第26録 休養
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翌日、よくなるかに見えたエリスは高熱に魘されていた。魔力消費が多かったのに加えて日頃の疲れが体に出たのだ。
ジョセフィーヌが慌ただしく出入りを繰り返している。
「水はテーブルの上に置いとくからね!こまめに飲むんだよ!」
「はい。ありがとう、ございます」
「ほら、ボサッとしてないでアンタも手伝いなッ!」
そう言いながらジョセフィーヌは退屈そうに壁に寄りかかっているベルゼブブの腕を叩いた。まさか叩かれるとは思ってなかったようで、その箇所を手で押さえながら
ジョセフィーヌを睨む。
「はぁ⁉なんでオレ様が手伝わなきゃなんねぇんだよ!」
「エリスちゃんの身内なんだろう⁉心配すらしないのかい⁉」
「コイツはしょっちゅう風邪ひくからな!そこまで心配してねぇよ!オレ様が手伝う必要はねぇだろ!」
ベルゼブブ相手にも全く引けを取らないジョセフィーヌ。
悪魔だと知らないからかもしれないが、ここまで強く言える人はなかなかいないだろう。
ジョセフィーヌが強引に水がめをベルゼブブに押しつける。
「つべこべ言わずに水を汲んできておくれ!」
「だからなんで……」
「ほら行った行った!どうしても行かないって言うんなら
アンタだけ食事出さないよ!」
ジョセフィーヌ達はベルゼブブの分の食事も用意してくれていた。
悪魔は生物のタマシイや魔力を糧にしているため、人間と同じように必ず食事をしないといけないわけではない。
しかし、硬めのパンや作物のスープなど、豪華とはいえない食事をベルゼブブは気に入っていた。
盛大にため息をつくとジョセフィーヌから水がめを奪い取る。
「チッ、持ってくりゃいいんだろ」
渋々出ていくベルゼブブの後ろ姿を見送ったジョセフィーヌが肩をすくめた。
「厄介な身内がいたんだねぇ、エリスちゃん」
「あんな感じですけど、そういうところに助けられてることもありますから」
「そうかい?エリスちゃんが問題ないならいいんだけど。
もしムチャクチャなこと言われたらあたしに言いな、返りうちにしてやるよ!」
「は、はあ。ありがとうございます……?」
戸惑いながらエリスがお礼を口にしたその時、ベルゼブブが戻ってきて乱暴に水がめを床に置いた。振動で水しぶきが床を濡らす。
「ほらよ、これで満足か?」
「バッチリだよ。なんだ、やればできるじゃないか」
「ガキでもできんだろ、こんなの」
「それがそうでもないんだよ。かめだけでも重いのに、水が入るとさらに重くなるだろう?若者でも3回やれば息が上がっちまうのさ」
「フーン」
ベルゼブブは素っ気なく相槌を打つと再び壁に寄りかかる。
その様子を見てジョセフィーヌは小さくため息をつくとエリスに向き直った。
「じゃあ、あたしは仕事に戻るからね。
アンタ!エリスちゃんに何かあったらすぐ言うんだよ!」
「はいはい。何かあったらな」
ジョセフィーヌは腰に手をあてて不快感を示したが、見向きもしないベルゼブブを見て諦めたように姿勢を正すと家を出ていった。
村人たちが寝静まった真夜中、エリスは目を覚ましていた。まだ顔は赤いものの、目はしっかりしている。体をゆっくりと起こして室内をゆっくりと見回し、それから壁に寄りかかっているベルゼブブに声をかける。
「お、起きてる?」
「なんだよ」
「えっと、その、荷物を持ってきてくれると助かるんだけど」
「荷物?……ねぇよ」
エリスが置いていた荷物はグラド達が証拠として持って行っていた。
しかし村長の救出に気を取られていたエリスは荷物に気がつかなかったのだ。
「そう……」
「クソガキ共が持っていったんだろうよ。もしかしたらぶつかった辺りに転がってるかもしれねぇけどな。
大事な物でも入れてたのか?」
「入れてない。ただ、お母さんと一緒に売りに行っていたときから使ってた物だったから……」
その時を思い出しているのか、かすかに微笑むエリスを見てベルゼブブはつまらなそうに息を吐いた。
「あっそう。取りに行くとか言うなよ。それで待ち伏せされてて捕まりました、とかなったらシバくからな」
「言わない。道具ならまた集める」
「とか言ってどうせ後で――」
ベルゼブブは追い打ちをかけようとしたが、ふと顔を上げてドアの方を見ると目を閉じて笑う。
「フン、タイミングがいいんだか悪いんだか」
「え?何の話?」
ベルゼブブが答える前にゆっくりとドアが開いて意外な人物が顔を覗かせる。リヤン大陸にいるはずのアザゼルだった。
「よ、タイチョーたち」
「また魔力辿ってきたな、部下1号。つーか、あっちの大陸で走り廻ってるんじゃなかったのかよ」
「いろいろ採れたんで満足した。
タイチョーたちも散々だったッスねぇ。アレキサンドルとぶつかるなんて」
「ど、どうして知ってるの?」
まるで一部始終を見ていたかのように言ったアザゼルを見てエリスが首を傾げる。
「昨夜街道を通ってきたときに騎士共がバタバタしてたんスよ。見たことある騎士だったんで、アレキサンドルだと
判断した。
で、今アレキサンドルとぶつかるところといえば、エベロスかタイチョーたちしかない。でも、うっすら魔素が残ってたんでね。それから魔力辿ってきたんスよ」
