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総督府の外観について、以前の話に多少変更を加えました。(2022/11/21)
総督室の扉が叩かれた。荷物をまとめていたユドラーが応えると、一人の男が部屋へ入ってくる。彼の姿を見るなり、ユドラーは目を丸くして言った。
「へ、陛下…………!」
「陛下? あぁ。今は私が国王か」
その男はユーテル・ラウノス・マテラス。第十四代マテラス国王である。白いシャツに上着を羽織っただけという国王にしては質素な装いだが、彼は「他より動きやすい」と好んでこれを着ていた。
ユーテルは顔にある大きな傷痕をポリポリと掻くと、部屋の中央にある長椅子に腰掛けた。
「悪いな。突然」
「いや…………。陛下、お怪我は? 完治までは時間がかかると聞きましたが……」
「その通りだが、部屋に居るのもつまらんのでな」
彼は包帯を巻いた左腕を見る。顔の傷も腕の怪我も、どちらも暗殺未遂事件の際に受けたものだ。本来であれば、前王が崩御してすぐに中央都へ向けて発つべきところを、この怪我のせいで二の足を踏んでいる。
ユーテルはまとめられた荷物を見て「それに」と続ける。
「月島総督も明日で最後だろう? 次は、確かブラウ中将だったか」
「えぇ、仰る通りです」
「どうせ中央都で会うだろうが、まぁ出発前の挨拶だ」
そう言って葉巻を取り出しかけるが、一瞬迷ってから懐に戻した。ユドラーは内線で紅茶を持ってくるように言うと、向かい側の椅子に腰かけた。
「遠慮が無いな」
「陛下も気にするような方ではないでしょう」
「まぁな。これほど品格のない国王も未だかつて居ないだろう」
「親しみやすいということでしょう」
「物は言いようだな」
やがて紅茶が運ばれてきた。ユーテルはその香りに笑みを浮かべながら口に含む。
「それで、ただ挨拶に来た、というわけではないでしょう?」
ユドラーは紅茶には手を付けずに尋ねた。ユーテルはカップを置いて静かに顔を上げる。
「何故来たと思う?」
試すような笑みを浮かべて尋ねる。総督室がシンと静まり返った。
ユドラーは両手を挙げて首を横に振った。
「さぁ。見当がつきません」
ユーテルは「そうか」と呟くと、一口紅茶を飲んだ。
「中央都での襲撃の件で聞きたいことがある」
「その件ですか。私が答えられるものでしたらお答えします」
「暗殺の実行犯は、どこから城内へ入ったか分かるか?」
「火事の混乱に乗じて入ったのでしょう」
「私も初めはそう考えた。だがな、もう一つの可能性に気付いて、療養中に信頼できる部下…………まぁシルヴァ中将なんだが、に調べさせたことがあるんだ」
「…………もう一つの可能性ですか」
「城内には隠し通路があるのは知っているな?」
「はい。存じて上げております」
城には「いざ」という時に備えた隠し通路があることが多い。マテラス王国の城もその例に漏れず、国王の避難路として隠し通路が存在していた。
ユーテルはユドラーの目をジッと見た。
「城内の入り口から通路へ入ると、そこから複数の道に枝分かれして、逃走した先を簡単には特定できないようにしてある。だが、逆に城へ向かうならばどこから入っても良いわけだ」
「隠し通路からの侵入を疑っておいでですか」
「その通りだ」
「ですが、出口は全て内側からのみ開くよう仕掛けが施されているはずでは?」
ユドラーは間を置かずに尋ねる。
通路を敵に利用されないため、その出口は全て内側からのみ開くように細工が施されている。つまり、外部から城内の通路へ侵入することは不可能なのだ。
ユーテルは黙ってユドラーを見つめる。その顔には薄い笑みが浮かんでいた。
ユドラーは少し考えると、再び口を開いた。
「……内通者がいると?」
「その通り。内側から開けさせれば簡単だからな。そこで、通路が実際に使用されたのか調べさせたんだ。何しろ長年使用されていなかったからな。最近開いたことを示す痕跡はすぐに見つかったよ」
「なるほど……。隠し通路からですか」
「そうだ。ただ、ここで一つ問題点がある」
彼は背もたれに身体を預けて、顔の傷跡を掻いた。しかし、その目は変わらずユドラーから動かない。
「通路の存在は多くの人間が知っているが、その出口となる場所は一部の人間、それも特に信頼の置けるような、重要な役職を任せている人間しか知らない」
「私を疑ってらっしゃるのですか?」
「いらんことを思いついたせいで、これまで信頼していた部下の多くを疑わなければならない羽目になった」
