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小さな食卓には、たった一つの席しかない。タケルは、その唯一の席に座っていた男に銃を向けると、ガチャリと撃鉄を起こした。朝食を邪魔されたサミュエルはナイフとフォークを置き、ゆっくりと両手を上げる。
「戦争屋だな?」
「だったら何だね」
「ミコトは何処だ」
サミュエルは鼻で笑うと、食べ損ねた朝食にチラリと視線を落として首を横に振った。
「まず君は誰だ」
「忘れたとは言わせねぇ。五年前、お前は転移者の女を一人拐っていったはずだ」
「女? 転移者か………………」
彼は初めて正面から予期せぬ来訪者たちを眺めた。
剣を構えた大男の方は、一度、中央都で見たことがあった。先の戦争で活躍したという英雄、アクレスである。一方で、その隣で拳銃を構える男については面識が無い。しかし、転移者、女、という単語を頭で組み合わせるうちに、ある程度の見当がついた。
サミュエルは意地の悪い笑みを浮かべながら、タケルの顔を見つめる。
「悪いが、いちいち被験体の名前を覚えていられなくてね。番号で言ってくれないか?」
その言葉が終わるや否や、タケルの銃から鋭い銃声が轟いた。しかし、瞬時に伸びたエナスの右手がサミュエルの眼前で弾丸を捉える。
恐るべき反射速度だが、もはや驚きはない。開いた手から弾丸が皿の上へ落ち、カン、と軽い音が部屋に響いた。その後ろでサミュエルは水を一口飲むと、小さく息を吐いて立ち上がる。
「五年前の転移者の女といえば、あの妊婦だね。覚えているとも。彼女は実にいい『素体』だったよ。いろいろと弄りがいがあった」
「テメェ…………」
再び撃鉄を起こすタケルだったが、その間にエナスが割って入った。サミュエルは壁際の食器棚まで行くと、棚の背板を軽く押した。
「エナス。呼んだからには決着を付けてきなさい。終わったら自分で北島へ来るように。三番目の子も忘れるなよ」
そう言い残すと、彼は棚を横にスライドさせ、その裏に現れた階段をカツカツと降って行ってしまった。後を追おうとしたタケルだったが、エナスの存在を思い出して踏み止まる。
「おい」
それまで黙っていたアクレスが、ようやく口を開いた。タケルが彼を見上げると、彼はエナスを凝視したまま続ける。
「お前の狙いは『戦争屋』って奴だろ。後を追え」
「アンタにはあの化け物が見えてないのか? 俺にはあと一本しか腕がないんだぞ。これ以上折られちゃ困るんだ」
「俺がなんとかする」
アクレスは「それに」と付け加えた。
「アイツの目的は俺だ」
エナスの視線はアクレスに固定されたまま動かない。半開きになった口からは、今にも唾液が垂れてきそうだった。
タケルは一瞬迷うと、小さく舌打ちして銃を下ろした。これ以上立ち止まっていてはサミュエルに逃げられるだけだ。
だが、もしもエナスが動いたら? 折れた左腕が痛む。
タケルは乾いた口から声を絞り出した。
「…………頼んだからな」
「おう」
アクレスは短く答えると、慣れた様子でタケルの背中を叩いた。ジンとした痛みが電流のように駆け抜ける。
思わず口角が上がった。銃を握る手に力が籠る。その痛みのおかげで、曖昧になりかけていた目的がはっきりとした。
心配する必要はない。この男は英雄なのだ。
タケルは短く息を吐いて走り出した。エナスの視線はアクレスから動かない。
地下への階段まで、あと少し。脇をすり抜ける直前、タケルは一瞬だけエナスを見上げる。
その時、エナスと目が合った。
まずい。
エナスの腕がピクリと反応した。やはり、この番犬を何とかしなければサミュエルへは辿り着けない。
だが、タケルが銃を構えようとするよりも先に、竜巻のような風圧が巻き起こった。
「ずいぶん余裕だな」
アクレスだ。エナスが視線を外した瞬間、一歩で間合いを縮めたのだ。
直後、タケルの真横で爆発したような音が轟いた。立ち上る土煙の向こうに、壁に空いた大きな穴が見える。その向こうには、エナスが弾き飛ばされた跡を縁取るように、赤い炎の筋が二本残っている。
「行け!」
鋭いアクレスの声に背中を押されるように、タケルは地下へと続く階段へと駆け出していた。
◇◇◇
朝の日差しに照らされて白く輝く二輪草の花畑の中で、エナスはその体を起こした。アクレスの剣を受けた右腕の袖は真っ黒に焦げていた。
右腕には、痺れるような痛みがまだ残っている。エナスの口元に笑みが浮かんだ。
やはり彼だ。他では脆すぎる。
「さっさと立て」
中庭へと出てきたアクレスが怒りの籠もった低い声色で言う。彼の弟子という女を潰しておいて正解だったらしい。
エナスはゆっくりと立ち上がると、硬化させた拳を握りしめる。
幼い頃に被験体として売られてから、自由を得ることは諦めていた。唯一気になっていたのは自分の可能性。サミュエルの示した「個の極致」という分かりやすい目標を、エナスはただ純粋に目指し続けていた。
そして今、全ての頂点に立つ男が目の前で剣を構えている。全力の彼にどれだけ通用するのか。自らの実力を試す、この時を待っていた。
逸る気持ちを噛み殺し、エナスは地を蹴った。蹴り上げられた土が白い花弁とともに宙を舞う。
間合いに入った。しかし、アクレスは未だ動こうとしない。
折りたたんでいた腕を鋭く伸ばし、エナスの拳は空気を斬り裂きながらアクレスへと迫る。だがそれでも彼は微動だにしない。
そして、その拳が彼の鼻先を掠めた刹那。
彼の姿が唐突に消えた。
信じられない現象を前にして、エナスの思考が僅かに止まる。隙、と呼ぶにはあまりに短すぎる間だが、アクレスにとっては十分だった。
死角から振り上げられた剣は、風を斬る音すら立てずにエナスの首元へと迫る。
彼が首元を硬化させたのは、その攻撃を認識した防御反応ではなく、生存本能から来る直感であった。
鈍い衝撃音と同時に、赤い爆炎が巻き起こった。
濛々と立ち上る黒い煙。その中から飛び出した人影は素早く飛び退くと、火の燃え移った上着をおもむろに脱いだ。
「お前………………、本当に人間なのか………………?」
アクレスが呟いたのも無理もない。顔の右半分を炎に包まれたエナスは、その炎の中で笑っていたのだ。上半身に刻み込まれた構築式が、更にその不気味さを演出している。
エナスの手が震える。恐怖ではなく、この上ない歓喜によって。遂に自身の集大成を、「個の極致」を試すことができる相手を見つけた喜びによって。
全身の構築式が赤色に輝く。
震える手で、燃える上着の懐から小さな箱を取り出すと、その中に入っていた注射器を手に取った。中に籠められていたのは、血のように赤黒い液体。
エナスは注射器を自身の首に刺すと、その液体を一滴残らず体内へと流し込んだ。




