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中央都東通りの、様々な店が建ち並ぶ商店街。軍人上がりのディアスが営む小さな日用雑貨店では、最近になって新たに店員を一人雇った。
「おやっさん、これなんすか?」
店の奥で帳簿を書いていたディアスは、手を止めて顔を上げる。新人の手に握られていたのは、細長い棒状の道具だった。
「懐中灯」
「カイチュートー?」
「先端が光るんだよ。燃料もいらないから、夜道を歩くときに便利なんだ。光はちょっと弱いけど」
その新人は「へー、便利っすね」と適当な返事をすると、再び品物を物色し始める。
この新人の名は、アキラ・イリヤ。友人であるアクレスの紹介で雇ったのだが、毎日、商品棚を物珍しそうに眺める不思議な子だった。世間知らずのお坊ちゃんなのかと思ったが、仕事の覚えも早く、テキパキ働いてくれる。
時刻は昼過ぎ。なにやら新国王の戴冠式があるとかで、今日は客の入りが少ない。そもそも、こんな日に店を開けている方が少ないだろう。
「納品来てたやつ、運んどいたよ」
「おう、ありがとう」
奥から顔を出した女性は、以前からここで働くライアだ。「看板娘に」と思って女性従業員を募集したところ、無愛想で口数の少ない彼女しか来なかった。ただ、仕事は店主のディアスよりも速くて正確なので、非常に助かっている。
「アキラ、お客さん」
ライアの声に顔を上げると、店の前に少女が一人立っていた。アキラは彼女を見るなり「おいおい」と呆れた様子で頭を掻く。
「何しに来たんだよ、リリア」
「別に。ちゃんと働いてるかなって」
どうやら知り合いだったらしい。ディアスは帳簿に目を戻した。商店街の物音を背景に、二人の痴話喧嘩のような会話が聞こえてくる。かなり仲が良いようだ。
若ければ羨ましいと感じたかもしれないが、三十を超えてくると諦めが勝ってしまう。独身生活も慣れてくると悪くはない。
ふと顔を上げると、ライアと目が合ってしまった。
「ディアスさんが、もうちょい若ければ考えたけどね」
彼女はそう言うとフイと顔を逸らしてしまった。「そんなつもりはない」と否定しようと思ったが、何を言っても言い訳にしか聞こえないと思ってやめた。あるいは、心のどこかで「そんなつもり」だったのかもしれない。
頬杖を突いて仲睦まじい男女を眺めていると、二人の脇にフードを被った小さな男が現れた。
「アキラの兄さん! 俺を覚えてますかい?」
その男はフードを取って顔を見せる。ギョロギョロとした目に、あの不自然なほど飛び出た前歯はおそらく付け歯だろうか。百人が見て、百人が「胡散臭い」と答えるような男だった。
アキラが「あー…………」としばらく悩んでいると、彼は痺れを切らしたようにため息を吐いた。
「俺ァ、ネズモールでさァ! 悲しいなァ、もう!」
「あー! そうそう、それそれ」
ネズモールと名乗った男は、笑いながらアキラの肩を叩く。それを不審な目で見ていた少女は、素早く彼の腕を掴んだ。
「アンタ、これ…………」
「おォっと…………。さすが! 目ざといなァ、嬢ちゃん!」
男の腕に彫られた刺青は、遠目からでもよく見えた。いわゆる「スミイリ」というやつだ。ディアスも彼らにあまり良い印象は無い。
少女は困惑した顔で男を見る。
「誰………………?」
「知らねェのも当然。なにせ新入りだからなァ。俺の名は『鼠』。アンタのことは聞いてるぜェ、蜘蛛の嬢ちゃん」
次の瞬間、目にも止まらぬ速さで少女が短刀を振るった。素人の動きではない。
しかし、男は寸前でそれを躱した。その拍子に、並んでいた商品棚がバタバタと倒れる。
「ヒヒッ……。あぶねェなァ」
「アンタ、二対一で勝算あるの?」
「確かに一匹一匹は弱いがなァ……。どこにでも出るんだぜ、鼠ッてのは」
全く状況が理解できないが、これ以上店内で暴れられると困る。ディアスは慌てて立ち上がった。
「ライア。あの人らを………………、あれ?」
振り向くと、ライアが居なかった。店内を見回すと、いつの間にか彼女はアキラの腕を掴まえて、首元に短刀をあてている。
「一緒に来てもらうよ、アキラ」
