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マサ爺の家の玄関がガラガラと開いた。粉雪の混じった冷たい風がひゅうと吹き込んできた。「ただいまぁ」と入ってくる彰を見て、お玉片手にリリアがため息を吐く。
「ちょっと、どこ行ってたの。もう晩ごは………………ちょっと! 泥だらけじゃん! もう、どこ行ってたの!」
「山。散歩がてら、これ取りに」
彰は手に持っていた剣を見せた。梟から逃げる際に投げ捨てた剣だ。リリアは「その服は自分で洗濯しなさい」と言うと、鍋で味噌を溶き始めた。
「お前、そんな動いて大丈夫なのかよ」
彰が言うと、しゃもじを持ったアクレスが「そうだぞ」と続く。
「完治してないだろ。無理するんじゃない」
「動かないと体が鈍っちゃうでしょ。ご飯作るくらいなんてことないよ」
彰はキョロキョロとあたりを見回すと、棚にある木の椀に手を伸ばした。しかし、彼女は「こら」と彰を止める。
「あんた、先に手洗ってきなさい。いや、もうお風呂入っちゃいなさい」
「分かったよ、母ちゃん」
「誰が母ちゃんだ」
草履を履いて出ていこうとする彰。アクレスは「待て待て」と言うとそれを制止した。
「リリアも。お前ら、システィとグレイス呼んで来い。飯だ」
◇◇◇
リリアは道場の扉にかけた手を一度引っ込める。なんと声をかければ良いのだろうか。父親を失った経験はリリアもある。その時に強く感じたのは恨みと怒りだった。遅れてやってきた悲しみは二つの黒い感情に掻き消されてしまって、ほとんど覚えていない。
だが、システィアは違うだろう。彼女が感じているのは純粋な悲しみ。
その感情にかけてあげる言葉を、リリアは持ち合わせていなかった。
――なんも言わんでエエから、傍に居てあげたってな
その時、病院で聞いたメランの言葉が蘇った。リリアは一つ息を吐くと、再び扉に手をかけた。
「誰…………」
真っ暗な道場から、消え入りそうな声が聞こえてきた。普段の調子からは想像もできないほど小さく、か弱い声に、リリアは少したじろぐ。
なぜか汗ばんだ手を握りしめると、努めて優しい口調で声をかけた。
「晩ごはんできたよ。一緒に食べよう?」
「………………あとで食べる」
「あ…………、そう……?」
暗闇に慣れた目が見たのは、刀を前に膝を抱えて座り込むシスティアだった。あの刀はマサ爺のものだろう。その姿を見て、リリアは握りしめていた手を自然と解いていた。
リリアは板の間に上がろうと草履を脱ぐ。しかし。
「ごめん。今は一人にして」
システィアの鋭い声が飛んだ。リリアの足が止まる。
「今は…………一人にして………………」
その弱々しい声に、リリアは草履を脱いだまま立ち尽くした。
そばに寄り添うだけ。たったそれだけのことなのに、どうしていいのか分からなかった。システィアは目の前に座っているはずなのに、とても遠くにいるように思えた。
「ごめんなさい…………」
リリアは呟くように言った。
「アタシ、どうすればいいか分からないの。なんて言えばいいのか分からない…………。でも………………、そばに居させて」
「…………」
「前に『家族』って言ってくれたの、すごい嬉しかったんだ。だから何もできないけど、何かしたくて…………。アタシにとっても、システィは家族だから…………………………」
リリアが口をつぐむと、道場はシンと静まり返った。白い息が暗闇に溶けていく。
「ごめん…………」
システィアは小さく言うと、伏せていた顔を上げてリリアを見つめた。
「やっぱり一緒に居て……」
リリアは小さく頷いて、道場に上がった。
歩くたびに冷たい床が軋む。システィアのそばに来るころには、足先はすっかり冷え切ってしまっていた。
丸まった背中に、そっと手を乗せる。彼女の背中もまた、驚くほど冷たかった。
「今日は冷えるね」
リリアはシスティアと背中合わせに座った。くっつけた背中に、じんわりと冷たさが伝わってくる。
「一人じゃ寒いけど、二人ならあったかいよ」
リリアが尋ねると、背中越しに「うん」と涙交じりの声が聞こえてきた。
◇◇◇
家の裏手に回ると、瓦を焼く窯の煙突から小さな煙が上がっていた。ちょうど火を消したのだろう。
彰が歩いていくと、ススで顔を黒くしたグレイスが「おう」と片手を上げる。
「飯」
「おう。…………お前、泥だらけじゃん」
「山でね。転んだ」
彼はクンクンとニオイを嗅ぐと、鼻で笑った。
「嘘が下手だな。ま、そういうことにしといてやるよ」
「…………おう」
