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 ウルヴァレノ家の馬車は主佐野市を出ると、一日でマテラス本島の西端まで送ってくれた。そこから月島までは船旅である。海峡の荒い波を越え、島へ上陸する頃には二人とも青い顔で虚空を眺めていた。

 月島に上陸してすぐの街は新しい建物が多く、マテラス本島の街と変わらない光景だったが、少し内陸の田舎町へ足を踏み入れるとそれが一変する。


「これ……、鳥居?」


 収穫を終えた田んぼに囲まれた古い祠。その前には石造りの苔生した鳥居が建てられていた。見ただけでも、かなり古くから建っていることが分かる。


「なんか違う世界に来たみたい」


 隣を歩くリリアが呟いた。だが、彰が感じた印象は真逆。ポツポツと建っている木造の平屋や、田んぼに突っ立っている壊れた案山子など、どこを切り取っても古い日本の田舎町のような風景だった。


「それで、どこに向かってるの?」

「総督府ってとこ」

「ソートクフってどこ?」

「…………歩いてりゃ着くだろ」

「迷ったのね」


 アクレスから聞いていたのは、月島の北西に位置する街。島の東端にある港からの道のりは詳しく聞いていなかった。方位磁針を頼りに北西に向かってはいるが、蛇行する道のせいで近づいているのか遠のいているのか分からない。


「すいませーん」


 彰は畑の脇に座っていた高齢の女性に声をかける。彼女は旅の荷物を背負った二人を見上げて顔をしかめた。


「『月島総督府』ってのが」

「ぁにィ!?」

「『月島総と」

「ぁんだってェ!?」

「『月島総督府』ってのが! あるところに! 行きたいんだけど! 道分かりますか!」

「あんたら、マテラスから来たんかい?」

「……そうですけど」


 老婆はしばらくモニョモニョ言うと、突然二人を睨みつけて唾を吐いた。


「うわ! なんだこの婆さん!」

「お前らに教えることは無い! 犬に食われてくたばっちまえ!」


「ばっちゃん!」


 農作業をしていた若い男が慌てて駆け寄ってきた。見た目からして二十代後半だろう。彼は老婆の背中を擦りながら頭を下げる。


「いやぁ、すいません。旅の方でしょ? ばっちゃは酷いマテラス嫌いで……」

「マテラス嫌い?」

「えぇ。そうなんです。それで、何か御用で?」


 彰が事情を説明すると、彼は道の先を指さした。


「この道で合ってますよ。小さい山を一つ越えれば大きな街が見えるはずです。…………にしても、東の港からずいぶん遠回りしましたね」

「いや、まぁ…………。ちょっと月島を観光をね」


 リリアは黙って彰の脇腹を小突いた。


◇◇◇


 言われた通り山を越えると、やがて大きな街が見えてきた。戦艦の停泊している軍港が遠くに見える。

 この街の名は「豊玉市」というそうだ。


「なんというか……、和風な街だな」

「ワフウ?」

「日本らしいっていうか…………。いや、なんでもないや」


 街の中央から港にかけては、マテラス本島でも見たような擬洋風に似た建物が多い。しかし、郊外へ目を移すと、黒い瓦葺きの平屋が増えていく。教科書の挿絵で見た記憶しかないが、年代でいえば明治時代辺りの日本に似ているような気がした。


「あそこじゃない?」


 リリアが指差したのは、赤レンガと花崗岩を混用して造られた、重厚な建物。話に聞いていた「月島総督府」の庁舎で間違いないだろう。後で知ったことだが、その横に建つのは、王妃が住まう「月の宮」と呼ばれる建物らしい。

