらを一瞥したけど、深く追及する様子はなさそうだった。ホッとした。
補助輪さんは堂々と自転車を漕いでいたものの、警察の存在に気付いた瞬間、ワンテンポ遅れて慌て始めた。そして、初めて後ろを振り返り、僕の存在を認識した。
目と目が合ってしまった。僕は不意を突かれて驚いたけど、敬意を込めて会釈をした。
補助輪さんも、僕につられるように会釈を返してくれた。そして前を向き、何事もなかったかのように自転車を漕いだ。あいかわらずガラガラという音を鳴り響かせながら。
不思議な友情を感じた瞬間だった。
しかし、僕と補助輪さんのツーリングの旅にも終わりがやってくる。
まだ、一緒に自転車に乗っていられると思ったものの、補助輪さんは急に右折して、民家に入って行った。さすがに私有地には入れない。
僕は外から様子を見ることにした。
そしたら、家からは5〜6歳くらいの、小さな男の子が走って出てきた。
「パパー! おかえりー!」
そう言って、補助輪さんに抱きついた。
補助輪さんは、お父さんだったのだ。
「真也ただいま! パパが代わりに自転車に乗ったけど、何も壊れることなく、安全だったぞ。次の日曜日に、"ほし公園"に行って、少しずつ乗る練習してみような」
「うん! パパが乗れたなら、僕もう怖くないよー。頑張ってみる」
補助輪さんは、子どもが安全に乗れる自転車かを確かめるために、補助輪付きの自転車に乗っていたのだ。
庭で試し乗りするだけではなく、公道に出て、親目線で安全性を確かめていたのだ。
個性的な人だなと思ってしまってごめんなさい。補助輪さんは自分の正義があって、大人にもかかわらず補助輪付きの自転車に乗っていたのだ。
「あれー? 後ろにいるのだれー?」
まずい。補助輪さんの子どもが僕の存在に気付いた。目と目が合う前に帰ろう。僕は自転車をくるりと翻して、来た道を戻った。
数メートル自転車を走らせてから、僕の対応は逃げたみたいで失礼ではないかと気になった。
いや、これでいいんだ。ストーカーみたいに、補助輪さんについてきたことがわかれば、僕こそ警察を呼ばれてしまう。補助輪さんのように優しい大人なら、多分そんなことはしないと思うけど。
思いきって、補助輪さんについてきて良かった。あのまま家に帰ったら、街に補助輪を付けて自転車に乗っていた大人がいたと、偏見だけが残ってしまっただろう。
スッキリした僕は、柄にもなく自転車のベルをりんりんと鳴らした。耳の奥では、補助輪のガラガラという音がいつまでも離れなかった。