28
マサ爺の家の横には、山の斜面を利用した瓦窯がある。五日に一度、雇われ用心棒の仕事で山を下りる以外は、マサ爺は大抵ここで瓦を焼いていた。
今日も青空に煙が立ち上る。
「っかァ――ッ! 七勝目! やっぱ、相手にすんのは初心者かガキに限るぜ!」
竹刀を握るグレイスが言った。その前でうずくまる彰は「……ッんのクズ野郎」と呻く。
「どうした。勝てねぇか?」
煤で黒くなったマサ爺が尋ねた。彰は落とした竹刀を手に取って立ち上がる。打ち込まれた二の腕がジンジンと痛んだ。
「こんなでも基礎だけは叩きこんである」
「オヤジ! 『こんなでも』ってのは余計だ!」
「初心者には良い相手だ」
「…………」
アクレスやシスティアと比べると、グレイスの動きは明らかに鈍い。だが、彰と比べると数段上の実力なのは確かだ。彰の動きに合わせて、的確にカウンターを叩きこんでくる。
このまま闇雲に竹刀を振っているだけでは到底勝てない。
何か策を練らなければ。
「あと三勝で酒代が浮くぜ」
「なんて?」
「気にすんな。ここで止めるか? 俺はそれでも良いぞ」
グレイスの提案に、彰は首を横に振って竹刀を構える。
「そうか? なら手加減無しだ」
「手加減できるほどの腕が無いんだろ?」
まずは挑発。プライドの高い彼は、すぐ頭に血が上る。
「このクソガキ…………」
案の定、大振りの一撃が来た。問題はここだった。相手の行動を見てから避けられる反射神経は無い。狙ってくる場所だけは、ヤマを張るしかなかったのだ。
だが、何度か打たれたおかげで、それも見当がついた。
防具無しでの組手。なんだかんだで優しい彼は、頭や胸など、大怪我につながる可能性のある場所は絶対に狙わない。狙う場所は脚か腕だ。
彰はその攻撃を弦で受けると、ガラ空きになった彼の胴へ竹刀を滑りこませる。
脇腹への一撃。勢いは無いが、生身で受ければ威力は十分。バランスを崩したグレイスは、その場でドスンと尻もちをつく。
「むげ…………ッ!」
情けない声を出して転がるグレイス。そんな姿を見下ろして、マサ爺は小さく笑みを浮かべた。
「グレイス。約束だ、窯の火見てな」
「ちょ、オヤジ! 待てって! もっかい! 今のは無しだ!」
「なんだ、負けたら仕事手伝うって話だろ?」
「嫌だ! 働きたくない!」
「なんて情けない………………」
転がるグレイスの首根っこを掴んで立たせる。どうやら彰の知らないところで別の取引があったらしい。あるいは、マサ爺にとっては、これが本当の狙いだったのか。
「アキラ」
煤を払いながらマサ爺は言った。
「来い。剣も忘れるなよ」
◇◇◇
山の中腹辺りまで来ると、マサ爺は川岸の岩場に腰を下ろした。紅く染まった木々の間から豊玉の街を見下ろせる。
木造の平屋群の中に、ポッカリと浮かぶように建っている荘厳な建物は総督府と月の宮だ。遠くに見える軍港では、大きな煙突の付いた軍艦が何隻か見えた。
マサ爺は、彰が追いついたのを確認するとボソボソと話し始めた。
「俺が教えるのは『草風流』だ。アクレスから『流れ』ってのは教わったろう? それを見切ることを奥義としとる」
彼は腰の刀を抜いて軽く振るう。ひらひらと落ちてきた木の葉が真っ二つに両断された。
漫画で見るような剣捌きだ。
「と、言っても分からんだろうからな。とにかく実戦あるのみだ。さぁ、刀を抜け」
言われて気付いたが、持って来るよう言われたのは剣一本のみ。竹刀や木刀は無い。
彰は慌てて尋ねた。
「刀を抜けって、真剣でやんの? 竹刀とかは?」
「お前は竹刀で人を斬るのか?」
「いや、斬らないけど………………。危なくない?」
すると、彼はおかしそうに笑った。
「だはははは! 俺がお前に斬られるってか? んなことは、剣を当てられるようになってから心配しな!」
「はぁ」
マサ爺は立ち上がると、クルリと刀を回して構える。
その瞬間、目の前に立つ皺だらけの細長い老人が、一人の狩人のように見えた。ヘビに睨まれたカエルのように、彰は剣の柄に手を添えたまま動けなくなる。
「剣を抜け」
低い声で発せられた鋭い命令に、彰は思わず剣を抜いていた。
「やることは簡単だ。俺を殺す気で斬り掛かって来い」
「こ、殺す……」
「殺す」という言葉で脳裏に過ぎったのは、目の前で血を噴き出す「狼」と呼ばれた男の姿。それを皮切りにして、剣を握る手に肉を斬る感触が蘇った。
「……人、斬ったことあるな?」
彰の手の震えを見て、マサ爺が尋ねた。
「前に…………、一人………………」
「悪かったな。その『怖さ』は大事に取っておけよ」
彰は小さく頷く。
「ただ、人を斬るには邪魔だ。余計なことは考えるな。相手を機能停止させることに集中しろ」
「…………分かった」
手の震えを無理矢理に押し殺す。不意に風が止んだ。川の流れる音に混じって、怯えた息遣いが耳に響く。
「来い」
その声を合図に、彰は力強く地を蹴った。
◇◇◇
小石だらけの岸辺に、大の字で転がる彰。その脇には傷一つ、血一つ付いていない剣が置かれている。
「…………掠りもしねぇや」
「当然だ」
横に座るマサ爺が呟いた。
軍港の向こう側に夕日が沈んでいく。街は茜色に染まっていた。
「結局さ、ただ剣振り回してただけなんだけど。これで稽古になってんの?」
「あぁ。最後の方はマシな振り方になってたよ」
「マジ?」
「今まで何人教えてきたと思ってんだ。心配しなくとも、人並みくらいにはしてやるよ」
「ふーん…………」
適当に返事をしながら、彰はマサ爺の顔を見上げる。
「剣道教室とかは、もうやらないの?」
「やらん」
「なんで」
「俺みたいな老人は隠居してるくらいが丁度良いんだ。老木がいつまでも葉を広げていちゃあ、若木に日が当たらんからな」
「でもさぁ…………、なぁんか勿体無いよなぁ………………。月島だと『英雄』って呼ばれてんでしょ?」
その言葉に彼はピクリと反応する。
「誰に聞いたんだ?」
「グレイス」
「あぁ……」
グレイスに聞いた話によると、かつては月島で一、二を争うほどの剣の腕前だったらしい。三十年前の戦争では、数々の武功を上げていたそうだ。
「月島の英雄は死んだよ。三十年前にな」
マサ爺は豊玉の街をジッと見つめると、小さく呟いた。
「それに、マテラスにも英雄がいるじゃないか。俺の出番は無いよ」
「マテラスの英雄?」
「なんだ知らんのか? …………まぁ、自分からは言わんか」
「誰?」
マサ爺は鼻の頭をポリポリと掻くと、月島の総督府を見つめて答えた。
「五年前、列強の一つであるリンバス帝国を相手に、マテラスは本土決戦直前まで追い詰められた。その時、たった一人の男が、帝国陸軍を壊滅させ、この国に勝利をもたらした」
彼は彰を見下ろして言った。
「男の名は『アクレス・ブラッドフォード』。紅蓮の英雄と呼ばれている」




