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「おーい、やってる?」


 店に入ってきたのは、頼りなさそうな細身の男。彼は彰とリリアを見るなり、「うわっ」と言って目を丸くした。


「珍しいね。俺以外に客がいるなんて」

「余計なお世話だ」

「しかも若いね! 二人とも名前は?」


 彰とリリアが名乗ると、彼は「俺はグレイス。よろしく」と言ってカウンターに座った。


「はぁ……。じゃ、駆け付け一杯ってことで、なんか適当に…………」

「グレイ。アクレスさんの居場所分かるよな?」

「ん? アクレス……は、俺の家に居ると思うけど?」


「家に居るんすか!?」


 思わず彰が尋ねると、グレイスはやや驚いた様子で頷く。エリは猫を膝に抱き抱えて言った。


「案内してあげなよ。その二人、彼に会いたいんだってさ」

「そう? 良いよ。………………良い、……けど」


 言いながら、彼の目はカウンター奥。酒瓶の並んだ棚へ。


「せっかく来たのに、飲まずに帰るのもさ……。一杯だけ良いかな?」


 彰とリリアは顔を見合わせると、「まぁ、一杯なら」と頷いた。


◇◇◇


 荷物を背負ったリリアは、後ろを振り返ってランプで足元を照らした。もう足元が見えないほど暗くなってしまった。後方から、彰が息を切らしながら山道を登ってくる。


「おい! コイツ何杯飲みやがった!」

「十八」

「何が『一杯だけ』だ! 頑なに酒を手放そうとしなかったじゃねーか!」


 後頭部に酒臭い息がかかる。背負ったグレイスは、まだ空の御猪口を握りしめていた。

 リリアはランプで暗い山道の先を照らし出す。


「……で、こっちなの? どんどん山奥に行ってるけど」


 振り返ると、街の灯りがポツポツと小さく見えた。対して、向かう先には鬱蒼と茂る木々ばかりで、民家はおろか、灯りらしきものは全く見えない。

 彰は背負ったグレイスをゆさゆさと揺する。


「おい、グレイスさん。……おーい。…………おい! グレイス!」

「ふぇぁ! はい! 私は十三歳れす!」

「年齢は聞いてねーんだよ! 道はこっちで合ってんのか!?」

「ぅおうともよ! こっちで花丸! 大正解!」

「…………置いてこうかな、コイツ」


 とはいっても、頼りは泥酔したグレイスのみ。見捨てることは何度か考えたが、そうすれば彰たちも手がかりを失うことになる。それに、この寒い時期に山の中へ捨ててしまえば、命に係わるかもしれない。

 彰はため息を吐きながら人形のように脱力した男を背負いなおした。


 どこかでフクロウの声がした。ヘビか何かが、ガサガサと茂みで音を立てる。この島では魔獣は確認されていないらしいが、それでも危険な獣は居るだろう。身代わりは居るが、疲れた脚で逃げ切れるか分からない。

 一度、街へ戻った方が良いだろうか。

 彰がそう考えた矢先。


「あ。灯り」


 先を歩くリリアが呟いた。顔を上げると、道の開けた場所に家の灯りがポツンと見えた。暗い中で目を凝らすと、やや大きめの民家と、灯りの無い体育館のような建物が建っている。


