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古い洋館のような建物だった。階段を上がり、長い廊下を歩いていく。
特に拘束具もなく、サミュエルは彰に背を向けて先頭を歩いていた。いつでも逃げ出せるように思えるが、彰の背後にはピッタリとエナスがついている。不審な動きを見せれば、また意識を失う事になるだろう。
「古い建物で申し訳ないね。さぁ、掛けたまえ」
通されたのはシルヴァの邸宅にあった応接間のような部屋だった。中央に細長い机が置かれ、それを挟むように長椅子が置かれている。どれも古く、サミュエルが腰掛けると僅かに歪んだ。
机の上にはティーカップが二つと、小さなティーポットが置かれている。
サミュエルがポットを持つと、その底に描かれていた楔形文字のような構築式が淡い青に輝いた。傾けてカップへ注ぐと、白い湯気と一緒にフワリと紅茶の香りがした。
「ほら、座りなさい」
エナスが彰の背中を押す。それに促されるまま、彰は椅子へ腰掛けた。ふと窓の方に目をやると、白い満月が見えた。
彰の目の前に紅茶の注がれたカップが置かれる。
「知っているかね。紅茶は彼が…………、アルフレッドが今の時代へ持ってきたものなんだ。いい香りだろう? 君のいた時代と味は違うかもしれないが、遠慮せずに飲むと良い」
何気なく発せられた「君のいた時代」という言葉。彼は転移者が時間を越えてきた者たちであると知っているのだ。
彰は紅い液面を見つめて呟いた。
「…………紅茶は嫌いなんだ」
すると、サミュエルは白い眉を少し上げて「そうかね」と答える。
「奇遇だな。私も香りは好きなんだが、味は嫌いなんだ。だから、いつも注ぐだけで飲まずに捨ててしまうんだ」
「勿体ねぇな」
「そうかね。まぁ、人それぞれ、というやつだ」
しばらくの沈黙。
やがて、彼は懐から一枚の紙を取り出して机に置いた。そこに写っていたのは白衣を着た初老の男。
「これは『写真』といって…………、いや、それくらい分かるか。この男に見覚えは?」
「…………誰なんだ?」
「ちょっとした知り合いでね。会ったことはないか?」
その男に見覚えはあった。会ったことは無いが、同じように写真で見たことがある。以前、ノーワンという男が、自身の父親だと言って見せた男だ。
その男が誰なのか、全く見当がつかないが、あえて情報を渡してやる義理もない。彰はその写真を見つめたまま、「知らないね」とぶっきらぼうに答えた。
「そうか。なら良い」
一気に興味が失せたらしい。サミュエルは写真をポイと捨てると、代わりに懐から小さな黒い箱を取り出した。
「これに見覚えは?」
彰は頷く。ボタンとダイヤルのついた黒い箱。蟷螂の持っていた通信装置だ。
サミュエルはカチカチとダイヤルを回しながら口を開く。
「これは、とある遺跡に遺されていた装置で作った通信装置だ。原理もそうだが、それを実現する技術も今の時代では存在しない」
「遺跡?」
「『方舟計画』というのを聞いたことあるか?」
当然ながら聞いたことがない。彰が首を横に振ると、彼は嬉しそうに話し始めた。
「君たち、旧文明の人類は、幾度もの戦争の末、その文明の崩壊を悟った。そして、彼らは積み重ねた知識と技術を、一つの施設、『方舟』に載せて保存した。
遺跡に足を踏み入れた時、私は雷に打たれたような衝撃を受けたよ。我々が探求してきた答えが、そこに全てあったんだからな。…………だが、知ることができたのは一部分だけ。遺跡の最奥部には鍵が掛かっていたんだ。まったく、悔しかったね。知りたい答えが目の前にありながら、それを見ることができないんだ。
私は科学者として、純粋に知りたいんだ。我々の更なる先を行く、旧文明の科学を」
そこで言葉を切ると、右手の人差し指を立てた。
「そこで、君と一つ取引をしたい」
彼は伸ばした指を彰に向ける。
「君を無事に元の時代へ返そう」
「………………え?」
「代わりに、一緒に遺跡まで来てもらいたい。どうだね、悪い話じゃないはずだ」
元の時代へ帰ることが彰の旅の目的だ。それが、こんなにも呆気なく終わりを迎えるとは。
咄嗟に開きかけた口をつぐんで、彰は目の前のカップに目線を落とした。相手は戦争屋。九頭竜の黒幕だった男だ。信用するには早すぎる。
小さく息を吐くと、再びサミュエルを見て尋ねた。
