第36録 一方的な手合わせ
突然始まったベルゼブブの気まぐれにエリスはオレンジ色の目を細めて小さくため息をつくと、構える。
「お?珍しく応じるか?」
「そうなったらよかったわね。《電撃》!!」
エリスの右手から雷撃が放たれ、バリアに直撃する。しかしバリアはわずかに白い煙を上げているだけでヒビ割れてはいなかった。
「やっぱり強いわね……」
「お前ならまずバリアを破壊しにかかるだろうからな。強化するのは当然だろ?」
「…………」
エリスは悩んでいた。
どうやったら目の前の大悪魔を満たすことができるのだろう。今のように自分が相手するのが手っ取り早いとは思うが、普段から魔力を使用する機会が少ないため、一気に消費してしまえば寝込んでしまう。そうなるとロイトにさらに迷惑がかかることになる。
エリスは大きく深呼吸をすると再び構えた。全身を薄いオレンジ色の気が包み込み、それを見たベルゼブブは口角を上げる。
「ほお……少しはやる気になったか」
「そうしないと解放してもらえないもの。
《稲妻波》!!」
エリスが突き出した両手からいくつもの雷が放たれ、ベルゼブブに襲いかかろうとした。しかしベルゼブブが素早く右足で地面を踏みつけると、そこが隆起して高い壁を造り雷を弾く。
「《大地の壁》。
フン、やりゃあできるじゃねぇか」
涼しい顔で雷撃を防いだベルゼブブを見てエリスは歯を食いしばった。
「くっ……」
「それにしてもお前、雷ばっかりだな。火とか風とか使えんだろ?」
「雷が1番気絶させやすいから」
「フン、くだらねぇ。雷以外も使えよ、《大地の矢》!!」
ベルゼブブが唱えると、地面から数十本の矢が現れてエリスに襲いかかる。
エリスはどうにかそれらを避けるとベルゼブブを睨んだ。
「ケガ、させる気⁉」
「嫌なら相殺しろよ。それぐらい簡単だろ?」
今回ベルゼブブはエリスが雷以外を放つように誘発したのだが、乗ってこなかったことに少し不快感を示す。
魔法には火・水・雷・土・光・闇の6つの属性が存在しており、有利不利がある。
雷には土が有利だ。
「無駄に、魔力を使わせないで!」
「普段から有り余ってんだから問題ねぇはずだぜ。
やっぱイカナ村にかけ続けてる魔法のせいで魔力が不安定なんだろ?」
ベルゼブブは肩で息をしているエリスを見ながら言った。エリスは一瞬目を伏せたが、すぐにつり上げて叫ぶ。
「わかっているなら解放して!」
「やなこった。ほら、俺様を満たしてみろよ!
《炎波》!!」
「……《水の障壁》!!」
現れた水の膜がエリスに迫りくる炎を消火した。ベルゼブブは呆れたようにフード下の金色の目を細める。
「おいおい、ここまでしねぇと他属性使わねぇのかよ」
「《大地の針》!!」
「フン、ようやくのってきた――水の針!!」
エリスの針が自分を避けて飛んだのを悟った瞬間、ベルゼブブはすかさず有利属性を放ち相殺させる。エリスはバリアの破壊を試みたが失敗におわったため、いつも以上に眉をしかめた。
「……はっ……隙も、ないのね……」
「当たり前だ。まだ足りねぇ!」
「いつになったら、満たされるの?このままだと、私が先に倒れる……」
「なあに、もし倒れてもオレ様が特別に運んどいてやるよ。
ちなみに、このバリアは内側からの攻撃には強いからな。
さすがにお前でも――」
「じゃあ外側からは?」
空から男の声がとんできたかと思うとバリアに黒い塊がぶつかった。するとガシャンとガラスの割れるような音がして、エリスとベルゼブブを覆っていたバリアが砕けていく。
黒い塊は狼のような4本脚の生物でバリアがコナゴナに砕けたのを確認すると2人から少し離れた位置に移動した。