「おい、グレイス。あそこか?」

「……」

「グレイス?」

「ぐぅ」

「だめだコイツ」


 背負った男はすっかり寝息を立てている。

 民家に近づくにつれ、味噌のような香りが漂ってきた。まだ夕飯を食べていない二人は、どちらからともなく腹の虫が鳴った。

 彰はグレイスを木の麓に寝かせると、木製の引き戸を二、三度叩いた。すぐに中から「はーい」という女性の声が聞こえてくる。


「グレイス? やけに早い……」


 そう言って顔を出したシスティアは、彰の顔を見るなり「ぎゃ!」と言って腰を抜かした。


「びっくりした! アキラじゃん!」

「ひ、久しぶり」

「久しぶり…………っていうか! リリアちゃんも居んじゃん!」

「ど、どうも」


 システィアは立ち上がると、飛びかかるように二人の頭を抱きしめた。ふわりと酒の匂いがする。


「よく来たなぁー! まぁ、入りなよ! 外だと冷えるっしょ!」

「あ、でもグレイスが外に」

「あ、ホントだ。…………ま、後で良いよ! あいつ丈夫だから!」


 システィアはそう言って二人を中に入れると、勢い良く引き戸を閉めた。


◇◇◇


 まるで、資料館の展示のような民家だった。

 入ってすぐの土間には竈が鎮座しており、脱ぎ散らかされた草履が何足か散乱している。一段上がった場所には畳が敷かれており、そこにあったのは鍋の吊るされた囲炉裏。その鍋の中ではグツグツと具材が煮立っていた。


