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体を動かすたびに赤黒い結晶がバラバラと落ちる。漏れ出続ける魔力と血液が反応して結晶化したものだ。足元の震えを無理やり抑え込み、大きく呼吸を繰り返す。急激な魔力消費と失血に体が追いついていない。
『久しぶり、アクレス』
大きく揺れる肩に、羽の生えた赤い小人が現れた。まさに「妖精」というような風貌だが、肩から外骨格を持った二対の腕が生えている。アクレスは剣を構えると、小さく「メテア」と呟いた。
『本当にやるんだね?』
「あぁ……………………。久々で悪いな」
『僕は構わないけど』
メテア、と呼ばれた小さな生き物は、そこで言葉を飲みこんで黙り込んだ。背後の赤い炎の壁が、大きく揺らいで消えた。
『明日を無事に迎えられるとは思わない方がいいよ』
アクレスは黙って頷いた。
体が思うように動かない。冷たい死の影を背中に感じる。五年前に余命宣告した医者は「ヤブ」ではなかったらしい。
目の前で青い炎が収束していく。その中心に立つ男は、掲げていた剣をゆっくりとアクレスに向けた。
「紅蓮の悪魔、と聞いたときは何の話かと思ったが。まったくその通りだな」
死体と瓦礫の山の上で、彼は心底嬉しそうに笑った。
戦場で人を斬り、焼いた時、自分は人の道を外れた悪魔になってしまったと思った。だが、目の前の男を見て気付いた。アクレスは悪魔などではない。
本当の悪魔は地獄で笑うのだ。
「君は確か、戦争孤児だったな」
「……………………」
「感じたことは無いか? 生まれた場所、家の違いによる理不尽を。大した能力も器も無い貴族が、古めかしい椅子で踏ん反り返っていることに疑問を感じたことは無いか?」
「それが殺した理由か?」
「殺しているんじゃない。壊しているんだ」
彼は落ち着いた様子で焦げた死体を踏み潰す。
「理不尽に積み上げられた不平等を破壊し、誰もが産まれながらに平等に生きる世界を実現する。そのためには王家、貴族、ひいては、これまで人類が築き上げてきた『国家』というものが邪魔だ」
「不満があるなら『壊す』んじゃなく、『変える』べきだ。人類が築き上げたものなら、人の手で変えられるはずだ。それに、あんたくらいの発言力があれば…………」
「一人の貧困街出身の意見など黙殺されて終わりだ。貴族連中に現状を変える気は無い。たとえ多くの命が懸かっていたとしても、人間は自らの利益を捨てきれない生き物だ」
ユドラーが東の貧困街出身だというのは、軍では有名な話だった。三十年前に起こった月島戦争での徴兵で入隊し、そこから目覚ましい戦果を上げて今に至る。
彼の人生に何があったのかは分からない。ただ言葉の端々からは「他者」というものに対する絶望が感じ取れた。
「国家を失えば、完全な無法地帯になるぞ。暴力が支配する、弱肉強食の原始時代へ逆行するつもりか?」
「逆行だと? 千年と少しの時間を過ごして進歩したつもりらしいが、人類は未だ弱肉強食の真っ最中じゃないか。暴力による殺人が野蛮で、法と制度による殺人は崇高なのか? 私は弱者を食う手段を少し変えてやるだけだ」
そこまで言うと、彼は乾いた声で笑った。
「というのは、まぁ…………、後付けの動機だな」
「は?」
「結局、私は自分より偉そうにしている奴らが気に食わんのだ。故に壊す。人の行動原理はいつも純粋で単純なんだ」
ユドラーは剣を構える。空気が変わった。これ以上の問答は無用ということだろう。アクレスの肩に乗っていたメテアが羽ばたいて消える。
「英雄の最期だ。何か言い残すか?」
「自分で伝えるさ、遺言くらい」
剣を強く握りしめると同時に蹴り出した。砲撃のような音と衝撃を放ちながら、アクレスの巨体が地を駆ける。背中の炎が更にそれを加速させた。
ユドラーは自らへ振り下ろされる刃に対して、青く滾る剣を振るった。
「くッ――――!」
真っ向から剣を止められたのは久々だ。退役間近のはずだが、その腕力は大きく衰えていないらしい。
