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一瞬の出来事だった。
何か強い力で殴られたかと思うと、気づけば知らない肩に背負われていたのだ。目は覚めたものの、まだ頭がフラついている。
彰は両の拳を握りしめると、揺れる背中を思いきり殴りつけた。
「ッぐ――――!」
低いうめき声。
彰は背負っていた男と一緒に、柔らかい落ち葉の上を転がり落ちていく。どこかでフクロウが鳴いた。
視界を縁取る生い茂った枝葉。ビー玉を散りばめたような星空。月は出ていない。目を擦ろうと腕を持ち上げると、手からパラパラと土が落ちた。
「はは………………」
転移したばかりの頃を思い出して、無意識に笑いが漏れた。
剣は無かった。彰は咄嗟に手近にあった石を拾うと、近くの木の陰に隠れる。まだ走って逃げられるほど回復していない。
「もう起きたか。早いな」
男はボソボソとした声で呟いた。ジャラジャラと何か鎖のような音が聞こえてくる。彰は木の幹に寄り掛かると、そのまま地面へ腰を下ろした。
「そこか」
その声の直後、彰の頭上数センチに淡く輝く鎖が巻き付いた。鎖の先についていた鎌が幹に突き刺さる。
「……っぶな!」
鎖と鎌の組み合わせではあるが、いわゆる「鎖鎌」というやつではない。投げた鎌で直接獲物を仕留める、全く別物の凶器だ。
それを可能としているのは、やはり「魔法」である。鎖が淡い光を放っているのは、構築式が描かれているからに違いない。おそらく魔法で鎖を操作しているのだろう。
とにかく、幹の陰に隠れていても鎌の餌食になるだけだ。彰は転がるように逃げ出した。
「…………ッだぁ! チクショウ!」
だが、すぐに立ち止まって振り返る。ふらつく足で逃げたところで、追いつかれるのが関の山。背中を見せるくらいなら、正面から戦った方が隙を見出せる可能性は高い。
暗い森の中で淡く輝く鎖が二本揺れている。鬱蒼と茂る森の中では、長い鎖は自由が利かない。ここで戦う方が相手にとって都合が悪いはずだ。
やはり攻めあぐねているようで、男は鎖を手繰り寄せて鎌を握った。
「素手で戦うつもりか。ずいぶんと舐められたもんだな」
「戦う以外に無いんだよ。お前こそ舐めんなよ? 追い詰められたネズミは何するか分からねぇぞ」
強がって見せるが、手持ちの武器は小石しかない。
枝を揺らしていた風が止んだ。シンと静まり返る夜の森。冷たい汗が背中を伝う。
微かに聞こえた鎖の音。直後、風を斬る音と共に、黒鉄の鎌が闇を駆けた。
「それはマズいだろ!」
当たれば致命傷になりかねない。生け捕りが目的のはずではないのか。
ただ、もう以前の彰ではない。上体を反らして鎌を躱すと、体勢を崩しながらも持っていた石を投げつけた。
しかし彼は簡単に石を避けると、伸び切った鎖を握る。描かれた構築式に淡い光が走った。
その瞬間、彰は思い出した。鎖は自在に動くのだ。
「おい! やっぱ、それズルいって!」
鎖は空中でグニャリと曲がったかと思うと、彰の左脚に絡みついた。
石なんか投げずに逃げていれば、と後悔するが遅い。鎖はそのまま彰の体を引きずると、太い木の幹に叩きつけた。
「いってぇ…………」
視界が揺れる。立ちあがろうとするが、思わず両手をついて倒れ込んだ。
「かなり動けるな」
男はゆっくりと歩いてきた。ガサガサと落ち葉を踏む音が聞こえる。
暗闇に慣れた目が捉えたのは、彰と同い年くらいの若い男だった。鎖の付いた小振りな鎌を二つ。蟷螂のように両手に構え、鋭い目で彰を睨んでいる。左耳には、黄色の小さな宝石が揺れていた。
「…………そらどーも」
木に寄り掛かって座りながら呟いた。
正直なところ、剣さえあれば十分に戦える相手に思えた。マサ爺の速度に慣れているせいか、男の動きはある程度予測できる。今の彰ならば隙を見て攻撃することもできるだろう。
それだけに、何もできない現状が余計に悔しかった。
ガックリと項垂れながら彰はため息を吐く。
「あーぁ………………」
「『剣さえあればなぁ……』なんて思ってる?」
その時、不意に頭上から声がした。「え?」と彰が顔を上げるより早く、目の前の地面に剣が突き刺さる。
彰が剣を引き抜くと、一人の少女が木からヒョイと降りてきた。
「女神様!」
「一つ貸しだからね」
女神にしてはケチだが、今は何も言うまい。彰は剣を支えに立ち上がると、前に立つリリアに言った。
「よく場所が分かったな」
「跡追いはアタシもできるから」
跡追い。残された痕跡から行方を追う、狼が得意としていた技術だ。
「アキラは下がってて」
リリアは強い口調で言った。
「でも、お前だけで…………」
「下がって、じっとしてて」
リリアは振り返らずに言うと、彰を庇うように両手を広げる。男は立ち止まると、ゆっくり鎌を構えた。
「何のつもりだ、リリア」
「今回は手を引いて」
「何だと?」
「アキラを連れて行きたいなら、アタシを殺してからにして」
「おい!」
慌てる彰をリリアは目で制した。「殺して」と言うが、どうも戦闘の意志は無いように見える。
すると、男の方も鎌を下ろした。
「…………今回だけだ」
「ありがとう。兄ちゃん」
「にいちゃん?」
困惑する彰を振り返ると、リリアは嬉しそうに笑った。
「昔、仲良かったんだ」
「あぁ…………。なんだよ、早く言えよ」
「リリア」
男が声をかける。
「元気でやってるのか?」
「うん、大丈夫」
「そいつとは、どんな関係だ」
「……旅の仲間……みたいな」
男は「そうか」と呟くと、鎌に鎖を巻き付け始める。
「今回は取り逃がしたことにする。代わりに、今晩あったことは」
その言葉の途中。彰は思わず自分の目を疑った。男の腹から、まっすぐ刀が生えてきたのだ。
彼は大きく目を見開くと、口から血を吹き出す。
「とんだ茶番ですね。『蟷螂』の名が泣きますよ」
背後から刺されたと分かったのは、その声が聞こえてからだった。
ドサリと崩れ落ちる男の背後から、白い霧と共に現れたのは細身の老人。スーツのようなピッシリとした黒服に身を包み、頭にはツバ付きの帽子を乗せている。刀を握る手の甲には、九頭龍の紋が刻まれていた。
気配はもちろん、落ち葉を踏む音すら聞こえなかった。
リリアはその姿を見ると、震える声で呟いた。
「梟………………」
彼はその言葉に笑うと、帽子を取って深くお辞儀をした。
「お久しぶりです、リリアさん。お望み通り、貴方を殺した後にアキラ君を連れて行くとしましょう」




