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「それで青タンだらけか」
盃を傾けながらマサ爺が言った。その顔は少し赤くなっている。
「アイツ、手加減ってのを知らないんだ」
彰はぼやきながら、囲炉裏の鍋に残った雑炊をよそった。ふわりと味噌の香りが立つ。
マサ爺はアクレスの盃に酒を注ぎながら言う。
「防具は? 昔は着けてたろう」
「あぁ……………………カビ生えれ使えませんれしたよ…………。もう…………ボロボロれした………………」
呂律の回っていないアクレスの答えを聞くと、一瞬寂しそうな表情をして「そうか」と呟いた。
道場に残されていた防具は革製のもので、長年放置されていたせいで、カビだけでなく小さな虫も湧いていた。カビを拭き取ったとしても、とても身に着けようとは思えない。
手入れをしていれば、とは思ったが、マサ爺自身、再び使う日が来るとは思っていなかったのだろう。もちろんだが、グレイスがやるとも思えない。今日も酒を求めて、山を下りていってしまった。
秋の虫はもう鳴かなくなってしまった。縁側の向こうに広がる山は、シンとした冬の空気に支配されつつある。吹き抜ける冷たい夜風がヒリヒリと痛む頬を撫でた。
この山を少し登ると温泉があるらしい。リリアとシスティアの二人は、手ぬぐいと着替えを持って少し前に出ていった。
彰は雑炊をかき込むと、空になった瓶を覗き込むマサ爺に尋ねた。
「マサ爺って、昔は剣教えてたんだよね?」
「おう」
「今度さ、俺に教えてよ。空いてる時間で良いからさ」
すると、彼は酒瓶を置いてしばらく黙り込んだ。そしてチラリと彰の顔を見ると、「駄目だな」と一言呟いた。
「なんでさ」
「才能が無い」
「才能? やってもないのに?」
「お前、年は幾つだ」
「十八」
「剣を初めて持ったのは幾つだ」
「十八」
「その時点で才能が無いな」
マサ爺はアクレスが持て余していた酒に手を伸ばして、一気に飲み干した。アクレスは限界なのか、ウトウトと船を漕いでいる。
「そんなの仕方ないじゃないか」
彰はマサ爺に言い返す。
「いつ始めるかなんて、そんなの才能じゃなくて運だろ」
「運も才能の内だ。才能のあるやつは、もっと若い頃に剣を取ってるさ」
「んなこと言って……」
彰の言葉を片手を上げて遮ると、彼は小さく笑いながら続ける。
「そもそもなぁ、アキラ。剣の才能なんてのは、無い方が良いのさ。あったところで、人を斬るしか才能の使い所がねぇからな」
「……………………」
「お前らみたいな若いのが剣を振らなくちゃいけねぇようじゃ、俺たちが血を流した意味が無いだろう?」
そう言ってマサ爺は笑う。三十年前、この地で起きた戦争で彼も刀を握っていた、という話は彰も聞いていた。彼の顔には、今でも痛々しい傷跡が残っている。
戦争を経験したからこその彼の想いも理解できる。
「でも……」
彰は拳を握りしめて顔を上げる。脳裏に浮かんだのは、リリアに襲いかかる『狼』の後ろ姿。
「俺、ずっと守ってもらってばっかりでさ。このままだと、いずれ誰かを目の前で失う気がする」
マサ爺は黙って彰の目を見つめる。
「後悔したくないんだ。このままの俺だと、…………リリアを守れない」
風がピタリと止んだ。カタカタと音を立てていた障子もシンと静まり返る。
囲炉裏の中で焼けた木炭が崩れた。
「………………仕方ねぇな」
マサ爺はポツリと呟いた。それを聞いた彰は、思わず顔を上げる。
「教えてくれんの?」
「あぁ。但し、条件がある」
「条件?」
マサ爺は人差し指を立ててニヤリと笑った。
「グレイスに勝ってみろ」
◇◇◇
ランタンの灯が白い湯気の中で揺れている。リリアはゆっくりと腕を伸ばすと、水面に浮かんだ月をすくい上げた。
「リリィ、ごめん。手ぬぐい絞ってくれない?」
「はいはい」
「ありがと」
リリアは受け取った手ぬぐいを絞ると、システィアの頭に乗せた。
彼女の義手は近くの岩場に立てかけられている。ある程度の水気なら耐えられるが、完全防水ではないらしい。
「右手、義手だったんだね」
「あれ、言ってなかったっけ」
リリアが頷くと、システィアは「そっかぁ……」と呟いて肩まで沈む。
「五年前に戦争があったでしょ? そこで吹き飛んじゃったんだ。右目と一緒にね」
義手を付けていた右肩から脇腹にかけて、大きな傷痕が残っていた。顔の右半分には爛れたような火傷痕もある。
マテラスは滅びる、とまで言われた五年前の戦争。当時はまだ幼かったリリアの記憶にも、混乱の様子がはっきりと刻まれていた。
国内でもその騒ぎだ。システィアの戦っていた前線は、どれほど悲惨だったのかは想像を絶する。
「あれ、刺青?」
不意にシスティアが呟いた。慌てて首元を手で抑えたリリアは、緩んだ包帯の感触で思わず青ざめた。
解けているのだ。それも半分以上。首元の龍は、はっきりと顔を覗かせているに違いない。
九頭龍に居た事実は彼らに話していない。九頭龍の印と名前は、想像以上に強いのだ。今まで出会ったほとんどの人は、この刺青を見た途端に態度が別人のように変わってしまった。
優しく接してくれたシスティアも、「彼ら」のように変わってしまうのでは?
そう考えると、余計に言い出せなかった。
「いや……、これは…………違うんです………………!」
必死に言い訳を探すリリア。しかし、上手い言い訳は何も思い浮かばない。
すると、縮こまるリリアの手を、システィアの手が優しく抑えた。
「大丈夫だよ」
そのまま手を包帯へ伸ばすと、ゆっくりと解いていく。
「リリィが優しい子だってのは、私は知ってるからさ」
解けた包帯は音もなく水面に落ちた。リリアは頼りなく揺れる包帯を見て、恐る恐る顔を上げる。システィアは優しく微笑んで、小柄な体を抱きしめた。
「もう、これは着けなくて良い。これからリリィには私がついてるから。何があっても私が守るよ」
「…………ホントに?」
「おう、姉ちゃんに任せな。…………あ、そうだ」
システィアはそう言うと、片手で器用に首飾りを外した。深い青色の宝石が月明かりに光る。
「これ、リリィが着けな」
「え? これ大事な物なんじゃないの?」
「そう。大事だから、リリィに持っててほしいんだ」
システィアは首飾りをリリアに握らせる。
「ここにいる皆、リリィの味方だからね」
包帯がユラユラと何処かへ流されていく。手の中にある宝石は仄かに暖かく感じた。