ライアは静かな口調で言った。ディアスは呆然とその様子を見つめる。
一緒にどこへ行くんだ。仕事中じゃないのか。訳が分からない。
「アキラに触んな!」
少女は怒った口調で言うと、ライアの短刀を弾き飛ばした。
「逃げるよ!」
そう言ってアキラの腕を掴むと、二人で店の外へ走っていく。その後を追う小男。倒れた棚やバラバラに散乱した商品を気にする素振りもない。
我に返ったディアスは、彼らを追おうとするライアの腕を掴んだ。
「待て待て待て!」
「……悪いけど、邪魔するようなら」
「追うのは構わんが、その前に片付けてからにしろ! 俺一人に全部押し付ける気か!」
彼女は少し考えると、「それもそうだね」と呟いて、落ちた商品を拾い始めた。
◇◇◇
リリアは横を走る彰を睨みつけた。
「なんで抵抗しないの」
彰は思わず目を逸らす。
「え?」
「あの女に捕まったとき、少しも抵抗しなかったでしょ」
「いや、あれはまぁ……、ビックリしてさ…………」
「ふーん……………………。美人だったもんね」
いつになく不機嫌なリリア。「もしかして妬いてる?」なんて聞こうと思った彰だったが、そんな状況ではないことを思い出してやめた。
背後を振り返ると、ネズモール改め「鼠」の姿はかなり小さく見えた。もともと小さいといえばそうだが、距離も少しずつ離れてきている。
今日は戴冠式。中央広場には多くの人が集まっている。そこまで走れば二人くらい簡単に紛れ込めるだろう。
「人通りの多い方へ行くぞ」
「…………」
「リリア?」
「………………分かったって」
不貞腐れた顔で答えるリリア。まだ機嫌は悪いようだ。
「中央広場にいけば、そこで…………うぉおっ!」
彰が言いかけた、その時。突然、道の脇に立っていた男がアキラに襲いかかってきた。不意を突かれた彰は、押し倒されるように石畳の上を転がる。
「んだよ、てめぇッ!」
彼は慣れた様子で暴れる腕を抑え込むと、懐から細い竹筒を取り出した。その先端には銀色の針のようなものが伸びている。その形は注射器を連想させた。
――どこにでも出るんだぜ、鼠ッてのは
鼠の言葉が蘇った。
彼の仲間は街中に潜んでいるのだ。共に店で働いていたライアも、ついさっきまでは奴の仲間だなんて思いもしなかった。
男は注射器のような竹筒を軽く振り上げる。しかし、次の瞬間。
ギィィ――――ンッ!
不気味な振動音と同時に、彼の肘から先が飛んだ。銀色の糸が踊る。
リリアは男を見下ろすと、これまで聞いたこともないような低い声で言った。
「アキラに触んな」
彼女のグローブが澄んだ青色に輝いている。ソフィアは「少しだけ」改造したと言っていたのを思い出した。捕縛用だったはずなのだが、恐ろしい武器に変貌を遂げている。
くぐもった声を上げる男を退かすと、彰はリリアの腕を掴んで走り出した。
「助かった、ありがとう」
「これ…………、糸が………………」
リリアはグローブを見つめて呟いた。彰は握った腕をグイと引いて、彼女の注意を前に向ける。
「後でソフィアさんに文句言いに行こう。とにかく今は逃げるぞ」
「うん…………ちょ、ちょっと! そっち広場じゃないって!」
突然進路を変えたのに気付いて、リリアは慌てた様子で言った。しかし彰は落ち着いた口調で答える。
「こっちで大丈夫だ」
「なんで?」
「鼠の仲間がどこにいるのか分からないからな。人混みなんか行ったら、アイツらの思うツボだろ。こっちの道が正解だ」
それを聞くと、リリアは納得したように「そっか」と呟いた。
商店街の裏通りは、普段から人通りが少ない。戴冠式の今日となれば、なおさらだ。背後を見ると、遠くから数人、追ってくる影がはっきりと見えた。
距離は段々離れている。このまま逃げ切れそうだ。
そう思ったのも束の間。二人はピタリと足を止めた。
「どっちの道が正解だって?」
リリアの言葉に、彰は「……返す言葉もないです」と答える。
二人の目の前に立っていた男は、咥えていた葉巻を捨て、白い煙を吐き出した。深く被った帽子のツバを伝って、煙が青い空へ立ち上っていく。
「よう。元気そうだな」
鴉は嬉しそうに言うと、不敵な笑みを浮かべた。
1月終わるの早すぎる……




