092 僕の誤謬(ごびゅう)〈 前 〉
92 93 は『“櫓”下の救急集中治療室』での続きの“ひと綴りの物語”です。前編・後編となります。
《 前 》
ご笑覧いただければ幸いです。
※注
白い◇は場面展開、間が空いた印です。
今、瞳孔をチェックすれば収縮反応が認められるだろう。判定では脳死判定はされない。ただ、添えている掌を少しでも離せば途端に心臓は止まり、血液の循環は滞り、呼吸も終息する。瞳孔も開いたまま二度と閉じない。やがて細胞の壊死が始まる。
心臓に刻んだ魔法陣章はただ機械的に心臓を動かすだけではなく、疑似脳幹としてその機能を負っている。僕から供給される魔理力体とリンクし、肺を動かすなどの生命維持に必要な機能制御を行っている。そのための生体電流の代わりのネットワークだ。
青白かった顔に赤みがさし、生気が戻っている。でもやっぱり別人にしか見えない。
僕が今やっていることは、植物状態なんて言い方さえが痴がましい、脳死のちょっと手前で止めているオママゴトだ。体のいい遺体衛生保全にほかならない。わかっていた。
手を離せば全てが終わる。
唐突だが彼女は魔女だ。だから兵站班に迎えられたし、“負荷超過”を顕現できた。
人の中で魔女・魔人と呼ばれる基準は、その豊富な魔力量を誇るが故と考えられている。
魔力素粒子は中天、太陽より降りそそぐ。本来ならその微細な粒子は簡単に透過してしまう。人も山も海も惑星さえも。その粒子を人体に留め置く術が魔術、留め置く量が魔力量。力に換える方法を魔法と呼ぶ。
稀に人の身で有りながら体内に魔力素粒子を生み出す小さな小さな恒星を秘める者がいる。
小さくとも恒星、一瞬で自らの宿主は勿論、周辺一帯をも焼き殺しかねない。だから亜次元というもう一つの違う世界の膜にて閉じ込められ、守られている。
その亜次元の強固な膜より滲み出す魔力素粒子の恩恵を受け、修練で自らの魔力量の嵩上げを可能とする“負荷超過”を顕現する者を総じて魔女・魔人と呼ぶ。天賦である者もあるが、後年、自ら開く者もいる。彼女は前者だ。
僕とパスを結べる条件が魔女・魔人となるが、勿論シヅキとはパスは通していない。他の兵站班の者とも。アラクネの彼女たちとは色々複雑な交流はあったが、それでも、通していない。誰とも。これからも誰かとパスを通すつもりはない。
ただ、シヅキとパスを通していれば、彼女は死ぬ事はなかったと思う。これから改めてパスを通してもこの状況を脱して生き返ることはない。ただし。
〈∮ 検索及び検証考察結果を報告。
可能です。
ですが、お勧めはしません。それは人の世の禁忌に該当します。
公彦が、背負い込む必要は有りません。
と結論 ∮〉
「シヅキ?……シヅキだよな。何を呑気に寝てんだよシヅキ。何やってんだよハムさんよ!」
振り返ると抱えていた同僚をその場に落とし、こちらに駆け寄る年若い槍使いがいた。あまりの悲愴に顔を歪め。
それをその細い腕の、何処にそんな力を秘めているのか不思議なほど鋭く力強い拳を綺麗なフォームで槍使いの少年の顔面真ん中に叩き込み、壁際まで吹っ飛ばしたカスミさんがいた。そして。
「ジンク、まずは自分の仕事をしな。此処は救急集中治療室だ。負傷兵を運んできたんだろ。ならこっちの診察台に乗せな。そして状況を説明しな。それがオマエの今できるただ一つのことだ」
と、平たい半ドーナッツ形状の治癒装置を“表象印契”で操作するアイナさんが語句とは反する優しいく、諭すような声で言い放す。
「母さんは甘いわ、うちらの家族に泥を塗るような真似は許さないよ。このバカ愚弟が」
「……姉ちゃん、母ちゃん?」
勿論のこと、そんなはっきりした発音じゃなかった。実際には派手に鼻血を吹き出させ、モゴモゴ何を言っているか解らなかったがそこはまあ、そうじゃないかと。
