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中央都から東へ続く街道は、利用者の数のせいもあって整備が行き届いていた。
「アキラも旅に慣れてきたんじゃない?」
先頭を歩くシスティアが呑気に言った。彰は少し呆れたように「まあね」と答えると荷物を担ぎなおす。その横をガタゴトと行路隊の馬車が通り過ぎていった。
空は快晴。魔獣の姿もなく、街道脇の森からは陽気な小鳥の声が聞こえてきている。
鼻唄でも歌いたくなるほど気持ちの良い天気だが、彰の顔はどこか暗かった。
「システィ、これから何するか分かってる?」
「戦争屋ってのをぶっ飛ばすんでしょ?」
「まぁ……………………、うん」
彰は適当に返すと、再び黙り込んだ。
エリは本当に無事だろうか。彰一人ではないと分かれば、彼らは問答無用で彼女を殺すかもしれない。それならば、やはり罠とは分かっていても一人で向かうべきではないのか? だが一人で行ったところで、本当にエリとの交換に応じるか………………
もう何時間も同じことを考えている。
自分一人が犠牲になるなら簡単に答えは出る。しかし、他人の命が関わるとなれば話は別だ。
「まだ悩んでんの?」
リリアは彰の顔を覗き込んで言った。曖昧な返事を返すと、彼女は彰の丸まった背中を叩いた。
「もうアタシたちは行くって決めたんだから。決まったこと悩んでもしょうがないでしょ」
「まぁ、そうだけど」
「システィも居るんだよ? みんなで行けば絶対に大丈夫だって!」
前を見ると、システィアも自信満々に頷いていた。確かにリリアの言うことも一理ある。楽観的にはなれないが、決まったことを悩んでいても仕方がない。
「そんな顔してちゃ、できることもできないよ」
システィアが振り返って言った。
「そうだ、気分転換にお茶しようよ」
「お茶? 今?」
「この先行ったところに有名なお店があるんだよね。川沿いのお店で……………………」
その時、街道沿いの森の奥から大きな衝撃音がした。続いて木が倒れるような音が聞こえてくる。
「二人は下がってな」
剣を抜いたシスティアが言った。彰はリリアを庇いながら背後へ後ずさる。
近づいてくる足音。やがて森の奥から現れたのは、全身が大きく膨れ上がったイノシシだった。全身の皮膚が裂け、赤黒い血が滴っている。その眉間から伸びた角を見るまでもなく、魔獣だと分かった。
イノシシの魔獣はシスティアを見ると、ゆっくりと頭を下げる。そして二、三度荒い鼻息を吐くと、弾丸のように飛び出してきた。
「ごめん! これはムリ! 二人とも避けて!」
猛進してくる巨獣に、システィアは咄嗟に横へ転がり込んだ。
「え……」
慌てる彰を尻目に、リリアは一人岩陰へと飛び込んだ。なんて薄情な奴だ、と思っている余裕もない。走り始めた巨大なイノシシは、残された彰に向かって突っ込んでいく。
「うぉわぁ!」
情けない悲鳴を上げて尻餅をつく彰。しかし、それと同時に耳をつんざくような銃声が響いた。目の前まで迫っていたイノシシは、弱々しい悲鳴を上げて地面を転がる。
銃声の聞こえた方を振り返ると、ボロボロのトレンチコートを着た男がリボルバー式の銃を構えて立っていた。背は高く、幸の薄そうな顔には無精髭が生えている。背負い込んだ大荷物を見るに旅人なのだろうが、このご時世にも関わらず同行者はいないようだ。
帯刀している旅人はよく目にするが、銃を持っているのを見るのは彼が初めてだった。ベルトには拳銃のホルダー以外にも、細い鎖やら短刀やら物騒なものが下げられている。
弾丸は脇腹に当たったらしい。それでもイノシシはすぐに立ち上がって男を睨みつける。そして再び荒い鼻息を吐いて地を蹴った。
それに対して、男は一歩も動こうとしない。向かってくるイノシシを前に、おもむろにリボルバーの撃鉄を起こした。
「おい! 避けろ!」
彰の声は男の拳銃から轟いた銃声に掻き消された。放たれた弾丸は魔獣の角を折ると、その眉間を深く貫いていく。巨大なイノシシの体は糸の切れた操り人形のように突然崩れ落ち、そのまま慣性に従って銃を構えた男の脇を転がっていった。
