34:襲撃
ジルコニアとクロヴァは再び会場の中に戻った。
会場の中央には貴族たちが集まり、その輪の中から大きな笑い声が聞こえた。スペイドとダイヤがその中心におり、突然の婚約発表について周囲から祝福を受けているようだった。
ジルコニアは離れた場所からその様子を眺めた。人垣の間から見え隠れするスペイドの姿は、温和な笑顔を見せているように思えた。
そこから目をそらし、自身の足元に視線を落とした。彼に勝利した高揚感と、彼を打ち砕いた罪悪感で、睫毛がかすかに震える。
しかし罪悪感は不要だと思い直す。スペイドの身勝手な感情がすべての元凶なのだ。
「クロヴァ様の受けた苦痛に比べたら、生ぬるい対処でしたでしょうか」
「君が生きてさえいれば、他は何もいらない」
この言葉はクロヴァの本心だった。いままで繰り返した日々、主君への失望、これからも彼の元で仕え続けなければならない苦しみさえ、彼女を失うことに比べれば些細なことだった。
「お優しいですわね」
ジルコニアはクロヴァに笑みを向けた。
クロヴァは彼女が疲れた様子なのを見て、優しく声をかける。
「今夜は帰ろう。馬車で送って行く」
「お仕事はよろしいのですか?」
「元々は人数に入っていなかったから問題ない。警備の責任者に一言伝えるだけで済む。……陛下も、俺が側にいない方が心休まるだろう」
クロヴァは寂しそうな目で付け加えた。
そのとき、スペイドの従者が急ぎ足で近づいてきた。
「陛下より伝言です。婚約者様とのお話が終わりましたら、速やかに護衛の任に戻るように」
クロヴァは一瞬、驚きの表情を浮かべた後、困惑しながら呟いた。
「相変わらず、陛下の考えは読めないな……」
「クロヴァ様、大丈夫ですか?」
「心配いらない。もう迷うことはない」
クロヴァは微かに笑みを浮かべ、片手で彼女の手をそっと包み込んだ。指を滑らせるようにして細い指を持ち上げ、手の甲に軽い口づけをした。
「俺はあなただけのものです、我が姫」
クロヴァの瞳がジルコニアをまっすぐとらえ、彼女の心の奥を探るように細められた。ジルコニアは息をするのも忘れ、彼の瞳に魅入られた。
慣れた挨拶であるのに、彼の言葉に頬が赤くなる。
クロヴァは姿勢を正して、申し訳なさそうな顔で言った。
「ただ、君をひとりにしてしまうのが心苦しいな」
「顔見知りがいますから、心配ありませんよ。それにもうすぐ終わりの時間ですから」
お互いに視線を合わせ、微笑み合った。
クロヴァはジルコニアから離れ、スペイドのもとへと歩みを進めた。その姿に気づいたスペイドは、談笑していた人々の輪から自然な形で抜け出てクロヴァを迎えた。
スペイドが去った後も、その場の人々はダイヤと楽しげに談笑を続けていたが、ダイヤ自身はこの状況に少々圧倒されているようで、困惑したような笑顔を見せていた。
ジルコニアの方は、少し離れた位置にいた令嬢たちと合流したようだ。自然な笑顔で会話に加わる。
スペイドはその様子を遠くから眺めながら、口元に笑みを浮かべて言う。
「令嬢のままにしておくのは惜しい人材だな。彼女は群衆を惹きつける、扇動の天才だ」
クロヴァは両手を背中側で組み、直立不動の姿勢でそれを聞く。スペイドは反応のないクロヴァを見て、楽しそうに笑いながら言った。
「なにか言ったらどうだ、騎士団長殿」
「彼女の才能は、陛下が追い詰めたため芽を出したものです。これ以上、彼女に何を望むのですか」
クロヴァが無表情で冷ややかに言うのを、スペイドは意外そうな顔で受け止めた。
「そんな顔もできたのか」
「陛下のおかげで多くを学びました」
「相変わらず、皮肉が下手だな。しかし、意外と冷静で驚いた。本心では今すぐその剣で俺の首を刎ねたいだろうに」
スペイドが挑発的に言うと、クロヴァは彼の目をまっすぐに見て冷静に応えた。
「私の剣は国と民を守るためにあります。個人的な感情は職務に影響しません」
「……それは心強い。これからもその身を国家に捧げてくれ」
そのとき、会場の出入り口で小さな騒ぎが起こった。数人の招待客が扉の前の衛兵に詰め寄っている。
従者が急いで近づいてきて報告した。
「会場の扉が開かないようです」
「修繕工事をしたばかりだというのに」
スペイドは不機嫌そうに顔をしかめ、クロヴァの方を見て言う。
「蹴り破れないのか」
「無茶を言わないでください。私は攻城兵器ではありません」
「仕方ない、主催者用の扉を使え」
スペイドはため息をつきながら、会場の一番奥にある、金の飾りで縁取られた扉の方を見やる。
そして、その扉がすでに開いているのを見て、眉をひそめた。
「なぜ開いている?」
突然、開いた扉から武装した男たちがなだれ込んできた。
彼らは乱暴にテーブルを蹴倒しながら、迷いのない足取りで会場中へ散っていく。そして手早く出入口と窓の前に陣取った。
賊たちの顔は黒い布で覆われており、彼らの手には大振りの刃物が握られている。
部屋内は一瞬沈黙し、続いて恐怖による悲鳴が上がった。
会場に配備されていた警護の騎士たちは即座に反応し、剣を抜きながら大声で指示を出す。
「皆様、落ち着いてください!」
「出入り口は塞がれました、会場の中央に固まってください!」
「女性を内側へ!」
貴族たちは混乱しながらも、誘導に従って会場中央へとまとまっていった。騎士の指示通り、女性を真ん中に、男性がそれを囲む。さらに外側を騎士たちが守り、周囲の賊に剣を向けた。
賊が会場を取り囲むように立ち、中央に貴族と騎士たちが集まる形となった。
スペイドは集団から数歩離れた位置で、会場最奥の一段高くなった場所にいる、ひとりの賊に目を向けていた。その賊は壇上から会場内を観察しているようだった。
クロヴァはスペイドの隣で剣を構え、鋭い表情で周囲を警戒する。彼の目は一瞬、貴族たちの集団へと移り、ジルコニアとダイヤがその中心にいるのを確認した。心の中で安堵すると、その後すぐに注意を周囲の脅威に戻す。
会場が静まり返り、肌を刺すような張り詰めた緊張感で満たされた。
膠着状態になるのを待っていたのか、壇上に立つ賊が手に持った大振りの刃を振り上げて荒々しい声で叫んだ。
「聞け、この愚かな貴族ども! 国王の首を差し出せ、そうすればお前らの命は助けてやる。逆らう者は容赦なく斬り捨てる!」
賊の怒鳴り声が会場に響き渡ると、貴族たちは恐怖で顔色を失い、一斉にスペイドへ注目する。




