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「ごめんなさい」
白い天井。軍病院の見慣れた天井だ。視界の端でカーテンが揺れている。
もう何度聞いたか分からない彼女の声がした。細い指がアクレスの胸をなぞっていく。その指は胸の中央あたりで止まった。
「解放術式の後遺症。心臓下部、魔力操作系の一部が完全に損傷して、もう治らないみたい…………」
大丈夫だ、と答えようとするが、思うように口が動かなかった。代わりにアクレスは震えるソフィアの手を握る。頭の中にモヤがかかったかのように思考がままならない。
ただ、これが夢だということはすぐに分かった。
何度も同じ光景を見た。五年前、戦争直後の記憶だ。
「持って五年、医者が言うには。……………………私のせいだよね」
ソフィアは顔を伏せながら小さく呟いた。
何か言葉をかけなければ。でも、何を言えば。口が、喉が動かない。
この時に言うべきだった台詞を、今でも考え続けている。
彼女はアクレスの腕を持ち上げて、その手首についた腕輪を見せた。
「今のあなたは、自分の魔力を限界まで使える代わりに、魔力が常に漏れ続けてる状態なんだ。このままだと五年かもしれないけど…………、でも、この腕輪はそれを少しだけ抑えてくれる……………………」
そう言って、彼女はアクレスの腕を強く握りしめた。
「何があっても、この腕輪は外さないで。絶対に――――――
◇◇◇
――――レス、アクレス…………! おい! 起きろ!」
「…………ッだぁ!」
跳ね起きると、驚いた顔をした国王が目の前にいた。「目を合わせることは不敬にあたります」というシルヴァの言葉を思い出して、すぐに目線を落とす。
「へ、陛下…………。ご機嫌麗しゅう……………………」
「おい、寝ぼけてる場合じゃないぞ」
「へ?」
だんだんと頭が冴えてくる。瓦礫に滴る赤い血を見て、完全に思い出した。
「あの状況から私を守れたのは流石だな。おかげで軽い火傷と打撲で済んだよ」
国王は固い表情で言った。額を切ったようで、ポタポタと血が垂れている。
火柱が立った時、ユドラーは剣の間合いの外にいた。瞬時に間に合わないと判断したアクレスは、国王とユドラーとの間に炎の壁を作ったのだが、それが上手く機能したらしい。
辺りは肉の焼けた臭いが漂っている。アクレスは左肩に刺さった木片を引き抜くと、先程まで議事堂のあった場所を睨んだ。
百年超の歴史を持った威厳のある王国議事堂。しかし今やその面影はなく、ただの瓦礫の山と化している。その山の頂を見ると、轟々と青い炎が燃え上がっていた。そして、炎の中に揺れる人影が高々と剣を掲げている。
それがユドラーだというのは、すぐに分かった。
「アクレス…………!」
その時、小さな声が聞こえてきた。振り返った先に立っていた男の姿を見て、二人は言葉を失う。そこに立っていたのは、顔の皮膚が半分爛れ、左腕がひしゃげたシルヴァだった。
アクレスの隣にいる国王の姿は目に入っていないらしい。おぼつかない足取りで近づいてくると、彼は震える右手でまっすぐ瓦礫の山を指さした。
「あれを…………。あれを捕らえられますか?」
アクレスは即答せずに再び瓦礫の山の上に立つユドラーへ目線を移す。
精霊と契りを交わした契約者とはいえ、ユドラーは退役間近の年齢。アクレスの方が戦力で言えば上だ。しかし、ここは人の集まるマテラス王国の首都、中央都。それもそのど真ん中だ。
アクレスは短く息を吐くと、シルヴァに答えた。
「あれを捕らえるのは無理です。殺すならできます」
「分かりました。では頼みます」
「了解」
アクレスはそう言うと、手首で淡く光を放つ腕輪にゆっくりと手をかけた。
◇◇◇
瓦礫を踏み分けて進むと、助けを求める小さな声が聞こえてきた。声の主は、大昔から続く名家の嫡男だった。足を瓦礫に挟まれて、動けずにいるようだ。顔も焼け爛れて、元の面影も無い。
「親はどうした。焼けたか?」
淡々と尋ねて、片手に持っていた剣を軽く振るう。返答を待つが、喉が潰れているのか何も答えなかった。
ユドラーはつまらなそうにため息を吐くと、目の前でもがく男の喉元に剣を突き立てた。その男はしばらくうめき声を上げると、赤色の泡を噴いて動かなくなった。
『ようやく…………契約を果たす気になったか…………………………』
その時、ユドラーの背後に現れた異形が小さく呟いた。体長は人と同じくらいだが、地面につきそうなほど長い腕と、顔の半分を占めるほど大きな一つ目が、この世ならざる者であることを物語っている。
ユドラーは剣を抜くと、背後を振り返った。
「オロチ」
『素敵な景色だ………………。惚れ惚れする…………』
オロチ、と呼ばれた「それ」は、大きな目を細めて周りの炎を眺めた。ユドラーは足元の死体から首を刈り取る。
「炎は良い」
貴族の首は、ユドラーの手の中でたちまち青い炎に包まれる。やがて上品な金髪は跡形も無く焼け、黒く焦げた頭蓋骨だけが残った。
「身分も、金も。あらゆるモノを無視して、平等に飲み込んでいく」
辺りには黒焦げの死体がいくつも転がっていた。ユドラーは頭蓋骨を投げ捨てると、元は貴族だったであろう骨を踏みつぶして歩いて行く。
「オロチ。契約は今、果たそう」
『ここは人の里………………。それも…………お前の住む里だ………………。構わぬのか?』
「構わん。まだ息のある者がいる。残らず焼け」
すると、オロチはパックリと左右に裂けた口で、不気味にほくそ笑んだ。
『変わり者め…………。故に………………面白い……………………』
その言葉を残して溶けるように消えた。すると、それを中心として青い炎の渦が辺りを飲み込んだ。
その渦が次第に大きさを増していくと同時に、ユドラーの体を重い疲労感が襲った。これだけの炎を操るとなると、老体には厳しい魔力消費を伴うのだ。
過度の魔力消費は生死に関わる。だが、それでもユドラーは構わなかった。
「さて………………」
呟くと、杖を振るうがごとく、剣を振り上げた。
同時にユドラーの巨大な青い炎が、瓦礫を巻き上げながら立ち上がった。吹き飛ばされた瓦礫は、彗星のように青い尾を引きながら市街地へ向かって降り注ぐ。
「ははは……………………」
契約者の持つ力を初めて目の当たりにして、思わず乾いた笑いが漏れた。確かに、これは一国を滅ぼし得る。
しかし、一瞬にして彼の顔から笑顔が消えた。
突如として目の前に立ち上がった炎の壁。紅々と燃え滾るそれは、降り注ぐ瓦礫を尽く焼いていく。
その赤い壁を背に、立ちはだかる男が一人。
その半身を赤黒い結晶に覆われ、血走った両目からは血涙が滴る。片手に握りしめた剣には、脈動する赤焔が這っていた。
戦う彼の姿を見た者は、決して彼を「英雄」とは呼ばない。実際に戦場で目の当たりにした者は、敵も味方も関係なく口を揃えて同じことを言った。
戦場には紅蓮の悪魔が居た、と。




