30
秋の終わりを告げる冷たい風に、はらりと落ちる紅色の楓。月の無い夜空には鮮やかな星々が散りばめられている。
彰は静かに刀を構え、呼吸を整える。吐き出した白い息が視界の端に消えた。
「――――ッ!」
柄を握りしめ、横一文字に振り抜いた。巻き起こった風に乗って、楓の葉はフワリと刃を躱す。
「………………どうやって斬ってんだ、あの爺さん」
彰は額の汗を拭うと、刀を下ろして風に舞う木の葉を眺めた。
月島へ来てから、もう二十日ほどが経つ。秋の虫の音もすっかり聴こえなくなってしまった。
「紅蓮の英雄って、アクレスのことだったんだ」
縁側に座るリリアが言った。寒さのせいか、頬は少し赤みがかっている
「マサ爺も月島では英雄って呼ばれてるんでしょ? 英雄ってのは、みんな貧乏なんだね」
「貧乏?」
「アクレスの家もこの家も、金目の物が全然無かったからさ」
「物色するなよ」
リリアは冷たくなった手に息を吐きかける。その姿を横目に、彰は剣の素振りを再開した。
「それ、いつまで振ってるの?」
「気が済むまで」
「食後に動くと体に悪いよ」
「いんだよ。俺、若いから」
リリアは「ふーん」と呟くと、敷いていた布団を縁側まで引っ張って来た。
「何してんの?」
彰の問いかけに、リリアは布団に包まりながら答える。
「いや、寒いから布団持ってきた」
「見てなくていいよ? 先に寝てな」
「うん」
しかし、彼女は縁側から動こうとしない。二、三剣を振ると、彰は再び尋ねた。
「寒くない?」
「ちょぴっと寒い」
「だから、先に寝てなって」
「うん」
そう答えるが、やはり動く気配は無い。
「寒いなら、家の中で寝たら?」
「ここで良い」
「………………もしかして一人だと寂しいとか?」
「…………………………別に」
今日は、アクレス、システィア、マサ爺の三人とも遅番で家を空けている。グレイスは言わずもがな、酒を求めて山を降りていった。今頃はエリの店で潰れているに違いない。
彰は一つ息を吐くと、また剣を構えた。
「そこで寝てな。終わったら起こすから」
「うん」
「寒かったら俺の布団も使えよ」
「ありがと」
シンとした夜に、鋭く風をきる音がする。星の灯りに照らされて、彰の姿がぼんやりと浮かんで見えた。
長らく忘れていた。一人の夜の寂しさを。そして、誰かを頼れる心地よさを。
繰り返される素振りの音が深い眠りへと誘う。リリアの瞼がゆっくりと落ちていく。
しかし、不意にその音がピタリと止んだ。
「アキラ?」
名前を呼ぶが、返答は無い。不審に思ったリリアは目を開けると、すぐさま布団から跳ね起きた。
「アキラ!」
そこに彰の姿は無かった。
◇◇◇
「三人とも遅番とはなぁ」
食堂で蕎麦を啜りながらマサ爺が呟いた。向かいに座るアクレスも「そうですね」と言いながら蕎麦を啜る。
「食堂ってのは、酒は無いのか?」
「あるわけないでしょう。仕事中ですよ」
「仕方ねぇなぁ…………」
時刻は二十時を回ってる。普段は家で晩酌をしている時間だ。マサ爺は不満げな顔で、緑茶の入った湯呑を見つめた。
「護衛は? 離れていいんですか」
アクレスが尋ねる。マサ爺の任務はスイコ、及びマテラス国王の護衛だ。
「問題ねぇよ。システィアを置いてきた」
「なるほど」
「立派になっちまったなぁ、アイツも。あんなチビ助だったのに…………」
「それ、本人に言ってあげてくださいよ」
すると、彼は照れくさそうに笑った。
「言うわけねぇだろう。『今生の別れ』って時じゃねぇ限り言わねぇよ」
その時だった。食堂を、そして総督府全体にけたたましくサイレンが鳴り響いた。続いて、天井に取り付けられたスピーカーからノイズ混じりの音声が聞こえてくる。
『敵襲! 正門より黒服の集団! 全員、刀による武装を確認! これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練では…………』
アクレスは剣を握って立ち上がる。
「俺、正門に行きます! 師匠は陛下を…………」
「待て」
マサ爺は低い声で制した。
「南門へ行け」
「南?」
正門は北。南門といえば正反対の方向だ。ところが、マサ爺はもう一度「南へ行け」と言った。
「正門は陽動だ」
「なんで分かるんです?」
アクレスが尋ねると、マサ爺は「奴ならそうするからさ」と呟いた。
◇◇◇
総督府、月の宮。形式上「天守」と呼ばれる最上階に、国王と王妃の私室がある。
「あ……、ワタシ、お父さ…………、ち……、マサカズを呼んできます!」
襲撃を報せるサイレンの直後、護衛のシスティアは慌てて剣を取った。しかし、それをスイコが抑える。
「待て、システィ」
「は、はい!」
「少し落ち着け。マサを呼びに行く間、ワラワを誰が守るんじゃ」
「それは私が…………あ!」
「マサは呼ばずとも来る。それまで待て」
システィアは「分かりました!」と答えると、部屋の入口前で仁王立ちする。それを見て、スイコは笑いながら長椅子に腰掛けた。
「可愛いじゃろ。昔から変わらんなぁ」
「大丈夫なのか?」
ユーテルは不審そうな顔でシスティアの背中を見つめる。
「安心せい。腕は確かじゃ。男ならドンと構えておれ」
スイコは「それに」と付け加える。
「何があっても、ワラワと世継ぎは死なぬ」
「なぜ言い切れる」
「おそらく、相手は『瓦屋衆』。月島王家、唯一の末裔であるワラワに手は出さん」
月島王家直属の諜報部隊「瓦屋」。三十年前の敗戦で解体された組織だが、それと同時に構成員のほとんどが幻のように姿を消してしまっていた。
「今どき刀なんぞを使う輩は、そうはおるまいて。まったく、何処かで腹でも切っておるかと思えば………………」
「随分と信用しているらしいな」
「殺すなら、火を放つのが手っ取り早い。それをやらんのは、ワラワが居るからじゃ。彼らの忠義は信頼しておる」
「それなら瓦屋を止めてくれ」
ユーテルが困った顔で言うと、スイコは笑いながら「無理じゃな」と答えた。
「彼らは父上の命しか聞かん」
「………………なるほどなぁ」
「ただ、ワラワがいるからこそ、ここに火は放たれんし、ヌシもそう簡単に死ぬことはない。それは確かじゃ」
その時、システィアが唐突に剣を構えた。
「来ます!」
その言葉の直後、部屋の扉が蹴り破られた。その向こうから現れたのは両腕に炎を纏った一人の女性。黒服でもなければ刀も持っていない。その背後では、轟々と赤い炎が滾っていた。
「おい、スイコ」
スイコは顎に手を当てて黙り込む。そして一言、静かに呟いた。
「うむ。アテが外れたかな」




