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越境(ショートショート)

作者: 月詠桔梗

【越境】


鏡に映る人を眺める。

比較的整った顔に

ほとんど治りかけの少しだけ荒れた肌。

鎖骨は浮き出ていて

肩の高さは左右で違う。

胸の大きさも左右で違って

片方の肋骨が飛び出ている。

足元に目をやると

左右非対称に歪んだ形の足がある。


これが私。


骨の異常は治らなくて

歪な見た目をしていて

痛みも伴うけど

普通に生活はできる。


でも歪んでなかったら、とたまに思う


薬が必要な自分になったから

骨の病気は必要なくなった、

ということだろうか。

なにか病気を患いたくて

誰かに心配されたくて

儚い存在になりたくて

しかたなかった。

だから脊椎側湾症だと診断された時

少しだけ嬉しかった私がいた。

でも今では心身の病気で

1日15錠の薬を飲む生活をしている。

だからだろうか、

脊椎側湾症はいらないと思った。


できるなら歪みのない美しい

左右対称の体が欲しいと思った。


できるなら痛みもない

体が欲しいと思った。


生きているだけで

寝ているだけで痛みがする。

息を吸うだけで痛みがする。


発症してからもう10年も経って慣れたけど

若いうちでこれなら

将来歳を取ったら

どうなってしまうんだろう。


それも怖いから

あまり長生きはしたくない。


できるだけ美しいままで

できるだけ痛くないままで

死ねたらいいと思っている。


でも私が年々患っていく病気は

どれも命には

関わりのないもので

でも生活上苦痛は感じるもので

薬と通院が必要なものばかり。


痛みと医療費がかさむばかりで

命は削られない。

けれど大切だったはずの彼女の命はいつの間にか削られてしまった。


だから苦しいまま

そして貧しいまま寂しさを抱えて

生きていかなきゃいけないんだと

悲しくなることがある。


【越境】


1


「…◯病の疑いがありますね。ゆっくり休むことが必要です。できるなら、お仕事も一度お休みして…」


医師の話はぼんやりと耳の中で消えていった。

精神病を患う人は身近にいたし、自分もその傾向があるとわかっていた。

けれどこう実際に言われてしまうと、整理できないざわめきが心に生まれた。


精神病を患う人は、自分を見過ぎなのだそうだ。でも鏡に映るのは、鏡からいつも自分を見ているのはまぎれもない自分で、自分から逃げることはできない。

自分の良いところも悪いところも全部受け入れて生きていかなきゃいけない。

人間にはそれが課せられている、と思う。


人間は自分に関わるものの話しかできない。自分の仕事の話、自分が好きなアイドルの話、自分がいま食べたいごはんの話…。どの話にも「自分」がいる。

自分の敵で自分の味方で絶対的理解者は自分なんだ。


それに気付いたところでなんということもなく

今までと同じように生きていくのだけど

人生は長く、短く、儚く、くどい。



2


魂は、痕跡に残るものだと思う。

その人が行った場所や大切にしていたものにはもちろん、足跡にさえも残る。

だから雨の日は多くの魂のカケラが地面に染み込む。


だからあの子と過ごしたあの街にはまだあの子と私の魂のカケラがある。

あの子が今もあそこで生きている。


「ねぇ、一緒に生きようね。」

あの子はそう言ったのに、もういない。


「ねぇ」が彼女の口癖で、何か話をするたびに彼女は文頭にそれを置いて私に話しかけた。


「ねぇ、今日は楽しかったよ。」

「ねぇ、嬉しすぎるよ。」

「ねぇ、なんで悲しいんだろ。」

「ねぇ、ひとりにしないでね。」


あの子の「ねぇ」の痕跡が私の鼓膜に残っている。



3


煌びやかなものよりも

繊細にきらめくものがいい。

弾む楽しさよりも

和やかな微笑みがいい。


そんな私は、同い年の子たちと元気にはしゃぐことができずにいた。


変わり者のあの子も浮いていたから、私たちは2人でよく過ごしていた。


特に話すわけでもないし、はしゃぐわけでもない。ただ2人で読書をしたり絵を描いたりして静かに時を過ごした。穏やかなその時間は心地よかった。

私は言葉を大切にしていて、選んでいるうちに話ができなくなるタチだった。

彼女はそれを理解してか、私に話すことを強要しなかった。

好きな本や絵で、お互いの感情を共有していた。それが私たちの遊びだった。


4


ある日、彼女は微笑まなくなった。

相変わらず文頭に「ねぇ」はつくけど

伝わった後の微笑みがなくなった。

私から珍しく「どうしたの」と問うこともあったけど

彼女は何も言わずにうつむくだけで何もわからなかった。


5


私の父も母も寡黙で、でも言葉を多く知っていた。知っているけれど使いこなせない静かな家だった。

