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アクレスは館の二階から飛び降りる。打ち上げられたエナスは空中で体勢を立て直すと、大きな砂埃を上げて着地した。
「メテア」と名前を呼ぶと、アクレスの右肩に二対の腕を持った赤い小人が現れた。
「お前にはどう見える?」
尋ねると、メテアは苦い顔でエナスを見る。
『君らが「魔獣」と呼ぶ存在と同じだよ。精霊を取り込んだんだ』
「精霊を?」
『過去に存在した技術だよ。人間が詳しく知る必要はない』
メテアは強引にそこで切ると、『それより』と話を変えた。
『本当にここで良いの?』
その問いかけに、アクレスは無言で頷いて剣を構える。しかし、メテアは見透かしたように『ふーん』と呟くと、背中の羽でふわりと飛んで姿を消した。
脈動するように揺れる大地。エナスの高鳴る鼓動に合わせて、その震えは次第に力強さを増していく。
アクレスが剣を振るうと、その大地を覆うように赤い炎が広がった。もう言葉を発する余裕はない。「これで満足か」という目でエナスを睨みつけると、彼は嬉しそうな顔で拳を構える。
先に動いたのはエナスだった。
構えた拳を大きく振りかぶり、揺れる地面を殴りつける。大地が割れる代わりに、今度は周囲の地面が大波のように膨れ上がって、アクレスを飲み込まんと襲い掛かってきた。
それを見て、アクレスは大きく剣を振り回す。ぱっと鮮やかに燃え上がった炎は途端にその勢いを強め、まるで一匹の大蛇がとぐろを巻くように彼の周囲をうずまき始める。やがて、土砂の大波がアクレスの目前まで迫った時、赤色の大蛇は縮められたバネが弾けるように、その身を大波へと叩きつけた。
巻き起こる爆発と、嵐のように吹き荒れる熱風。大波はその動きを止め、壁となってアクレスの前に立ちはだかる。
剣を地面に突き立てて熱風に耐えるアクレスに対し、エナスは土砂の壁に開いた風穴から飛び出した。
無防備になったアクレスに、エナスの拳が迫る。しかし、彼の目はその後ろで光る銃口を捉えた。
瞬時に身体を捻るエナス。しかし躱しきれず、放たれた熱線は彼の下顎を貫いて、背後の土砂を熔かして大穴を開ける。
「ぬぅんッ!」
すかさずアクレスは間合いを詰めると、エナスの身体を剣で弾き飛ばした。
「………………ッふ……ぐ」
追撃に向かおうとしたアクレスだが、その脚は前へ進むこと無く、ドサリとその場で膝をついた。口から、耳から、ボタボタと鮮血が溢れる。
『そろそろだよ』
耳元でメテアが呟いた。手からガタンと剣が落ちる。
『僕は五年前で満足した。君はどうだい?』
「…………まだ」
『強欲だね、君も。だけど、もう気合でなんとかなるものでもないよ』
顔を上げると、狭窄する世界の中で、エナスが立ち上がる姿が見えた。
泥の左腕は形を失い、足元はふらついていた。視界が悪いのか、下顎を無くした顔でしきりに辺りを見回している。だが、やがてアクレスの姿を認めると、その目が嬉しそうに笑った。
「アクレスさん!」
ヘクターは駆け寄ると、懐から腕輪を取り出してアクレスの腕にはめる。
「………………テア…………まだ………………ない…………………」
「なにブツブツ言ってんですか! 自分で立てますか?」
一度アクレスは咳き込むと、呼吸を整えて尋ねた。
「エナスは………………」
「あれは…………、もう行きましたよ。追わずとも、あの傷じゃ間もなく事切れます」
「腕輪…………」
「ソフィアさんが予備を持たせてくれたんです。もしかしたら使うかもしれない、って」
ヘクターはアクレスの肩を担ぎ起こそうとする。
「帰りますよ。みんなが待ってます」
「あぁ…………」
アクレスは落とした剣を拾い上げると、ヘクターに助けられながら館を背に歩き出した。
◇◇◇
白老山の麓にある花屋で、フローラは街へ卸す花を荷車に積みながら、不意に森へと目を向ける。
リリアたちから少し遅れて花屋へ運ばれてきた大男。彼が五年前の戦争の英雄だと知ったのは、地震から数日後のことだ。軍服を着た人々がやってきて、アクレスのことを黙っているように言われたのである。その際、口止め料ということなのか、彼らは店の花をとんでもなく割高な値段で買って帰っていった。
店の前の道には、見慣れない轍が続いている。「地震の原因調査」として森へ入っていった調査隊が残していったものだ。森の入口には立入禁止の看板が立てられている。
「お父さーん。お店頼んだよー」
フローラが店に声を掛けると、店内からは「ほいよ」と老人の声が返ってくる。
幸い、店裏の花畑には全く被害はなく、店も地震で崩れるようなことは無かった。お陰で、フローラは以前と変わらない日常を過ごしていた。
ただ、一つだけ。彼女には気がかりなことがある。店の常連が一人、森の中に住んでいるはずなのだ。
立入禁止の文字を見て、フローラはため息を吐く。
「まぁ………………、私があまり立ち入るべきじゃないか」
彼の袖口から、奇妙な刺青が見えたことがある。首元にある痛々しい傷跡も、時折見せる鋭すぎる目つきも。彼は何も話さずとも、彼自身が何者なのかを物語っているようだった。
それでも、花を見つめる彼の純粋な目に、無骨な手で花を撫でようとする彼の無邪気さに嘘は無かった。花屋の客でいるには、それだけで十分だった。
あの日、彼の身に何が起こったのか。運ばれてきたアクレス達を見て、フローラも何となく分かっていた。
ただ、それでももう一度。もう一度だけ、彼に会いたかった。
「じゃ、いってきまー………………」
出発しようとしたフローラの目に、巨大なオオカミの影が映った。二足歩行で片腕の無い、あの日見たオオカミの化け物が、森の草陰からこちらを伺っていたのである。
フローラは荷車を置くと、引き寄せられるように森へと歩き出した。
オオカミの化け物が恐ろしくないわけではない。しかしそれ以上に、それの背中に見えた男に目を奪われたのだ。
男は左腕を無くし、全身に血と泥の混ざったものがこびり付いていた。はっきりとは確認できないが、顔の下半分が抉れたように無くなっているようにも見える。
「エナス…………さん?」
以前、筆談で目にした男の名前を呼んでいた。すると、化け物の背中でピクリとも動かなかった男が顔を上げた。
「エナスさ………………ぅぅう…………」
それ以上、言葉が出なかった。
駆け寄ると、オオカミは背中のエナスをゆっくりと地面へ降ろした。
フローラの目から、止めどなく涙がこぼれ落ちる。エナスは右手を自身の懐へ伸ばすと、そこから一輪の花を取り出した。
透明な花びらを持った、小さな美しい花を。
「氷晶花………………」
震える手で受け取るフローラ。エナスは満足げに笑うと、ゆっくりと目を閉じた。




