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主佐野市は、マテラス建国以来、ウルヴァレノ家が治める土地だ。現在は「市長」という肩書で、御年六十三歳のクリスティア・ウルヴァレノが統治している。
「お二人共、お怪我は大丈夫ですか?」
クリスティアは優しく微笑みながら、ソファに腰掛ける二人に尋ねた。上品な風格を漂わせながらも、相手に緊張感を与えないような、不思議な雰囲気を持つ女性だった。
市庁舎二階の窓からは、街の様子が見渡せる。立ち上っていた黒い煙は秋風に流され、澄んだ青空が広がっていた。
「この程度の被害で抑えられたのは、お二人の活躍あってのことです。ありがとうございます」
「いやいやぁ。当然のことをしたまでですよ」
照れながら答える彰。リリアはひと睨みすると、ギプスを巻いた彼の腕を小突いた。
あの後、どこをどう走ったのか二人とも記憶に残っていない。地面を転がったり大剣で弾き飛ばされたりしている内に、気付いた時には憲兵に保護されていたのだ。
リリアはかすり傷で済んだのだが、彰は左腕を折る大怪我。医療保険制度など無いマテラスでは、医者へかかるには二人の所持金では足りなかった。
しかし、それを快く出してくれたのがウルヴァレノ家である。
ウルヴァレノ家は、知らない者はいないほどの名家らしく、国内でも五本指に入るほどの資産を有していると聞いた。今回、医療費を出したのも彰だけでなく、事件での負傷者全員分を肩代わりしたそうだ。
「お金は重要ではないのです」
彰が礼を言うと、彼女はそう答えた。
「重要なのは、ウルヴァレノ家の統治の下で、市民の皆様に笑顔で生活していただくことですから。来年も、十年後も、百年後もね」
ニッコリと微笑んでいるが、言葉の裏を返せば「百年後もウルヴァレノ家が統治する」という意味だろうか。
「……そういえば『ウルヴァレノ』って、どっかで聞いたことあるな」
彰がふと呟くと、横に座るリリアが小声で答えた。
「ここ、ミコさんの家だから」
「あぁ、それでか…………あぁ! マジじゃん!」
「おや。ミコトの知り合いですか?」
「いや知り合いも何も……、なぁ!」
隣のリリアに言うと、彼女は少し照れたように目を逸らした。それを見たクリスティアが尋ねる。
「もしかして、あなたがリリアちゃんかしら?」
「……は、初めまして」
「あら、やっぱり。孤児院を手伝ってくれる子がいると、いつも話には聞いていたのよ。うちの末娘がお世話になっております」
「いや! お、お世話になってるのはアタシの方で…………!」
ミコトのフルネームは、ミコト・ウルヴァレノ。あの孤児院は金持ちが運営しているとは思っていたが、これほどの資産家が後ろにいたとは。どこか上品さを感じる彼女の振る舞いも、この家で培われたものなのだろう。
クリスティアは、ミコトに似た柔らかい笑顔を見せてリリアに言った。
「それなら、貴方は私の孫と言っても良いわけね」
その言葉に、リリアは「そ、そんな……! キョーシュクです」と縮こまる。これほど緊張した彼女を見るのは初めてだ。普段の強気な様子を見慣れているせいで、隣で見ていると思わず笑いそうになる。
市の職員がお茶を淹れて持ってきた。湯呑には竜神の筆絵が描かれている。和風なのか洋風なのか、彰から見るとよくわからないデザインだ。
クリスティアはお茶を勧めながら二人に尋ねた。
「お二人にはお礼をしたいのだけれど、何か欲しいものはあるかしら?」
湯呑を手に取った二人は互いに顔を見合わせる。欲しい物と言われても、咄嗟には思いつかない。
彰は「どうしようか……」と小声でリリアに尋ねると、リリアは少し悩んでから答えた。
「無難にお城とか土地とかで良いんじゃない?」
「『無難』の意味って知ってる?」
「でも相手は有力貴族だよ。うまいこと騙せば、アタシたちも金持ちになれるかも」
「リリアちゃん、聞こえてますよ」
彰はお茶を一口飲むと、ギプスをはめた左腕を見た。医者には全治二週間と言われている。このまま月島へ行くのは厳しいだろう。
彰は湯呑を置くと、クリスティアを見て言った。
「俺たちを月島まで送ってもらうことはできますか?」
「出発は?」
「できれば明日……。まぁ、早ければ早いほど良いんですけど」
すると、クリスティアは悩む間もなく「明朝出立で手配しましょう」と答える。
「お二人のお陰で、龍鎮祭もすぐに再開できました。今日一日でも、楽しんでください」
彰とリリアはもう一度礼を言うと、市庁舎を後にした。
「『ダズ』と『グレイブ』…………。有名なのかしら?」
二人を見送った後、クリスティアは報告書を見ながら尋ねる。すると、向かいに座る大佐が答えた。
「はい。昔、陸軍に在籍していたのを憶えています。ただ、軍の規律に馴染めず、すぐに転職したとか」
「記憶違いではなくて?」
「なにしろデカい双子ですからね。間違いありません」
クリスティアは大佐の顔を見上げる。魔人討伐を指揮したのは彼だ。
「知り合いを殺めるなんて、辛い命令をさせてしまったわね」
「仕事ですから」
魔人討伐後、すぐに医者、研究者による調査が行われた。その結果、魔人となったのは「ダズ」と「グレイブ」という双子の用心棒だと判明したのだ。
クリスティアは報告書を置くと、一つため息を吐いた。
「二人のご遺体は中央都の総合研究棟へ送りなさい。人が魔獣になる理由をなんとしても調べ上げるのです」
「承知しました」
「研究資金なら惜しみません。人が魔獣になるなんて…………、想像するだけで恐ろしいわ………………」
◇◇◇
黒い煙が無くなったのを確認すると、戦争屋はつまらなそうに双眼鏡を外した。
「対応が早いな。……流石ウルヴァレノ家だ」
「また失敗したんじゃない?」
簡易テントに寝転がりながらノーワンが尋ねる。戦争屋はその言葉に眉をひそめると双眼鏡を放り投げた。脇に控えていたエナスがそれを受け止める。
「そういえば、ノーワン。彼がこの世界に来たらしい」
「彼?」
「アキラ。イリヤ・アキラだよ」
その名前を聞いて、ノーワンはニヤリと笑った。
「やっと来たか、アキラ」
「九頭龍が接触したらしい。似顔絵もある」
戦争屋は懐からクシャクシャになった紙を取り出す。ノーワンは「雑だなぁ」と顔をしかめると、その紙を指で広げた。
「彼は十八歳の姿で転移してきたそうだ。近頃は…………なんだったか………………、名前は忘れたが、少女と一緒に行動しているらしい」
「……本当にこの顔?」
「あぁ。間違いないらしい」
「この子、この前会ったけど。ちょうど主佐野市で」
「そうか。…………は?」
ノーワンはおかしそうに笑うと、その似顔絵を丁寧に折りたたんだ。
「なぜ言わない! 彼は最重要だぞ! もう街を出ていたらどうするんだ!」
声を荒げる戦争屋を無視して、ノーワンは笑いながら主佐野の街を見下ろす。
「過ぎたことを悔やんでもしょうがないじゃないか。いずれ彼も『方舟』へ来るんだ。そういう運命にある」
「そういう問題じゃない! 私は先が短いんだ! 君らのように、のんびりしている暇は無いんだ!」
ノーワンは呆れた顔で戦争屋を見ると「まだ元気そうじゃん」と呟いた。