見かねたそんな、壁際に座り込みこちらを見上げるだけの最年少スピアの口に、キラナが治癒ポーションを突っ込み。
「ほんと、しっかりなよ。そんなんじゃ本当にシヅキに笑われるよ」
キラナは魔女っ子四人組の長女でギャル子だ。
思い出した。昨日の夕方、シヅキを間に挟んで『矛楯』激突の甘スッぺー春が青なトライアングルの槍の子だ。即ち鳥頭ヤンキー。テッパチ被ってて分からなかった。そう言えばさっきの歯ッ欠けイケメンが盾の方か。
なるほど。学園モノなら笑い話しだが、事が戦争モノだと此処まで悲惨になるのか。やっぱり戦争は嫌だ。
槍使いはキラナに手伝ってもらいながら負傷兵を診察台に寝かせる。終始シヅキに視線を彷徨わせながら。全身オコリのように全身震わせながら。
「し、刺突爪による頭部への裂傷一箇所、です。受傷時、支給品の戦闘帽ではなく、……旧装備の兜を装着、していました。直ぐに治癒ポーション一本を口径摂取させまし、たが、頭部創傷は治癒し……たと思われますが、引き続き意識混濁、がみられ、戦闘不能、と判断しリ、離脱サ、させました。
……なあ、シヅキは生きてんだよな。治るんだろう」
その問いに応える者はいない。勿論僕も。
「何人かは拒否する者が出るとは思ってたんだけどな。見た目ペラペラでオモチャみたいだもんね、仕方ないんだけどね。早々に被害者が出たならこれまでだね。タンク、スピア両組の兵站班へ通達、今直ぐにテッパチへの総換を徹底させて。現場にも持ってきていないようなら予備品を支給しちゃって。それで今日は乗り越えよう」
「オイてめえ、聞いてんのか? シヅキは大丈夫かって聞いてんだよ!」
再度詰め寄ろうとするも、僕の腕がそのまま彼女の胸の中に差し込まれている異様を見て、動きを止める。
「何を、してんだよ」
僕は真っ直ぐに彼の目を見る。彼も逸らさず、見返してくる。
「まずは君が運んできた負傷兵だ。今直ぐシヅキさんがどうこうなるわけじゃない。カスミさん、どうですか?」
「頭部裂傷は頭蓋も含めて治癒完了しています。脳内の梗塞も出血も見当たりません。その他身体的な受傷確認できず。
自己呼吸確認、心拍やや遅いですが確認できます。瞳孔収縮反応有り。血圧上が百十、下が七十とやや低めですが正常。膝蓋腱反射も正常です。脊髄には問題ないと考えられます。初期投与の治癒ポーションが上手く機能したようです。ただし、意識消失状態が続いています。単純な外部刺激にても反応は鈍いです」
カスミさんは単純な“表象印契”が少し苦手だ。その代わり“鑑識”能力が飛び抜けており、範囲も広く、何より、診た情報郡を統合整理して一段も二段も上の情報に辿り着く能力を有している。似非なんかよりもよっぽど頼りになるし、人望も厚く、実質的なギルド内アラクネの次期リーダだ。
「脳は、複雑なんだよ。記憶とか感情とか、色々とね。でもマゴマゴしているとそれこそ無事だったはずの身体の方が駄目になってしまうからね。直ぐにポーションを摂取するのは仕方ないんだけど。脳の細胞は再生できても、記憶とかの生の情報系は無理だからね。その為の“テッパチ”なんだけど。
今は脳が無くした情報の補完のための整理中ってとこかな。そのまま安静にしておけばいずれ目が覚めると思う。目覚めた時、何処まで受傷前の記憶が在るのか、無いのかはわからないけどね」
「オイ、ヤツの処置は終わったんだろ。シヅキの事だ。どうなっている」
「愚弟くん、君のテッパチにも彼と同じ箇所に傷が見られるね。その跡の様子からすると、たぶん君が旧兜を被っていたなら致命傷だったね。ポーションも効かない即死状態だった。ラッキーだったね、僕に感謝だね。それと、隊に戻る時には予備のテッパチに変えてね。一度衝撃を受けると衝撃に弱くなるから。二度目は無いんだ。
