第51録 許しと報酬
どんよりとした雲が広がる下を歩いてエリス達はエベロスの陣営に辿り着いた。そこは彼等の疲労を現しているかのようにシンと静まり返っている。多くの天幕がひしめき合っていて、奥に一際大きい赤い天幕があった。
イングベルトはその天幕の前で立ち止まって、振り返る。
「少し待ってもらえないか。アンナ様に報告してくる」
「わ、わかりました」
エリスはベルゼブブの背から顔を出して答えた。どうにか担ぎ運びだけは免れたのだ。
やがてイングベルトが出てきて、エリス達に中に入るように促す。
「アンナ様の許可が下りた。失礼のないように」
「はい」
ベルゼブブはエリスを背負ったまま不機嫌そうに中に入る。
中央に椅子があり、軽装に身を包み紫色の髪を一つ結びにした女性が堂々と腰掛けていた。漂う雰囲気や凛とした目つきからただ者ではないことがわかる。エリス達を見ると立ち上がり、声をかけた。
「あなたがテオドールだな?」
「はい。改めまして、私はエリス・テオドールと申します」
「…………。いろいろ尋ねたいことはあるが、まずはここに来てくれたこと、礼を言おう」
「あ、ありがとうございます……」
「聞いた所によると、あなたの方からこちらに来たいと申し出たそうだな?何故だ?」
エリスはうまく纏めて話した。今まで正気を失っていて、戦争の状況が知りたいこと。そしてこの戦争を終わらせたいこと。
「謝って済むことではありませんが、多大なる被害を出してしまい、申し訳ございませんでした」
ベルゼブブに下ろしてもらい、エリスは深々と頭を下げる。
アンナの頬を汗がつたった。目の前の少女は嘘をついているようには見えない。それに軍を壊滅させるつもりで来たのなら真っ先に自分が狙われるからだ。
しかし彼女は攻撃する素振りも見せず、むしろ申し訳ないと頭を下げたのだ。
「頭を上げてほしい。正直、私は戸惑っているんだ。
確かに今のあなたは聞いていた特徴と違うようだが、簡単には信用できない」
「…………」
「だが、あなたの信念には共感している。戦争を終わらせたいのは私も同じだからだ」
「……とても高い理想なのはわかってはいますが、これ以上血を流したくありません」
目を伏せて言うエリスにアンナはゆっくりと頷いた。少しなら信用してもいいかもしれない、彼女の言葉を聞いてそう思ったのだ。
ふと、アンナは場の空気が重いことに気づいた。戦場なので必然的に重くはなるのだが、少し軽くしてみようと話題を変える。
「ところで、どうして座ったままなんだ?」
アンナに尋ねられてエリスは顔を赤くした。そして戸惑いながら答える。
「魔力が枯渇していて動けないんです。今、知り合いに急いで薬を作ってもらっていて……」
「それは気の毒だな……。なら、その間に戦況を教えよう。
まず総力だが、エベロスが5000、アレキサンドルが2000。で、現在は我々が3800、相手は1500と聞いている」
聞きながらエリスは頭を下げることしかできなかった。犠牲になった1200のほとんどを自分がやったと思ったからだ。
「すみません……」
「気にしないでくれ。戦争に犠牲はつきものだ。そりゃあ、犠牲なんてないに越したことはないが。
他に気になることはあるか?」
「相手の戦力についてです。ジョルジュ・アレキサンドルは私が戦闘不能にしてしまっています」
「何だって!?」
アンナが驚いてエリスの顔を覗き込む。エリスは少し身を引きながらも頷いた。
「そうか!その弟のグラドも戦闘不能になったんだ!となれば、残り注意すべきなのはラング王のみ!」
「ラング王が参加されているのですね!?」
「そ、そうだが……。用事でもあるのか?」
「彼を止めれば戦争が終わるからです」
「た、確かにラング王は総指揮だから、止めれば終わるが……」
アンナは困惑しながら言う。なぜそんな当たり前のことを言うのかと少し首を傾げた。
「彼はエベロスを恨んでいると聞いています。彼が参戦している今回で捕らえなければ終結しません」
「そうだな……。私達も命まで取るつもりはないんだ。聞きたいことがあるからな」
その時。外がザワザワと騒がしくなり、イングベルトが焦った様子で飛び込んで来た。
「お話中のところ失礼いたします!」
「何事だ?」
「連れがいるから中に入れてほしいと主張する男が現れまして。
濃い緑色のローブフードを纏い、怪しい雰囲気なので止めてはおりますが……」
「濃い緑色のローブフード……?」
「その人、連れです!……あっ、でも私動けない。どうしよう……」
エリスはハッとして顔を上げたがすぐに目線を下げる。
すると今まで黙っていたベルゼブブが口を開いた。
「オレ様が用事済ませてきてやるよ」
「え?でも……」
「薬貰うだけだろうが」
「……その方、こちらに連れてきてくれないか?危険な人物ではないはずだから」
「そ、そう仰るのならば連れてまいります。少々お待ちを!」
イングベルトがそそくさと出ていった後、エリスとベルゼブブはアンナの発言に驚いて彼女を見つめていた。視線に気づいた彼女は少し顔を赤くして頬を緩ませる。
「あ、いや……もしかしたら知ってる方かと思ってな……」
「戦いの最中に会ったのですか?」
「ああ……。彼で間違いなければ。あの人はグラドを倒したんだ」
「アイツが……?」
珍しくベルゼブブが金色の目を見開いて呟く。エリスは横目で見ながらアンナに問いかけた。
「そうだったんですね……。その人に何もされていませんか?」
「ああ。血液を採られたぐらいで特には――」
「行動が早い……」
呆れてため息をついたエリスにアンナが戸惑いの表情を見せる。
「確かに私も驚きはしたが、それで戦わずに済んだんだから良かったと思っているよ」
「血液コレクターが……」
「それは褒め言葉として受け取っていいんスか?」
ベルゼブブが呟いた直後、軽い調子の声でアザゼルが幕を捲り中に入ってくる。後ろからイングベルトが慌ててアザゼルのローブを掴んだ。
「勝手に入るなと言っただろう!?」
「あぁ、すみませんねぇ。気になる言葉が聞こえたもんで。失礼なことはしないんでローブ離してもらっていいスか?」
「必ず守ってくれ。頼んだぞ!」
イングベルトはアザゼルに念を押すと天幕を出ていった。
アンナが1歩アザゼルに近づく。
「やっぱりあなただったか……」
「その節はどうも」
アザゼルはどこか緊張した顔で話すアンナに軽く挨拶した。
それからエリスに向き直り、オレンジ色の液体が入った小瓶を差し出す。
「ほら、これを飲みな。威力の高い魔法連発しなければ1日は持つッスよ」
「あ、ありがとう……」
「約束、忘れるなよ?」
小瓶を受け取ろうとしたエリスはアザゼルに耳元で囁かれ、手を止める。
採血3倍という言葉を思い出したからだ。
「覚えてたら……」
「了解。なら、とっとと飲みな」
アザゼルに促されて、エリスは髪色と同じ液体を飲みほした。