「ししょー! アキラとリリアちゃんっすよ!」


 システィアが言うと、炉端で酒を飲んでいたアクレスがこちらを向いた。既に酔っているのか顔が赤い。


「おぉ……。おぉお…………? ………………おお! おぉぉお!」


 ようやく気づいたらしい。ただ、ヨタヨタと立ち上がろうとしたものの、結局は諦めて転がった。

 その時、襖が開いて酒瓶を持った背の高い老人が現れた。反射的にか、リリアは彰の背の影に隠れる。


「おい、アクレス。コイツよ。おめぇに飲ませたかった…………、なんだぁ、そいつらは」

「アキラとリリアちゃんだよ! さっき来たんだ!」

「あきら…………と、りりあ……」

「ちょっと、嘘でしょ父さん。散々言ったじゃん! 転移した子と、山で会った子だよ!」

「…………あぁ! ……あぁ?」

「もういいよ。あと、師匠そんなに酒強くないから、飲ませすぎないで」


 老人は「ま、ゆっくりせい」と言うと、炉端に胡座をかいてアクレスの御猪口に酒を注いだ。


「お父さん?」


 彰が尋ねると、システィアは頷いた。


「そ。名前は『マサカズ』。皆からはマサ爺って呼ばれてる。で、グレイスは私の弟。みんな血は繋がってないけどね」

「マサカズ……」

「本島じゃ珍しい名前でしょ? でも、父さんは生粋の月島人だから」


 いかにも日本人らしい名前だ。月島と日本と、やはり関係が深いらしい。


「ま、上がりなよ。夕飯まだでしょ?」


 システィアはそう言うと、草履を脱いで畳に上がった。それを見たリリアは「靴脱ぐの?」と戸惑いながらもそれに倣う。


「システィアさん」

「ん?」

「預かってたやつ」


 彰はかけていた首飾りを取ると、システィアに手渡す。彼女は手の中にある青い宝石を見つめると、嬉しそうに笑って言った。


「システィ、で良いよ」


◇◇◇


 マサ爺はかつて道場を開いていたらしく、住み込みで修行する弟子のために家を広く作ったらしい。彰とリリアの二人が泊まるには十分すぎるほどのスペースがあった。


「はぁー…………」


 掛け布団を被って縁側に座るリリアは、すっかり冷たくなった両手に息を吐きかける。

 見上げた東の夜空には、下弦の月が昇ってきていた。吹き抜ける夜風は、もう冬の寒さを帯びていた。


「リリアちゃん?」


 ふと背後から眠たげな声が聞こえてきた。振り返ると、システィアが布団に寝転がりながら目を擦っている。枕元には外した義手が置かれていた。

 その周りでは、彰、アクレス、マサ爺の三人が布団を蹴り飛ばして寝ている。固い畳では寝にくいだろうに、三人とも気にしていない様子で寝息を立てていた。


 再び風が吹き抜けた。リリアは慌てて障子を閉めると、彼女に謝る。


「ごめんなさい、システィアさん。寒いですよね」

「まぁ、それはそうだけども…………。リリアちゃん、寝ないの?」

「あー……」


 リリアは一瞬言い淀むと、申し訳無さそうに答えた。


「アタシ、知らない人がいる部屋って寝られないんですよね…………」

「そうなんだ……。じゃ、私の隣で寝なよ」

「あれ、話聞いてました?」


 システィアは左腕で掛け布団を持ち上げて「おいで」と優しく言った。それでもリリアは動こうとしない。


「ちょ、寒いから早く」

「えぇ……」


 震えるシスティアを見て、リリアは渋々彼女の布団へ寝転がった。


「ひゃー! リリアちゃん冷てぇ!」


 システィアは小さく叫ぶと、リリアを柔らかく抱きしめる。微かに酒の匂いがした。


「ね。暖かいっしょ」


 リリアは胸の中で小さく頷く。システィアはその頭を撫でながら、そっと呟いた。


「これからはさ、『システィアさん』じゃなくて、『システィ』って呼んでよ」

「え」

「『お姉ちゃん』でも良いよ」

「…………じゃあ、『システィ』で」

「じゃ、私は『リリィ』って呼ぶね?」

「わ、分かりました」

「口調固いって。もっと姉妹っぽく話してよ。私さ、昔から妹ほしかったんだよね。リリィ、私の妹にならない?」

「え、妹? アタシが?」


 リリアは自然と笑っている自分に気づいた。システィアの言うことは無茶苦茶で強引だったが、何故か悪い気はしなかった。

 寄せ合った体の暖かさが、緩やかに眠気を誘う。感じていた不安は、システィアが優しく背中を撫でる度に溶けていった。


 その時。不意に彼女の手が止まった。リリアはウトウトしながら顔を上げる。システィアは「誰か入ってきた」と小声で言った。確かに、土間の方で人の気配がする。



 システィアは「リリィはここで寝てな」と言うと、スルリと布団から抜け出て、壁に立てかけてある竹刀を手に取った。音を立てることなく土間へと降りる。

 そして、背中を丸めた人影へゆっくりと近づくと、思い切り竹刀を振り抜いた。


「いっでぇ!!」


 転がる桶の音に紛れて、聞覚えのある男の声がした。システィアは「あ」と呟いて竹刀を置く。


「おかえり、グレイス。外、寒かったでしょう?」

「いやぁー、ただいま。全く、もう冬も近いね。………………じゃねーんだよ! このクソ姉貴!」


 グレイスは叫ぶなり、落ちていた桶を投げつけた。システィアはそれを躱しながら草履を脱ぐ。


「気付けば家の前に放置されてるわ、帰ってくるなりぶん殴られるわ! なんて日だ!」

「アンタが酔っ払って帰ってくんのが悪いんでしょ? ってかさ、なんでコソコソと怪しさ満点で入ってくるわけ?」

「寝てるかと思って気を使ったんだよ! 仇で返されたけどな!」


 グレイスは頭をさすりながら草履を脱ぐと、囲炉裏で燻っていた炭に息を吹きかける。相当寒かったのだろう、押し入れから何枚か布団を出してミノムシのように丸まった。

 システィアは囲炉裏の中に二、三個炭を放り込む。


「アンタのこと、完全に忘れてた。ごめんね」

「忘れてたって…………。だから姉貴には男ができねぇんだよ」

「あ、アンタ。言っちゃいけないこと言った!」

「事実だろ! この暴力女!」

「アンタだって稼ぎも無いくせに飲んだくれて! この穀潰し!」


 深夜の姉弟喧嘩。しかし、それは長くは続かなかった。

 二人の目の前にピタリと添えられた銀色の刃。二振りの刀を握りながら、白髪の老人は静かな声で言った。


「今口を閉じるか、永遠に黙るか。好きな方を選べ」


 二人は青い顔でマサ爺を見上げると、「すいませんでした」と頭を下げた。

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