第57録 一悶着
しかしその空気は、鋭い声にかき消された。
「そこまでだ、お前ら!」
アレキサンドルの兵士だった。
その数は20人は超えており、いつの間にかエリス達を取り囲んでいる。
野次を飛ばし、武器を構えながら、ジリジリと輪を狭めていた。
すかざすアンナが声を張り上げた。
「待ってくれ!お前達の王は所在不明、王子達も戦闘不能の状態だ。
もう争う理由はない筈だ!」
「うるさい!エベロスのせいでどれほど被害を受けたと思っている!
大人しく降伏しろ!」
アレキサンドルの兵士達はアンナの言葉に耳を傾けようとせず、武器を下げようとしない。目がギラギラとひかっていて戦意があることを示している。
「もうこれ以上、血を流すのは無意味だ!」
「ここで首を取らねば、散って行った者達に顔向けできん!」
「くっ、意志が堅い……」
戦意というよりは執着心で動いていた。
アンナが黙り込んでいると、今度はエリスが声を張り上げた。
「あなた方は、まだ傷を負いたいんですか!?」
「うるさい!ジョルジュ様に負けたくせに、生意気を言うなっ!」
その一言で、場の空気が凍った。
アンナとベルゼブブ、アザゼルはゆっくりと顔をエリスに向ける。
まるで、嵐の前触れを察したかのように。
さすがの兵士達も様子の変化に気づいて、野次が止まった。
エリスは、笑みを浮かべていた。
もちろん、喜びからきているのではない。逆だ。
その証拠に目元が笑っていない。
「テ、テオドール……?」
「せっかく、血を流さずに済むと思ったのに……」
直後、エリスの足元に赤い魔法陣が描かれ、そこから炎が吹き上がった。
それは瞬く間に上空で竜を形どる。
「《竜の爆炎》。
焼かれたい人から、出てきてください」
静かな声に、残党たちは顔を見合わせた。明らかに怯えていて、顔が引きつっている。
すると、輪の奥から野太い声が響いた。
「て、撤退ーーっ!!今すぐ撤退しろーー!!」
「で、ですがッ……」
「いいから急げ!アレが見えないのか‼」
「し、承知ましたッ‼」
騎士隊長のものとみられる号令で、彼等は蜘蛛の子を散らすように引き上げてゆく。
最初の威勢はとこへ行ったのか大慌てで逃げ惑い、人にぶつかったり、石に躓いて転んだりした者もいた。
「……思ったより呆気なかったな……」
「ですね……」
アンナとエリスは顔を見合わせていたが、どちらからともなく笑い出す。
それは、使命の重い彼女達が年頃の娘になったかのようだった。
ひとしきり笑うと、アンナはエリスの正面に立つ。
「ほとぼりが冷めたら、ぜひエベロス帝国に寄ってくれ。
盛大にもてなそう」
「余裕があれば。でも、盛大は困りますね……」
「そうか。だが、もてなしはさせてくれ!」
「できるだけ質素にお願いします」
アンナは困ったように眉を下げたが小さく頷いた。
そしてエリスに右手を差し出す。
「握手をしてもらえないだろうか?
テオドールがいなかったら、この戦いは終わらなかっただろう」
「……どうでしょうね。いてもいなくても変わらなかったと思いますけど」
「いや、変わった。確かにお互いの被害は今までの中で最も大きかったと思う。
アレキサンドルは今回でケリをつけるつもりだったんだろう。だが、それはあなたがいたからだ。
いなかったら、またいつものように攻防戦になって、
お互いの士気低下で仕方なく引き上げる事になっていただろう」
「そうですか……」
エリスは腑に落ちない様子でアンナと握手をする。
そして、晴れやかな笑顔で陣営に帰っていくアンナを見送った。
次回、【第1部最終話】です。