すると、ユドラーは苦笑して頭を掻いた。
「まさか私が陛下に疑われるとは。これまで忠義を尽くしてきたつもりでしたが…………」
「無論、この件で私の君に対する信頼が揺らいだわけではない。これまでの貴官の働きぶりは私もしかと見てきた。ただ、君の周囲にいる人間、特に重要な役職を持つ人間に内通者がいる可能性を、君の耳に入れておこうと思っただけだ」
その時、総督室の扉が叩かれた。ユドラーがユーテルをちらりと見ると、彼は小さく片手を挙げる。
ユドラーが応えると、扉の向こうから「入るぞ」と女性の声がした。
「なんじゃ、おヌシもおったか」
「姫……」
ユドラーは慌てて立ち上がると、片膝をついて頭を垂れた。
「もう姫という齢ではないわ」
笑いながら言う彼女はマテラス十四世の妃、スイコ・マテラスである。彼女は月島を治めていた「月皇」と呼ばれる一族の唯一の生き残りである。他の血縁者は、三十年前の戦争の後、虱潰しに処刑されていった。
彼女は大きくなったお腹をさすりながら、マテラス国王の横に腰掛ける。その後ろで影のように立っているのは、護衛を任されているマサ爺であった。
「掛けてよいぞ」
「よ、よろしいのですか?」
「構わん。ワラワを誰の妻だと思うておる。この素っ頓狂じゃぞ。品格やシキタリなぞ気にしておったら気が触れてしまうわ」
横で聞いていたユーテルは「そこまで言うかね」と苦笑いする。
ユドラーが席に着くと、スイコは片手を挙げた。マサ爺はその手に小さな箱を載せる。
「総督を辞めて中央都へ戻るそうじゃな」
「はい」
「今日は挨拶に来た。これは、今までの働きに対するワラワなりの感謝の印じゃ」
ユドラーがその箱を受け取ると、スイコは一言「開けよ」よ命じた。
箱を開けると、中には金に輝く懐中時計が収められていた。文字盤の裏には、マテラス王国の紋章である竜と太陽が刻印されている。
「月島名産の時計じゃ。それほど小さなモノは島でも数人しか造れん」
「これほど名誉あるものをいただけるとは…………」
「本来ならば正式な場で渡すべきなのじゃが、ここでは良く思わん者が多いからな。その裏の紋も泣きながら彫っておったわ」
スイコはちらりと見上げる。マサ爺は表情を変えずにユドラーの手元を見つめていた。
「マサカズ」
ユーテルはそれを見て、マサ爺に声をかけた。
「お前、私を恨んでいるか?」
「無論、恨んでおります」
「正直だな。では何故斬らんのだ。かつての敵将も目の前にいるわけだが」
「私情で姫の立場を危うくするわけにはいきますまい」
マサ爺は表情を変えずに答えた。国王は満足そうな顔で視線を戻す。スイコはそのやり取りを見ておかしそうに笑った。
「寝首を掻かれぬか心配か?」
「知っているだろう。心配性なんだ、私は」
「聞かずとも分かっておろう。マサは賢い男じゃ。ワラワが命じぬ限り、ヌシの首は取らん」
「…………」
「なんじゃ、その目は。ワラワも命じようとは思わん。心配せずとも、丈夫な世継ぎを産んでやるわ」
スイコは呆れた顔で言うと、「おヌシの父は小さい男じゃなぁ」とお腹をさすった。
「して、ユドラー」
スイコはユドラーに視線を戻す。
「出立は明日か?」
「明後日でございます」
「そうか。新月も近い故、道中くれぐれも気を付けるのじゃ」
「は。何が来ようと返り討ちにいたしますとも」
「確かに、ヌシなら心配いらんな。いつでも遊びに来い」
「無論、また参ります」
すると、その横から呆れたようなため息が聞こえてきた。
「お前も一度は中央都へ来い。妃なんだろう」
「月島の地は、ワラワにとって揺りかごであり墓場じゃ。離れるわけにはいかぬ。それに、もし中央都へ向かおうものなら、この地で散った兵どもが許さんじゃろう」
スイコは「のう、マサよ」と見上げる。それに釣られてユーテルがマサ爺を見ると、彼は表情を変えることなく「私の口出しすることではございません」と答えた。
「女が恋しければ側室でも作るが良い。ワラワは構わん」
「わざわざ面倒ごとを増やすつもりはない」
「ははは! さてはヌシ、ワラワに惚れておるな?」
「なんとでも言え」
そう言うと、顔の傷跡を掻いて立ち上がった。
「あまり長居しても迷惑だろう」
「そうじゃな。ユドラー、邪魔したな」
ユドラーは「身に余る光栄でございました」と膝をついて頭を垂れる。
「ユドラー」
立ち去る間際、ユーテルはユドラーの名前を呼んだ。
「先ほどの件、私は信頼しているからな」
釘を刺すように言うと、彼はユドラーの前で残りの紅茶を飲み干して見せた。