彰は小さな作業台を引っ張ってきて腰掛ける。足元に散らばる陶器の破片が、カラカラと乾いた音を立てた。よく見ると、瓦らしい形をした物もある。
「…………割れるんだよなぁ」
グレイスが小さく呟いた。
「あれから、一人で瓦を焼いてみたんだ。でもなんか…………、何が違うのか、割れたり脆かったりするんだ」
グレイスは白い息を吐いて木組みの屋根を見上げた。
「俺、何やってたんだろうなぁ………………。時間はあったはずなのになぁ…………」
グレイスは燻る釜に枝を突っ込んで火を点けると、近くにあるランタンに移した。二人の影が音もなく揺れる。
「もっと、親父の話聞いときゃ良かったなぁ………………」
白い雪が舞う。冷たい風が吹き抜けた。
彰は足元の欠片を拾い上げる。
「割れたら、また作れば良いじゃん」
「ん?」
「また焼けばいいんだよ。次は割れないようにさ。何度も何度も」
それを聞いたグレイスは、可笑しそうに笑った。「なに?」と尋ねる彰の頭を、ガシガシと雑に撫でる。
「うるせーよ、クソガキ。親父みてーなこと言いやがって」
「やめろって! ススだらけじゃねーか!」
「おし、風呂沸かすぞ。飯は後だ」
立ち上がると、グレイスは彰の背中を力強く叩いた。
◇◇◇
夕飯を終え、穏やかな寝息が聞こえ始める頃。彰は縁側で座って布団に包まりながら、一人で庭を眺めていた。
雪はとうに止み、雲はすっかり晴れている。見慣れない石塚には、少し白い雪が積もっていた。
「眠れないの?」
振り向くと、眠たげな顔をしたリリアが立っていた。
「まぁね。システィは?」
「もう寝たよ」
見ると、システィアはスヤスヤと寝息を立てている。
リリアは隣に座ると、彰の布団の中にモゾモゾと入ってきた。
「ふふっ。温かいね」
「…………そうだな」
彰はリリアの肩に腕を回し、彼女の小さな体を布団で包んだ。火照った二人の顔を、冬夜の風が優しく撫でていく。
彰はチラリとリリアの顔を見ると、少し悩んで懐から耳飾りを取り出した。
「……これ」
「ん? …………あ」
黄色い宝石の付いた小さな耳飾り。
リリアは口をポカンと開けて固まると、彰の顔を見上げて尋ねる。
「どこで……」
「山。落ちてたんだ」
この耳飾りは蟷螂が身に付けていたものだ。リリアはそれを受け取ると、小さな声で「お兄ちゃんは?」と言った。
「…………居なかったよ。俺が行ったときには、もう」
「そっか……。だよね」
リリアは少し笑って呟くと、その耳飾りを右耳に付けた。小さな宝石が光る。
「これ、昔アタシがあげたやつなんだ」
「そうなの?」
「そう。ほんっとに昔だけど。…………お兄ちゃん、まだ付けててくれたんだ」
彰は少し視線を落とすと、小さく息を吐いた。
「アキラは死なないで」
不意に言ったリリアの言葉に、彰は思わずピクリと反応した。リリアは夜空をジッと見つめながら続ける。
「アタシ、決めたんだ。アキラが帰れるまで、ずっと協力してあげる。だからさ、九頭龍なんかに殺されたりとか、絶対にやめて」
二人の視線は、自然と庭にある小さな石碑を向いていた。瓦屋として散っていったマサ爺は、この下に眠っている。
「お前を残して死ぬわけないだろ」
彰は答えた。リリアは照れたような笑みを浮かべて俯く。
「その後はどうすんだ」
「え?」
「その後だよ。俺が帰った後」
リリアの言う「アキラが帰れるまで」というのは、彼女の中で色々と折り合いを付けて出た言葉なのだろう。隣を見ると、彼女は俯いたまま黙り込んでいる。
「お前、自分のこと全然考えてないだろ」
「…………うん」
「そんなだと、俺はいつまで経っても帰れねーだろうが」
彰はそこまで言うと、目を閉じてしばらく黙った。そして、なにか決心したように小さく息を吐くと、固く握った手を見て言った。
「返事は後でいいけどさ。もし、帰る方法が分かったら………………。俺と一緒に来ないか?」
「え? なに?」
「………………二度言わせんなよ」
赤い顔を背ける彰を見て、リリアは思わず噴き出した。
「なに笑ってんだよ」
「いや…………、ついね」
リリアは嬉しそうに笑うと、彰の肩に頭を乗せた。
「…………月、綺麗だね」
西の空には上弦の月が浮かんでた。冬の透き通った空気を通して、白い光が二人を照らしている。
「このまま寝ちゃおうかな」
「風邪引くぞ」
「そしたら看病してよ」
彰は小さく笑った。
「おやすみ、アキラ」
「……おう」
そのままリリアは、彰の横で静かに寝息を立て始めた。
このあと37.5話をアップします。




