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リリアは「剣は?」と小声で尋ねる。彰は黙って首を横に振った。仕事中に帯刀する店員はいない。
直線の道。完全に挟み撃ちの形だ。
鴉は懐から出したナイフを宙へ放る。空中に漂う刃物は、彼が指を鳴らすと、一斉に二人の方へ向いた。
短刀を構えるリリアを片手で制し、「一つ聞きたいことがある」と彰は目の前の男に尋ねた。
「エリさんを攫ったのはお前らか?」
「エリサン? ………………あぁ、月島の」
背後から鼠たちが走る靴音が聞こえてくる。鴉は笑いながら答えを渋った。焦る二人の様子を見て楽しんでいるようだった。
リリアは「もう!」と言うと、彰と背中合わせに立ち、背後から迫る敵に備える。
「気になるか? 連れていかれた転移者が」
「答えるのか、答えないのか。ハッキリしろ」
「確かに、あの女を連れて行ったのは俺だ」
「――――!」
「が、連れて行っただけだ。戦争屋にな」
「戦争屋?」
「おっと、口が滑ったな」
浮遊していたナイフが襲い掛かってきた。問答は強引に断ち切られる。ナイフは計八本。丸腰で対処するのは無理だ。
彰は背後のリリアを抱えると、道の脇に転がり込んだ。
「よく避けたなァ! さぁ、次だ!」
鴉が言うと、ナイフはまるで獲物を追うかのような執拗さで襲いかかった。リリアが何本か弾き返すが、それをすり抜けた一本が彰の眼前に迫る。
その時、彰は自分でも予想していなかった行動に出ていた。咄嗟に手を伸ばすと、青に光る刃を素手で掴み取っていたのだ。
「いってぇ!」
「素手で掴むからでしょ、バカ!」
「しょうがねーだろ!」
ナイフを投げ捨てて血塗れになった手を握りしめる。当然痛みはあったが、彰の顔は笑っていた。
見えたのだ。いや、読めたというべきか。向かってくる銀の軌跡が、手に取るように分かったのだ。
顔を上げて鴉を見る。
まだ確かに実力差はある。だが越えられない壁ではない。もう以前感じたような恐怖は無かった。
彰は前に立つリリアの手を掴んだ。
「俺があいつを引き付ける。その隙にお前は…………
「アキラはそこで待ってて!」
そう言うなり、彼女は弾かれたように飛び出してしまった。飛び交うナイフを躱しながら鴉の懐へ入り込むと、胸のど真ん中へ刃を突き出す。
流れるような無駄のない動き。思わず彰も呆然としたままリリアの背中を見つめていた。
しかし、男の顔に張り付いた不敵な笑みが消えることは無かった。脱力したゴム人形のように上体を捻って避けると、その反動を使ってリリアの脇腹に蹴りを入れる。
「ほら、次が来るぜ!」
地面に転がるリリアに、間髪入れずナイフが襲い掛かった。なんとか逃げるが、躱しきれなかった何本かが服の裾を切っていく。
彰もこのまま見ている訳にはいかない。しかし、ちょうど彰が立ち上がる頃、ついに鼠たちが追いついてきた。
先頭はボロボロの服を着た男。格好だけ見れば貧乏くさいが、腕や脚にはしなやかな筋肉がついている。地下街付近にでも潜んでいたのだろうか。ネズモールの言う通り、鼠たちは街中の至る所にいるらしい。
先頭の彼は、そのまま彰のもとまで走ってくると、素っ頓狂な声を上げて組み付いてきた。しかし慣れていないのか、力任せに引っ剥がすと簡単に拘束が解ける。
男の身体を投げ捨ててリリアを見ると、彼女の背後には三人の鼠が迫っていた。彼らの手に握られていたのは、ナタのような刃物。
生け捕りが目的の彰と違って、リリアは命を狙われているのだ。
「リリア! 後ろだ!」
彰が飛び出すより早く、三本のナイフが頬を掠め飛んでいった。これだけの手数、リリア一人では対処できない。しかし次の瞬間、彰は自分の目を疑った。
三人の背中に深々とナイフが突き刺さったのだ。
「おい鴉ッ! 俺の仲間に手を出すなッ!」
ネズモールの悲鳴に似た声が響いた。鴉は笑って指を鳴らすと、転がる男たちからナイフがずるずると抜け落ちる。
「人の獲物を横取りしようとするからさ、新入り」
「横取りはそっちが――」
その時、甲高い笛の音が鳴り響いた。その場にいた全員の注意が道の向こうに立つ、臙脂色の軍服を着た青年に注がれた。