魔法を使用すると半日ほどその場所に魔素が残る。使用者の魔力が含まれているため、アザゼルはエリスとアレキサンドルがぶつかったと判断したのだった。
「それで、騎士共が運ばれてたんだが、ありゃ全滅だったッスね。意外と容赦ない?それともタイチョー?」
「待って。気を失わせはしたけど、命までは……」
「クソガキの仕業だろうよ。自分でやっといてお前のせいにするつもりだ」
「なるほど。失敗したから用済みってことスか。容赦ないッスねぇ」
不敵な笑みを浮かべながら言うアザゼルをエリスは嫌悪した目で見ながら考え込んでいた。
イカナ村が自分と関わりがあるということが明らかになったのに、1日何も起こっていなかったからだ。
「追手が来てもおかしくはないのに……」
「そりゃクソガキを手負いにしたからな。警戒してるんだろうよ」
「いつ⁉」
「お前とジイさん抱えて飛んでるときだ。「バインドチェーン」仕掛けといたんだよ。クソガキが黙って逃がすとは思わなかったからな。
ヒヒヒッ、ありがたく思えよ?」
ポカンと口を開けているエリスを見てベルゼブブは挑発するように口角を上げる。しかしすぐに真顔になると話を続けた。
「だが、気絶するぐらいまでしめつけてやろうと思ったのに、その前に解かれた」
「へー、タイチョーの魔法を解くなんて。さすがはアレキサンドルってとこスかねぇ」
ベルゼブブは表情を変えずにアザゼルを見る。何かを察したアザゼルは小さく頷くと口を開いた。
「とはいえ、まだ相手も本気じゃないでしょーね。これから本腰入れてくるのは間違いない」
「ってのに、コイツはノンキに風邪ひきやがって」
「ひきたくて、ひいたわけじゃない」
2人のやり取りを聞くと、アザゼルは懐から赤い液体が入った小瓶を取り出してエリスに近づく。警戒して体を強張らせたエリスを見てアザゼルは少し
呆れたように息をついた。
「そう警戒しなくてもいいじゃないスか。何もしないッスよ。ほら、コレ飲んどきな」
「薬?」
「ああ。魔力が乱れてるからな、安定剤ッス。飲んで寝て起きたらフツーの状態に戻ってると思うッスよ」
「いつの間に……」
「ダテに血液もらってるわけじゃないんでね。
タイチョーにも渡しとくッス」
「おう……。まぁ持っといて損はなさそうだしな」
ベルゼブブは黒い液体が入った小瓶を受け取ると懐にしまいこんだ。
それからエリスを見据えると口を開く。
「お前、明日には出れるんだな?」
「出れる。
だけど、この村をどうにかしないと」
もし、ベルゼブブの推測が当たっていて警戒しているだけとしても2日もすれば薄まる。そうなれば、調査がしつこいぐらい入り、村人全員が連行されてしまう可能性があるからだ。
難しい顔をして唸っているエリスにベルゼブブが当然のように言い放つ。
「カモフラージュすりゃいいだろ」
「カモフラージュ?」
「知らねぇのか?お前の親も家に魔法かけてたんだよ。
一家の出身でもない限り廃墟に見えるようになってた」
「知らなかった……。魔法かけるなら村全体よね?」
「そりゃそうだろ。お前がこの村に迷惑かけていいって言うんなら、しなくていいぜ?」
「やる」
即答したエリスを見てアザゼルがどこかに不満げに口を挟んだ。
「オレが口出すのもどうかとは思うんスけど、カモフラージュしたら常に魔力は減り続けるッスよ?魔法きらすワケにはいかないんスよね?」
「コイツの魔力ならそこまで支障はねぇだろ。魔法もそこまで難易度高くないしな」
「テオドールとはいえ魔力が減り続けるのはツラいんじゃないスか?」
悪魔2人から視線を向けられたエリスは、恥ずかしさから顔をそむけて小声で答える。
「やったことないから、わからない」
「やるなら、いつも以上に寝るかメシ食うかしないと倒れるぞ」
「どうして?」
キョトンとするエリスに2人の顔が引きつった。あまりにも信じられない様子で瞬きすらしていない。
「まさかッスよね?」
「おいおいおい、嘘だろ⁉魔力回復の方法知らねぇのか⁉」
「聞いたことない」
主な魔力回復は3大欲求だ。他者から分け与えてもらう方法もあるが、相性が
良くないとできないため行なわれることは少ない。
アザゼルは少し考えてから納得したように声を漏らす。
「あー、今までは魔法を使ったとしても、普段通りの食事と睡眠で回復できる消費量だったんスね」
「だとしてもおかしいだろ⁉なんで最高一家のヤツがこんな常識知らねぇんだよ⁉」
「両親は何も言ってなかった。ただ、疲れたと思ったら
いつもより早く寝なさいとは言われてたけど」
エリスが気まずそうに言うとベルゼブブは今日2度目の盛大なため息をついて頭に手を乗せる。
「アイツ、説明してなかったのかよ」
「今日わかってよかったじゃないスか。年重ねてからわかるよりは
いいでしょーよ」
「そりゃそうだけどよ……」
「オレはそろそろ帰るッス。じゃーな」
エリスたちが声をかけるよりも早く、アザゼルはその場を後にした。少し俯いて目を伏せるエリスを見て、ベルゼブブが鼻を鳴らす。
「なんだよ、何か不安か?」
「あの人、あんまり一緒にいたくないのかと思って」
「部下1号はあんな感じだからお前が気に病むことじゃねぇよ。そんなくだらないことでいちいち落ち込むな。
それはとうとお前、明日治ってなくても強制的に連れ出すからな」
「わかった……」
ベルゼブブを不思議そうに見てから、エリスは薬を飲みほすとベットに横になった。