たまに訪れる父の友人によれば、父は昔よく話す人だったそうだけど、寡黙な母と話すうちに疲れてしまったのか、諦めてしまったのか。

もしかすると選んだのかもしれない。

母は鬱気味で、しょっちゅう涙を流し、ちゃんと病院に行けばきっとそう診断されるであろうと素人でもわかるほどだった。

そんな母に、彼女の話をしたことがある。

「なんだか私たちと似ている子ね。」

と母は言った。



6


ぼそぼそと呟くように話すバス運転手の声を聞きながら、流れていく景色を見ていた。

景色は雨に濡れていて、いろんな人の痕跡だらけに思えた。

対向車から見ればバスに乗っている私も景色の中に流れているんだろう。

今日は彼女と遊ぶ約束をしていた。

もの静かなあの子と私が珍しく、遊園地で遊ぶことになっていた。

「ねぇ、遊園地いかない?」

彼女がそう言ったからだ。

バスに揺られた十数分。

古めいた遊園地が現れる。

その頃には雨はやみ、晴れ間が見えた。


彼女はもう到着していた。

最近の暗い表情の彼女の影はなかった。

ふふ、と嬉しそうに笑って私の腕を引っ張る。

「どうしたの」

と問うと

「ねぇ、あれに乗ろうよ」

と言ってメリーゴーランドを指差した。

ぐるぐる回りながら景色は溶けていく。

けれど隣の彼女は溶けずにふわふわ笑っていた。


そのあとも私たちは遊園地の魔法にかかった。

激しいものは苦手だから、ジェットコースターやコーヒーカップの魔法からは逃げたけど。


お化け屋敷に入ると、彼女は呟いた。

「ねぇ、今日は楽しかったよ」

「どうしたの」

私も楽しかったと伝えると

「ねぇ、嬉しすぎるよ」

と彼女は言う。

そう言ってもらえて嬉しいはずなのに

お化け屋敷の奥へ続く道は暗闇でいっぱいだった。


遊園地の門を出ると彼女は呪いを身にまとった。呪いが彼女の頬を伝う。

「ねぇ、なんで悲しいんだろ」

「どうしたの」

夕焼け色の彼女はなにも答えなかった。



7


「ねぇ、ひとりにしないでね」

「どうしたの」

ホームルーム後の空っぽの教室で彼女が呟いた。

歩み寄ったが彼女は俯いてしまう。

逆光のせいで表情は見えず、彼女がこの世のものでなくなったように思えた。


翌日、彼女は学校を休んだ。

「ねぇ、ひとりにしないでね」

彼女の言葉が頭をよぎるから

放課後、彼女の家を訪れた。

彼女は真っ青な顔をしていて

手足は細く、偽物のように白かった。

いつの間にこんなになっていたのか思い出せなかった。

彼女は何も言わなかった。

私は学校のプリントを渡したが、何も言えなくて、代わりに彼女の手を握った。

彼女の手はその見た目とは裏腹に熱を持っていた。


「どうしたの」

次に彼女の手を握った時、それは痛いほど冷たかった。

箱の中に横たわった彼女は何も言わなかった。



8


「ねぇ、一緒に生きようね」


いつかそう言っていたのに先に天へ還った彼女を今度は私があの街に置いてけぼりにして

私は違う街で大人になっていた。


彼女の痕跡はあの街だけじゃなくて

私にも遺されていると思う。

時折、彼女を思い出しては

重くて冷たくて、嘔吐してしまいそうな憧れと呪いに包まれる。

そんな日はもう何もできなくなる。

生きているのに死んでいるみたいだなと思う。

薬で脳を騙しながら日々を過ごすのは良いことなのかわからなかった。


けれどあまりにも彼女が頭をよぎるから

体に残った小さな力を振り絞って

あの街へ出かけた。



9


彼女はそこにいた。

彼女の痕跡は街中に漂っていた。

今座っている路面バスの椅子にさえも彼女の痕跡が残っているような気がした。

視界はぼやけて何も映してくれなかった。

ただ彼女のことが恋しくて、もう触れられない彼女の空気を抱いた。


バスは川を越えて停車した。

バスを降りて、灰色の中を歩き回り

彼女の墓を見つけた。

そこに彼女の痕跡があるかと言えば

なかったが、

そこに手を合わせるほかなかった。

歪んでいる、と思った。

本当はあの古めいた遊園地へ行くのが良いと思ったけど、遊園地は不景気によって閉園し、今では廃墟と化していた。

ただ、灰色を染める夕焼け色があの日とそっくりで

彼女の影があるような気がして

ぼやけていく景色を手の甲で拭いながら

彼女を探した。

ある時から浮遊感のある足を前に進めながら探した。

きっと呪いに濡れている彼女に

「どうしたの」

と問いかける。


これは呪いだ。自分を見過ぎた者への呪い。

まわりに目を向けられずに、助けも求められずに、私たちは呪いに呑み込まれてしまった。


それでも私は今もまだ呪いに耐え、非対称の自分を抱えながら境を越えずにいる。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

自分を見つめ過ぎないよう、お気をつけ下さい。

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