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鴉は彰の顔を見て、あからさまに不愉快そうな顔をする。
「よう、クソガキども」
「何の用だ、鴉」
「あぁ? 偶然だ、偶然。九頭龍も解散して…………ゲホッ………………ゴホッ……」
彼は急に咳き込むと、二人にナイフを向けたまま赤い血の混じった痰を吐き捨てた。それを見て、彼は「…………ぁあ」と呟いて笑う。
「よう、リリア。最近、お前の親父が『さっさと来い』ってうるせぇんだよ…………」
鴉の目が二人を向いた。もうその顔に笑みはない。
彰の背後でビュンと風を切る音がした。リリアが糸を張った音だ。彰も剣を握る手に力が籠もる。
「ただ、一人旅ってのも寂しいだろ? 一人か二人…………、道連れが欲しいんだ」
語気は静かだが、冷たく突き刺すような殺気を持っていた。彼が持っていた、どこか軽薄な雰囲気はとうに消え去り、純粋な殺意を剥き出しにしている。
まるで別人にさえ見えるその姿は、彰はもちろん、長い期間を共にしていたリリアでさえも見たことがなかった。
彰は振り返らずに小声で言う。
「…………最優先は『逃げ』だぞ」
「………………分かってる」
リリアは静かに短刀を抜くと、警戒しながら鴉に尋ねた。
「一つ、聞かせて」
「なんだ?」
「どうして父さんを殺したの?」
「………………掟に従った。それだけだ」
「それじゃあ、どうしてアタシを殺さなかったの? あの日、あの森で父さんを刺した後、アタシはアンタと目が合った。その時、どうして…………」
すると、それを遮るように、鴉は持っていたナイフを中に放った。そのナイフは、空中でピタリと止まって刃先を二人に向ける。
「あの世でゆっくり教えてやるよ」
言い終わると同時に、彼は懐から複数のナイフを取り出して宙へ放った。各指にはめられた趣味の悪い指輪が輝き、計十本のナイフが、彼の周囲を取り囲むように円形に並ぶ。更に、腰から鉈のような刃物を抜いて構えた。
「隙を見てリリアは逃げろ!」
彰の言葉を聞いた鴉は、眉をひそめて彰を睨みつけた。
「俺が守る、ってか? やってみろよ」
その言葉と同時に、宙を漂っていた十本のナイフが飛び出した。一本は真っ直ぐに、一本は大きく迂回しながら、それぞれが異なる軌道を描いて二人へと襲いかかる。
だが、二人に動じる様子はない。
彰は短く息を吐くと、間合いに入ったナイフを全て剣で叩き落とした。直後、リリアは彰の背中を飛び越え、驚く鴉の喉元へと短刀を滑り込ませた。
すんでのところで躱した鴉は、大きく飛びのいた。地面へ落ちたナイフも、彼の元へと帰っていく。
リリアは刃先に微かに血の付いた短刀を向けて言った。
「あの頃のアタシ達だと思った?」
鴉は頬に付いた小さな切り傷を親指で拭うと、嬉しそうに笑って「ガキが……」と呟いた。だが、次の瞬間にはその笑みは消え、再び空気がピンと張りつめる。
「構えろ」
鴉は二人に言った。彰とリリアは各々武器を構え、彼の動きに注視する。
「行くぞ」
短い言葉の後、鴉は呼吸を整えて地を蹴った。同時に、十本のナイフも彼を追って空気を裂きながら飛んでいく。
それを見て、彰は素早く前に飛び出した。
手数では圧倒的に負けている。だが、それを封じる手に気付いたのだ。
これまでの彼のナイフの挙動を見ていると、「攻撃」した後には必ず鴉の元へと帰っている。先ほど叩き落としたナイフも、続けて二人を襲うことはせずに帰っていった。
つまり、一度「攻撃」に使用されたナイフを叩き落としてしまえば、それが帰っていくまでの間、彼はナイフは使用できない。