 彰は「とりあえず街へ行こうか」と言うと、山を降りていった。



 島の西には大陸がある。三十年前この島を併合してから、月島は常にマテラス国土防衛の最前線であった。特に西に位置する豊玉市は国防上重要な軍の拠点でもある。


「……で、アクレスはどこなんだ?」


 威厳に満ちた建物を前にして彰は呟いた。門の横には「月島総督府」の看板が掲げられている。


「街のどこに居るとか聞いてないの?」

「聞いてないな」

「はぁ……。アキラも結構、場当たり的に生きてるよね」

「とりあえず聞いてみりゃ分かるだろ」


 軍服を着た人は何人も歩いている。これだけいれば、アクレスの知り合いだっているだろう。総督府の門へと向かおうとした彰だったが、不意にその首根っこを掴まれた。


「うおっ! なんだ!」


 顔を上げると、白髪頭の大男が彰の顔を見下ろしていた。


「君。帯刀した一般人が総督府へ入るのは見過ごせんなぁ」

「え……? あぁ、確かに」

「まぁ、君たちが暗殺を企てているようには見えんがな」


 そう言うと、掴んでいた手を離した。


「軍人?」


 リリアは男に尋ねる。彼は、他の軍人と同じ紺色の軍服に身を包んでいた。ただ他と違うのは、胸についた四角いバッジの数。

 彼は白い歯を見せて笑うと、手袋をした右手を顔の横に立てた。マテラス軍における敬礼だ。


「私はマテラス陸軍大将。ユドラー・レルネイアだ」

「どうも、ユドラーさ……大将!?」

「いかにも」


 ユドラーは右手を差し出した。それを見たリリアが彰の影に隠れる。


「おっと、これは失礼」


 ユドラーはそう言うと手袋を取って差し出した。彰は「俺はアキラです。アキラ・イリヤ」とその手を握る。無骨でシワのある手だったが、握る力は老人のそれではなかった。


「それで」


 とユドラー。


「君たちは何をしに来たのかな?」

「人を探してるんです。アクレスって言うんですけど、知りません?」

「アクレス……。アクレス・ブラッドフォードのことか」

「そうです! 知ってますか?」

「あぁ、もちろん。だが、彼は今日非番のはずだ」

「じゃ、どこに住んでるかとか分かります?」


 すると、ユドラーは困ったような顔で頭を掻いた。


「残念ながら、そこまでは分からないな。力になれず申し訳ない」


 軍施設内にいるならまだしも、非番だとしたら探すのは難しそうだ。さすがに泊まっている場所まで分かる人は少ないだろう。

 日も傾きかけている。アクレスを探すのは明日にして、今晩の宿を探した方がよさそうだ。


「こちらこそありがとうございます」


 彰が礼を言うと、ユドラーは「月島、楽しんでくれたまえ」と肩を叩いた。


◇◇◇


「もっと警戒すべきだよ」


 街を歩きながらリリアが言った。


「どこに九頭龍がいるか分からないんだよ? 手袋をした相手なんて、真っ先に警戒しないといけない相手でしょ」

「でも、相手は大将だぜ? それに、手袋の下に刺青はなかったじゃんか」

「結果論でしょ、それは。アタシはアンタを心配してやってんのに」

「はいはい」


 彰は適当に答えると、巾着袋の中身を確認した。まだ残金に余裕はある。一日二日、宿を取るくらいならば十分に払える額はあった。

 二人の横を、和装に似た服を着た男がカラコロと下駄を鳴らして歩いていく。やはり、この島は日本と何かしらの関連があるのは間違いない。アクレスを探すついでに月島についても調べておきたいところだ。


「そんなことより、さっさと泊まる宿見つけようぜ。荷物どっかに置いちまおう」

「アタシの分の荷物持つよ?」

「こんくらい大丈夫だって。ここだと宿屋ってよりも旅籠屋かな? …………あれ」


 彰は不意に足を止めた。リリアが心配そうに振り返る。


「どうしたの?」

「いや……。リリア、あの看板読めるか?」


 指さしたのは、路地の入口に立てかけられた木製の看板。手書きで描かれたそれを見て、リリアは小さな声で答えた。


「…………居酒屋、月の宿」

「その下は?」

「下……? 読めないけど。どっかの国の言葉かな」

「だよな」

「なにそれ」


 看板に書いてあったのは「居酒屋 月の宿」。それは間違いない。だが、その下に書かれていたのは「Bar」というアルファベットであった。

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