第49録 覚醒
アザゼルはエリスに近づくと身を屈めて目線を合わせる。
「痛みは無いんでそこは安心してほしいッス。それに今までの流れからして、自分が何をされようとしているのかわかってるんじゃないスか?」
「……私の、一部……」
「そう。アンタは今もエリス・テオドールではあるが、オレ達の知ってるのとは違うんスよ」
淡々と語るアザゼルをエリスは困惑した表情で聞いていた。
彼等が嘘をついているようには見えず、何らかの形で自分を知っていることは確信したからだ。
「あなた達は、私を知っているのね」
「ん?どうしてそう思った?」
「さっきよりも増して体がいうことを聞かないの。初対面ならこんなこと起こらないはずだわ」
体に力が入らなくなったのか、エリスが座り込む。ベルゼブブとアザゼルはチャンスだとは思ったが、あと一押しが足りないのは明らかだった。
今の内に人格を引き出さなければ、魔力が回復してまた暴れ出してしまう。
「オレの印象ッスけど、アンタは年の割にはとても落ち着いている。だが、それは経験不足だからだってのがわかった。グッと近づいたら顔赤くなるしな、今みたいに」
「……悔しいけど、そうみたいね。離れてもらえるかしら?」
改めて指摘され、エリスはのぼせた時のように顔を真っ赤にした。しかし本人の意志に反しているようで、離れようとしないアザゼルを睨む。
「残念だがまだこのままだ。いい感じなんでね。
クククッ。そうそう、その顔ッス」
アザゼルから、からかうように言われてエリスは悔しさで歯を食いしばる。
「バカにしないで!……ぅっ!?」
一瞬、エリスの瞳に強い光が宿ったがすぐに消えた。ベルゼブブが咄嗟に鎖の絞めつけを強くしたからだ。
「危ねぇ……。挑発してどうするんだよ、部下1号」
「すみませんッス。予想外で。一時的に魔力が戻ったらしい。
それで、タイチョーは何かないんスか?エリスの感情を揺さぶるような場面」
「急に言われても思いつくか!……あ、トラウマはダメか?」
「ダメッスよ。逆効果ッス。さて、どうしたもんかね……」
ベルゼブブはエリスを煽ってやろうかとも考えたが、せっかく大人しくなった彼女を刺激してしまっては元も子もない。少し不機嫌になりながら、当てはまる場面がなかったか必死に記憶を辿る。
ふと、エリスが優しすぎて、自ら危機に飛び込んでいった場面があったのを思い出した。
「部下1号、1つ思い出したぜ」
「じゃあ、とっとと言ってください」
「何でオレ様なんだよ!?お前が他に言えばいいじゃねぇか!」
「オレよりタイチョーの方が一緒にいる時間長いんで」
「クソッ、こういうの、オレ様のガラじゃねぇよ……」
ブツブツと呟きながらベルゼブブはエリスの側に立った。そして咳払いをすると口を開く。
「あー、いいか?お前はとんでもないお人好しなんだよ。頼まれてもいないのに村の害獣を倒し、追われている最中にもかかわらず、たった1人の身が危ないからとわざわざ海を渡って戻り助けた」
「…………そう」
「まだある。追手を葬ることもできるのに、お前は全員生かしてるんだ」
「私、この手で何人も殺したわよ?」
「その話は今いい!
……お前は簡単に他のヤツの命なんざ奪わねぇんだ。自分のことは粗末に扱うくせによ!」
「……それ、あそこで伸びてる人にも言われたわ」
エリスが視線を倒れているジョルジュに向ける。彼は地面に叩きつけられてから微動だにしていなかった。
「アイツ、生きてるよな?」
「そこまで恩知らずじゃないわ。鬱陶しかったけど世話焼いてくれたし」
「そうかよ。フン……」
ベルゼブブの嘲るような言い方にエリスは眉をひそめて不快感を示す。
「何かおかしかったかしら?」
「変な所で律儀だと思っただけだ。前にもそういうのあったよなぁ。自分が国に差し出されるかもしれないっていうのに、密告したヤツらの心配してよ」
「そんな話を聞いても何も――」
エリスの言葉は最後まで聞こえなかった。虚ろな瞳から一筋の涙が流れていたからだ。まだ鎖で縛られているため、拭うこともできずにただ瞬きを繰り返す。
「……どうして……?」
「確実に揺さぶってはいるッスね。流石タイチョー」
アザゼルはポツリと呟いた。今自分が割り込むべきではないと悟り、距離をとってそのまま2人を見守る。
「お前はお人好しで優柔不断で危なっかしい。オレですら見ててヒヤヒヤする。だが、そこがいいんだ!――戻ってこい!エリス・テオドール!」
まるでその言葉を待っていたかのように、エリスの両目から涙が止めどなく流れる。
何度も瞬きをしている内に徐々に光が戻り始め、ゆっくりとベルゼブブを映した。その目はいつものエリスだった。
ベルゼブブはため息をつくと指先で乱暴にエリスの涙を拭う。
「やっとかよ。オレ様に手間かけさせやがって」
「ごめん……。それと……ただいま」