飛び出してきた彰を見て、鴉は十本のナイフを放った。
これも彰の想定通り。これまでの行動から見て、彼は自ら進んで手を下すようなタイプではない。まして、剣を持った彰とは初めての戦闘である。慎重な彼がナイフで牽制することは容易に想像できた。
そして今の彰ならば、飛んでくるナイフの軌道を読むことは容易い。彰はナイフの軌道上に鋭く剣を走らせ、十本全てを地面へ叩き落として見せた。
これで、手数を封じた。あとは鴉一人。
見ると、彼は鉈を大きく振りかぶって、彰に斬りかかろうとしていた。それを躱すほどの、ましてや振りかぶった彼の胴を斬りつけるほどの時間的猶予はない。一度、攻撃を受け止めて、カウンターを叩きこむ方が確実である。
縦の大振り。彰はその斬撃に対して、剣を横に構えた。しかし。
「え――――」
彰の手に伝わったのは、あまりにも軽い感触。重い一撃となるはずだった鉈は、使用者であった鴉の手を離れて宙を舞っていた。
一瞬の硬直。それだけで、鴉には十分だった。
彼は素早く身体を丸めて彰の懐へ入り込むと、胸元に潜ませていた小さな刃を彰の胸へと突き立てた。
「急所は避けたか」
鴉が呟いた。
彼の狙いは心臓。しかし、刃が貫いていたのは彰の脇腹であった。彰は反射的に躱そうとしていたのである。
「――――ッらぁあ!」
振り下ろされた剣を、鴉は素早い身のこなしで避ける。そして、痛みによろけた彰の脚へ再びナイフを突き立てた。
「っクソ!」
大振りの彰の剣は当たるはずもなく、鴉は素早く飛びのいて指を鳴らした。それを合図に、地面へ突き刺さっていたナイフが彼の周りへと集まっていく。
剣に縋るようにして立つ彰を見て、鴉は尋ねた。
「本当に守れんのか? お前に」
「んだと…………?」
「俺の質問に答えろ」
低い声で彼は再び尋ねた。
「お前みてぇなガキがリリアを守れんのか?」
彰の返答を待つことなく、彼はナイフをリリアへと放った。
「アキラ!」
リリアは彰の元へ駆け寄ろうとするが、自身へ向かってくるナイフがそれを阻む。
彼女は小さく舌打ちすると、その場で飛んだ。張り巡らされた糸を足場に、空中を駆け上がっていく。
ナイフも、その後を追って軌道を変えた。
「こんなものッ!」
リリアは襲い来るナイフを短刀で受けながら、木々の間を駆け抜ける。
空中であれば鴉も手を出せない。ナイフさえ対処できれば、空中は地上よりも安全な場所となる。
そう考えていたリリアの目の前に現れたのは、地上でナイフを操っているはずの鴉だった。
「な……んでッ!」
彼は、驚愕の表情を浮かべるリリアを、容赦なく地上へと蹴り落した。
鈍い音を立てて地面を転がるリリア。鴉は鉈を拾い上げて、彼女の元へゆっくりと歩いていく。
「巣の歩き方は俺も知ってる」
「………………え?」
「蜘蛛と組んでたのが誰か忘れたか?」
彼女の前に立つと、鉈の刃先を向けた。
「……じゃあな。先に待ってろ」
鉈の刃を横に向け、リリアの首元に当てる。その間、リリアは抵抗することも忘れて彼を見つめていた。別に、死を受け入れたわけではない。彼の声が、微かだが震えていたのに気づいたからだ。
これまで散々刃を交えておきながら、殺す直前で彼は迷っているのだ。容赦なく親友を殺した男が、その娘に対しては殺すのを躊躇っているのである。
ただ、彼はすぐに決断したようだった。鉈を大きく振りかぶり、リリアの首元に狙いを定める。
だが、そこで彼は弾かれたように振り返ると自身へと迫っていた一振りの剣を、その鉈で受け止めた。金属同士のぶつかり合う高い音が森に響き渡る。