「おい、お前」
男は煙の立ち上る銃口を軽く振ると、低い声で言った。
「俺?」
「違う。岩に隠れた方だ」
「な、なんですか…………?」
リリアが岩から顔を出した。男はその胸に揺れる青い宝石を睨みつけると、銃口を向けて撃鉄を起こした。
「その『首飾り』、どこで手に入れた?」
「え……………………」
「答えには気を付けろよ」
九頭龍か、と思ったが、手の甲に彼らの印は無い。目的は分からないが、彼の指は既に引き金にかかっている。
彰が出るより早く、システィアがリリアの前に立ちはだかった。
「あれは私があげたやつだよ。あなたに関係ある?」
システィアが握った剣の切っ先を向けると、男は照準を彼女に移した。
「あんたは何処で手に入れた」
「言う必要ある? 三つ数える内に銃を下ろさないなら、アンタの腕ごと落とすから」
一瞬にして空気が張り詰める。身動き一つが死に直結するように感じて、彰は黙って二人を見つめていた。
はっきりとした声で「一つ…………」とシスティアが言うと、同時に男は腰のベルトに手を伸ばした。さげていた細い鎖を取り、先端についた重りを素早く投げつける。
「うわっ!」
鎖が刀身に巻き付くと同時に、男は鎖を強く引いた。予想外の動きにシスティアも反応しきれない。握っていた剣は、手から引き抜かれて宙を舞った。
「アキラ!」
システィアが鋭く叫んだ。すぐに意図を察した彰は、腰の剣を抜いて彼女に投げる。投げた剣はそのまま彼女の手に収まると、空気を裂きながら男の喉元へと走っていった。
銃声を予期して身構えた彰。しかし、男は引き金から指を外すと、銃を地面に捨てて両手を上げていた。
「ま、待て…………」
銀色の刃は、男の首元でピタリと止まる。その背後で、放り出されたシスティアの剣が地面に突き刺さった。
「アンタ…………、もしかしてイリヤ・アキラか………………………………?」
そう尋ねる男は、幽霊でも見たかのような表情を浮かべていた。
彼の発した『イリヤ・アキラ』という名前。まだ名乗っていない本名を当てられたことにも驚いたが、それより気になったのは姓名の順番だ。『アキラ・イリヤ』のように、名前の後に姓を付けるのが一般的なこの世界で、彼は『イリヤ・アキラ』と言ったのだ。
ただ、ここで「はい、そうです」と答えるほど彰も馬鹿ではない。
「だったら何だ?」
彰が聞き返すと、彼は慌てて言った。
「俺も転移者なんだ! 今から六年前、あんたと同じく日本から転移してきたんだ!」
「信用ならないね」
システィアは男の首元に剣を食い込ませた。赤色の血が刃を伝って滴り落ちる。
「証拠は? 当然あるんでしょうね」
「しょ、証拠…………は……………………」
「アキラ、なんか転移者にしか分からないようなこと聞いて」
システィアはチラリと振り返る。彰は少し悩むと彼に尋ねた。
「関ヶ原の戦いは何年?」
「…………え?」
「関ヶ原の戦いは何年に起こった?」
日本の歴史であれば、この世界の人間は答えられない。転移者を見分けるには最適の問題だろう。関ヶ原の戦いといえば、日本人であれば誰もが知っているに違いない。
しかし三人の注目が集まる中、彼は一人絶望した表情を浮かべていた。
「せん…………ごひゃく……………………?」
男の曖昧な返答に、システィアは「残念だったね」と冷たく言い放った。
「何か言い遺すことは……」
「ま、待て! 他のにしてくれ! 正確な年号なんて覚えてる奴の方が少ないだろ!」
システィアは舌打ちすると、仕方なさそうに剣を止めた。彰はまた少し考えて彼に尋ねる。
「最初に天下統一を果たしたのは?」
男はゴクリと唾を飲み込むと、恐る恐る答えた。
「と、徳川家康………………?」
彰は肩を落とすと、ゆっくりと首を横に振った。それを確認したシスティアは、男の首元に深く刃を食い込ませる。
「待て待て! 違う! そうだ、織田信長だ!」
「…………それもちげーよ」
「歴史は本当に苦手なんだ! 他のジャンルで頼む!」
不正解ではあるが、彼は転移者で間違いないだろう。彰は笑いながら「もう大丈夫」とシスティアの手を止めると、男も安心した様子で大きく息を吐いた。