が、さすがに単純な力比べではアクレスが勝る。徐々に押し込まれる剣を、ユドラーはたまらず横へ逃がした。
「飲み込め、オロチ!」
ユドラーが叫ぶと、巨大な青い炎が大口を開けて襲い掛かった。剣で薙ぎ払うが炎の勢いは止まらず、アクレスは大きく後方まで吹き飛ばされる。炎を司る精霊であるメテアとの契約のおかげで火傷は無いが、鋭く尖った木材の破片が脇腹を切っていた。
慌てて傷口を抑えるが血は出ていない。代わりに赤黒い結晶が脇腹を覆っていた。
「英雄とはこんなものか?」
ユドラーが少し苛立った口調で言った。
「いや、違う! こんなものでは無かったはずだ! さぁ、立て! 立って剣をとれ、英雄! 人類の個の到達点を見せてみろ!」
想像以上に限界が近かったらしい。地面に転がったまましばらく立ち上がれなかった。酷い熱病に罹った時のように頭と体が重たかった。戦場でこんな醜態を晒していては、瞬きする間に殺されるだろう。
だが、ユドラーは止めを刺しに来ない。彼の体も限界に近いのか、とも考えたが、おそらくそれは違う。彼はこの戦闘における勝敗に興味がない。目的は「国家」という共同体の破壊。その後の世界に自分がいなかったとしても、それはどうでも良いのだ。
「『冥途の土産』ってやつか………………?」
尋ねると、ユドラーは笑った。アクレスは口内にできた結晶を吐き捨てて剣を構える。
「………………俺が死ねば終わりだと、そう考えてんだろ」
「あぁ。抑止力を失ったマテラス王国は、まもなく列強に食われる。俺を殺して、さっさと死ね」
「だがなぁ…………、それは間違いだ」
アクレスの言葉に、ユドラーの顔から笑みが消えた。
「この国は一人の人間が、ましてや俺だけが支えて存続してるわけじゃない………………。この国で生きる一人ひとりが柱となって、この国の土台を支えてんのさ…………!」
アクレスが「メテア」と一言呟くと、議事堂全体を包み込むほどの巨大な炎の渦が二人を飲み込んだ。
「俺一人が死んだところでマテラスの炎は消えない。この国を舐めるなよ」
不思議と体が軽くなった。うっすらと赤色に染まった視界で、剣を構えるユドラーを見据える。轟々と燃え上がる炎の中で、二人はそれ以上何も言わず静かに向かい合った。
ユドラーは一つ息を吐くと、青い炎を纏って飛び出した。同時にアクレスも地を蹴る。二人の剣が火花を散らし、赤と青の炎が大きくうねった。
剣技は互角。だが、剣の勢いはわずかにアクレスが上回っている。
「俺はまだ…………死ねない………………!」
アクレスは叫ぶと、振り下ろされたユドラーの剣を弾き返した。
その瞬間、彼らを取り巻く炎が全て消えた。この一瞬で全てが決まる。その直感が、瞬きよりも短い間の静寂となって現れた。
アクレスは剣を低く構える。対して、ユドラーも再び大きく振りかぶった。
躱そうなどとは考えていなかった。振り下ろされた剣は、青い炎を纏って左肩の肉を深く切り裂いていく。
痛みなど、もう気にならなかった。
深く構えた剣はユドラーの腹を目掛け、まっすぐに突き出される。その剣先が硬い肉に食い込んだ瞬間、アクレスは掠れた声で叫んだ。
「貫け、メテア――――――ッ!」
その言葉と同時に放たれた赤い炎柱は、ユドラーの体もろとも、天高く昇る太陽へ向かって一直線に貫いていった。
◇◇◇
赤く熱を持った瓦礫の上で、大の字になって転がるユドラーを見下ろしながら、オロチはその長い指先で腹に空いた穴の縁をなぞった。
『終わりだ……………………負けたな、ユドラー…………………………』
その言葉に、ユドラーは僅かに笑みを浮かべて答える。
「………………いや……………………勝ちだ…………マテラス…………は…………滅び…………る……………………」
『これで…………満足か……………………?』
もう返事は無かった。オロチは黙ってユドラーの顔を覗き込む。動かなくなった彼の虚ろな瞳の中には、赤黒い結晶の混じった血反吐を吐いて崩れ落ちるアクレスの姿が映っていた。
次回、彰くんパート
この章も長くなりそうだな……