「どうして俺なんだ? 転移者が欲しいなら…………、それこそエリさんを連れて行けば良かったじゃないか」
「当然の疑問だろうな。だが、他の転移者では駄目なんだ。『イリヤ・アキラ』という男でないといけない」
「だから、なんで………………」
「鍵は君だ、アキラ君」
「あ?」
「君自身が、『方舟』を開く鍵だ。理解し難いだろうが、来れば分かる」
それっきり、彼は黙り込んでしまった。静まり返った部屋に緊張が走る。
彼がどれだけ嘘を言っているのか、あるいは何か隠そうとしているのかは分からない。ただ小さな違和感だけが残っていた。
少なくとも、彰が重要であることは本当だろう。まずは敵の狙いを探らなければ。
「……………………俺を元の時代へ帰せるって言ったな?」
彰はサミュエルの表情を窺いながら尋ねる。
「あぁ。その通り」
「お前は旧文明を知りたいんだろ? なら、お前が自分で過去に飛んでいきゃ良いじゃねーか」
すると、彼は再び黙り込んだ。
思った通りだ。彰はサミュエルの反応を見ながら続ける。
「過去へ行く手立ては無いんだな?」
「………………あぁ。その通りだ」
「だろうな。初めっから、取引にすらならねーよ」
「だが言ったはずだ。『方舟』にはあらゆる知識、技術が保存されていると。その中に、時を超える方法も必ずある」
「言い切れないだろ」
「いや、時を超える技術が存在するのは確かだ。現に今、君がこの時代に存在することが証明になる」
「それは……………………」
彰は言いかけて口をつぐんだ。
時間転移が人為的に起こされた、というのは言い切れない。しかし、自然現象として時間転移が起こったというよりも可能性は高いだろう。
サミュエルの顔には薄い笑みが浮かんでいる。彰は尋ねた。
「仮に俺が行って、過去へ帰る方法があったとして、お前も過去へ来るのか?」
「………………さぁね。その時にならなければ分からないな」
「そうか」
即答ではない、曖昧な返事。彼の答えを聞いて、彰は確信した。
彼はおそらく過去へ来る気はない。彼の狙いは「過去の文明を知る」ことではないからだ。
見透かしたような笑みを浮かべた彰を見て、サミュエルは警戒した様子で眉を寄せた。
「お前、科学者じゃないだろ」
彰の一言に、彼の表情が変わる。
「どういう意味だね」
そう言う彼の表情からは余裕のある笑みは消えていた。不満げに眉間にシワを寄せて、彰の顔を睨みつける。
「お前、『科学者として』だとか偉そうに言ってたがな、お前がやりたいのは科学の探究じゃないだろ?」
「………………」
「前に知り合いの、ホンモノの科学者が言ってたんだ。『異世界転移者ってのは私らにとっては神様になりうる存在』だってな。お前は旧文明の知識で、その『神様』ってのになりたいんじゃないのか?」
すると彼は諦めたように大きく息を吐いて、背もたれに体を預けた。
「だったらなんだ。君は過去へ帰れるんだぞ? この時代とは何ら関係が無いじゃないか」
「関係あるさ。この時代にも、俺の大切な人がたくさん居る」
「なら、大切な人をまとめて過去へ送ってやろう。それで良いか?」
「良いわけねーだろ! バカにしてんのか?」
「分からないな。全く分からない。見たこともない他人を、どうしてそこまで気にするんだ」
「お前みたいなのが居るから『方舟』ってのも封印されたんだ」
「………………交渉決裂だな」
サミュエルは呟くと、机を三度指で叩く。それを合図に、彰の背後から黒い腕が伸びた。
「何を……………………ッ!」
振り返るよりも早く、エナスの太い腕が彰の首を締め上げる。振り解こうにも、エナスは腕を硬化させているようで、爪すら立てられない。
藻掻く彰を眺めながら、サミュエルは淡々と呟いた。
「この場を設けたのは、私なりの最低限の敬意だよ。君とも少し話してみたかったからね」
「ぐ……………………」
「正直なところ、君の意思は関係ないんだ。君はただの『鍵』であって、それ以上でもそれ以下でもない」
机の上で紅茶のカップが倒れた。机の木目に沿うように、二人の間で紅色の液体が広がっていく。
サミュエルは立ち上がると、彰への興味を失ったのか窓の外へ視線を移した。
「もう十分に分かったよ。君と私は相容れない。エナス、彼を連れて行け」
伸ばした彰の手は空を切る。
意識が闇に落ちた。