兵站班に追加伝達。一度カトンボからの攻撃を受けたテッパチはすぐに変えるように。転んだぐらいじゃ大丈夫だけどね。判断は兵站班員に任せる。数も無限にある訳じゃない」
「おい、いい加減に」
「煩いなオマエ。ギャーギャー。俺はお前に答えてやる義務はない」
とっさに僕の襟首を掴もうと手が伸びる。短気なヤツ。
「この手がシヅキから離れたら、終るぞ」
ヤンキーの手が首から五ミリの隙間を残して止まる。
はぁ……。若い兵隊って、なんて無力なんだろう。そしてそれに追い打ちを掛けなければならない僕って……。
「いいよ、答えてあげるよ。シヅキさんはね、死んだんだ。即死状態だった」
「冗談言うなよ。オマエの手が胸に入ってる以外はただ寝てるようにしか見えないぞ」
「本当にそうか? この御遺体は、本当に君が知っているシヅキさんか? 解らなくなって、混乱して、だから僕にこれほど詰め寄って、大丈夫だって言って欲しかったんじゃないのか? わかっているんだろう。もう、シヅキさんは、いないんだよ」
僕の首に伸ばしていた両手をそのまま、横たわるシヅキだったモノの頬を包み込むように。愛おしそうに。
「ゴメンな、変な期待をさせて。俺の我儘で此処までシヅキさんの死を弄んでしまった。本当に申し訳なく思っている。だから、もう終わりにしようと思っている。アラクネの皆にも不快な思いをさせてしまった。申し訳ない。いま、終るよ」
引き抜こうとした僕の腕を止めたのはカスミさんだった。
「ここまで振り回しといて、ゴメンの一言でケツを捲くれるとは思わないでほしいねマスターさん。
まだだ、まだ終わりにはしないよ。そして」
カスミさんは傍らの自分の弟の頭を思い切り叩き。
「シッカリおし、ジンク! あんたはどうしたいんだい。アラクネの男としてここが突っ張りどころだよ。漢を見せな」
ジンクは頬に充てがっていた両手を離すとそれを自分の腿の上に、俺に向き合い、九十度に腰を折った。
「あんたは死んでると言った。でもまだ暖かかった。オレは諦められない。どうか、お願いします。シヅキを生き返られて下さい」
「神じゃない。死ねば、人として蘇ることは出来ない。それが摂理だ」
「それは、人じゃなければ生き返させることが出来るって事かい?」
と、カスミさん。
「それでも、理不尽をひっくり返し、ココまで私達を引っ張り込んだのはアンタだろマスター。あんたが採算もなくこんな分かり切った事をするとは思わない」
「……人ではなくなくなるってことが、わかってるのかい。それに、たとえ生き返ったとしても、元の人格や記憶を持っているとは限らない。姿形も全く別の」
「どれでもオレは!」
「黙って聞け! 最悪なのは、元の記憶がそのままで、姿が化け物に変わる場合も在るってことだ。
もっと最悪なのは……、シヅキ自身が、耐えられなかったら……」
「……それでも、オレは、オレは生きていてもらいたい。最後まで、オレが側にいる。オレが支える。それでも、……それでもシヅキが望むなら、もうダメなら。オレがオレの槍でトドメを刺してやる」
「傲慢だな」
「それをあんたが言うかい、マスター。
いいんだよ、アラクネはバカだから。女も男も。そして家族だ。
この愚弟が失くったら、アタシらがやるよ。
だから、あんたに、マスターに責任取れなんて言いやしないよ」
〈∮ 検索及び検証考察結果を報告。
お嬢さん、聞こえていないと思いますけど、責任取らなくていいって言われてワッショイ出来るイイ性格してたら、だいたい此処に留まってたりはしていませんよ。これで三人目ですかね、マスター。
と結論 ∮〉
マスターは止せ。
解っていない。アラクネも、似非も。ただ、俺が耐えられないんだ。嫌なんだよ。……辛いの。もう。
お読み頂き、誠にありがとうございます。
よろしければ次話もお読み頂ければ幸いです。