「チッ、誰だよ。オレ様の邪魔しやがるのは!」
「邪魔も何もなんで2人がぶつかってるんスかねぇ」
2人の間にアザゼルが降り立つと、その隣に黒い生物が寄り添う。
「部下1号⁉」
「魔力遮断付きのバリアとはいえ悪魔なら1発でわかるッスよ。
何?ケンカ?」
「ワガママ!」
素早くベルゼブブを指差したエリスを見ると、アザゼルは少し口角を上げた。
「あぁ、そう。ワガママか。タイヘンッスね」
「仕方がねぇだろ。退屈なんだよオレ様は!」
「だからってここまでしなくてもいいじゃない!」
「お前、まだいけそうだな?」
ブキミに笑うベルゼブブを見てエリスは慌てて両手で口を覆う。アザゼルはそんなエリスをしばらく眺めてからゆっくりと口を開いた。
「前回会った時よりは減ってるッスね、魔力。それでも平均は上回ってるが。
で、まだタイチョーは満足してないみたいッスけど?」
「も、もう無理!私が倒れる!」
「まだ叫ぶ元気があるじゃねぇか」
「無理してるの!」
2人のやり取りを見ていたアザゼルは呆れたように肩をすくめたが、ふと何かを思いついたようで軽く手を叩く。
「じゃあ、この子等の相手してもらっていいスか?ちょっと遊びたいみたいなんで」
そう言いながらアザゼルは寄り添っている黒い生物を指差した。
ベルゼブブは明らかに不快感を示してそれを見下ろす。
「この子等ぁ?1匹しかいねぇ――」
「キー!」
黒い生物は鳴き声を上げると姿をグニャリと変形させて小さな翼のある球体の生物に変わった。一部始終を見ていたエリスが小さく声を上げる。
「あ、その子って……」
「そう。随分前に見たことあるッスよね?」
以前、エリスがアレキサンドルに護送されようとしていた時に救出に駆けつけたアザゼルが呼び出したモンスターだ。
「狼みたいな姿にもなれるの?」
「ああ。まだこの子だけッスけど。
前にモンスターとかの血液等で何かできないか模索してるって言ったッスよね?この子は俺が生み出したモンスターッス」
「おい!オレ様を外すな!そもそも1匹だけなのに――」
どこから出てきたのか上空から程の大きさの黒い集団が向かってきている。
それを見たアザゼルが不敵に笑った。
「お、来たッスねぇ」
「は⁉数多すぎんだろ⁉」
「タイチョーなら余裕で吹き飛ばせるでしょーよ。
まぁ、吹き飛ばしたらオレがキレるッスけど」
「なに……?」
ベルゼブブはしばらくの間アザゼルを睨んでいたが、背を向けるとボソリと呟く。
「………………飽きた」
「ん?」
「飽きたっ゙つったんだ!!そいつ等を帰せ!!」
「クククッ、お気遣いどーも、タイチョー。
じゃあ、帰りな」
アザゼルの号令で黒い集団は旋回して徐々に小さくなってゆく。
寄り添っていた1体も一緒に帰っていった。
「あんなに頑固だったのに……」
「オレがキレると血液5本分は確定なんでねぇ」
呆然としているエリスにアザゼルが耳打ちする。
「その前にやられないの?」
「タイチョーの場合はやられたとしても命までは取られないんで。隙を見て貰うッスよ」
「そ、そう……」
エリスは近づいてきたアザゼルから距離をとると胸の前で手を組んで息を吐いた。バリアから開放されたことに安堵したようだ。
ベルゼブブは肩をつかって大げさにため息をつくと、いきなり歩き始めた。
「ちょっと!どこに行くの⁉」
「とっとと帰るぞ!」
「……ワガママ」
ズンズンと大股で行くベルゼブブをエリスがため息をつきながら追いかける。
「オレも帰るか」
どこか微笑ましそうに2人の後ろ姿を見送ったアザゼルもいつものように去っていった。