一瞬の空白。
彰はリリアの身体を担ぎ上げると、鴉の脇をすり抜けて、その憲兵の方角へと走り出した。鴉はそれを見逃さない。空中のナイフを一つ掴むと、彰の背中へ向かって投げつけた。
「アキラ、避けろ!」
憲兵の声を合図に彰は道の脇に身体を寄せた。彰目掛けて空を裂くナイフは、その先にいた憲兵のもとへ。しかし、彼は素早く銃を構えると、そのナイフを空中で撃ち落とした。
鴉はニヤリと笑うと、着ていたロングコートをふわりと広げる。あちこちに散っていたナイフは、素直にその内ポケットへと納まった。
「分が悪いな」
そう言い残すと、道沿いの建物の窓へ飛び込んでいった。
◇◇◇
九頭龍から逃れた二人は、ヘクターによって商店街近くの駐在所で保護された。彰は貰った包帯を手に取ると、長椅子に腰掛けたリリアの脚に巻いていく。
憲兵の軍服を着たヘクターが入ってきた。戴冠式に際して、一時的に憲兵として街の巡回をしていたらしい。手にした盆には湯呑が三つ載せられている。香りからして紅茶だろう。
「包帯、それで足りるか?」
「大丈夫っす」
傷は浅い。包帯を巻き終えると、彰はリリアの隣に腰掛けて湯呑を手に取った。シルヴァの家で貰ったものと同じ紅茶だった。
彰が口を付けたのを見て、リリアも湯呑を手に取る。
「紅茶。初めて飲んだけど、あんまり美味しくないね」
彰は呆れた顔でリリアを見る。ヘクターは笑いながら「良いよ」と手を振った。
「俺も最初は好きじゃなかった。香りは良いけどね」
「アタシも香りは好き」
リリアは湯呑を置くと、鋭い目つきでヘクターを見た。まだ警戒しているらしい。
「九頭龍だろ、アイツ。うちも襲撃を受けた」
「貴族狩りってやつっすか」
貴族狩り、というのをアクレスから聞いたことがあった。現状に不満を持つ者が、主に地下街に暮らす貧民だが、その憂さ晴らしとして貴族を襲うのだ。ただ、貴族の方も用心棒を雇っており、大抵は失敗するのだという。
しかし、彼は「いや…………」と口ごもる。そして少し間を置くと、手に持った湯呑を見つめて答えた。
「あれは誰かに雇われたんだろうな」
「暗殺?」
「そう……、そうだな…………。最近は軍の発言力が強くなってるらしいからな。特に親父は、まぁどちらかというと改革派だ。親父を消したがる連中は…………、はぁぁぁ…………………………」
ヘクターは大きなため息を吐くと、らしくもなく項垂れた。
「政治ってのはよく分からん。親父もなんで関わるんだか…………」
アクレスに聞いたことがある。どうやら最近、軍人と政治家の境界が曖昧になってきているらしい。そのきっかけとなったのは前月島総督、大将ユドラーだった。
マテラスが国際社会での一定の地位を得たのは、軍が列強の一角であるリンバス帝国を破ったことが大きな要因だ。その功績を盾に、彼は政治の舞台に土足で乗り込んでいったのである。
平民上がりの者が議会に口を出すなど前例がない。ところが、彼の豪胆な性格と屈託のない笑顔は皆に好かれ、次第に彼の政治参入に対して異を唱える者はいなくなった。
現在、シルヴァを含む数人の将校が、参考人として議会に参加している。
「ま、ンなことは良いんだ」
ヘクターは紅茶を一気に飲み干した。
「九頭龍ってのは、しょっちゅう襲ってくんのか?」
「しょっちゅうって程じゃないけど。これで三……、四度目かな?」
「かなりの頻度だな」
そう言うと、不意に思い出したようにポツリと呟いた。
「蜘蛛の娘…………」
リリアの動きが固まった。彰も「え?」と聞き返す。
「ってのは、聞いたことあるか?」
「……どうして、俺に聞くんすか?」
「いや、親父が何か知ってるみたいなんだけど、聞いても話してくれないんだ。九頭龍の『蜘蛛』ってのが親父の知り合いらしいんだが、そんなヤツに襲われたことはあるか?」
「蜘蛛は死にました」
リリアが言った。
「死んだ?」
「七年前、蜘蛛は九頭龍を裏切って殺されました」
「裏切って…………。なんで君がそれを知ってるんだ」
「アタシが…………」
一瞬ためらうが、意を決したように口を開いた。
「アタシが蜘蛛の娘だからです」