鴉は次の斬撃が来る前に、距離を取って鉈を構えなおした。そして、目の前の男を見て小さく笑う。
「よく動けんなぁ、お前」
そこに立っていたのは、傷口から赤い鮮血を流しながら剣を握る彰だった。
呆然とするリリアに、彰は優しい口調で声をかける。
「悪かった。怪我は?」
「アタシは大丈夫だけど………………」
「そうか…………、良かった……」
彰はリリアを背に庇って剣を構えた。まっすぐ鴉を見つめたまま、リリアに尋ねる。
「まだ、戦えるか?」
「…………うん」
「一人じゃ勝てない。二人で行こう。俺が飛んでくるやつを何とかする。リリアは突っ込むことだけ考えて」
「わ、わかった………………でも…………」
アキラは大丈夫なの?、というリリアの言葉は、鴉の攻撃によって遮られた。
二人に迫る十本のナイフ。彰はその軌道上に剣を走らせるが、やはり怪我の影響で先ほどよりも剣筋が鈍っていた。
剣を逃れた数本のナイフがリリアの目の前まで迫る。しかし、躱そうとしたリリアの前に、彰は自身の身体を滑り込ませた。
「アキラ!」
目の前で上がった血飛沫にリリアが悲鳴を上げる。だが、彰は構わず彼女の腕を掴むと、鴉のいる方へ引っ張り上げた。
「構うな! 行け!」
その言葉に背中を押されて、リリアは短刀を握りしめて走り出した。鴉は鉈を手にそれを待ち構える。
彰が作り出した、一対一の好機。これを逃せば、もう次はない。
当然、間合いは鉈の方が長い。先に動いたのは鴉だった。
風を切って迫る鉈。筋力は鴉の方が上だ。まともに受け止めてしまっては、鴉の方に分がある。リリアはその軌道上に短刀を沿わせて、自身を避けるように軌道をずらした。
赤い火花が散った。
短刀に比べ、鉈は小回りが利かない。先に動けるのはリリアの方だ。素早く懐へ潜り込むと、リリアは鴉の胸元へ、短刀をまっすぐに突き立てた。
「――ッ!」
しかし、短刀は胸元へ刺さる寸前で、ピタリと止まってしまった。鉈を振りぬいた鴉が、空いた片手で短刀の刀身を掴んで止めたのだ。
引き抜こうとしたリリアだが、それよりも早く、鴉はリリアの身体を突き飛ばした。
「ぐっ――――」
短刀が音を立てて地面に落ちた。倒れこんだリリアが顔を上げると、目の前には既に鉈を構えた鴉が立っていた。
彼は荒い呼吸を整えてから口を開く。
「これで終わりだ」
振り上げられる鉈。その刃が太陽の光で白く輝く。
鴉は歯を食いしばると、その鉈を思いきり振り下ろした。
ギィィィン――――…………!
しかし、振り下ろされた彼の腕には、肘から先が付いていなかった。
「な――――」
赤い血をまき散らす自身の腕に、大きく目を見開く鴉。
ギィィィン――――ッ!
再び響いた不気味な振動音。今度は、彼のもう一方の腕が地面に落ちる。
リリアは静かに立ち上がると、血の付いた銀糸を彼に見せた。
「止めを刺すまでが暗殺だって、アタシに教えてくれたのはアンタでしょ」
「――――うまく嵌めたな。………………ゲホッ……そうか……、糸か」
「そう。これはお父さんのじゃない、『アタシの』武器」
「そうか………………。そりゃ……、良いなぁ」
真っ向から鴉に挑んだところで、勝てるはずがないことはリリアには分かっていた。そこで、彼女は「勝った」と油断させて、その隙を突くことにしたのだ。
リリアの背後で、ナイフが落ちる音が聞こえた。
鴉は血の滴る両腕をダラリと下ろし、その場に膝を突いた。そのまま血の混じった痰を吐きながら咳き込む。
「死ぬ前に一つ、聞かせて」
リリアは鴉を見下ろして尋ねた。
「どうしてアタシを逃がしたの?」




