第15録 一新
エリスが騎士達の調査から逃れて3日目になった。あの日
以降アレキサンドルの騎士たちは1度も村を訪れておらず、
村人は平和な日々を送っている。
エリスはその間薬作りを中心に村人たちを手伝っていた。
今、エリスはジョセフィーヌの家に呼ばれて髪を染めてもらっていた。自然栽培の花から作られた染料独特の香りに少し眉を下げながら大人しくイスに腰掛けている。
「はい、できたよ」
「ありがとうございます、ジョセフィーヌさん」
「どうってことないさ。約束だったしねぇ。それにしても
髪色変えるだけでずいぶん印象が変わるもんだねぇ」
「見てきてもいいですか?」
「もちろんさ。ああ、だけど触っちゃだめだからね。
まだ馴染んでなくて色が取れちまうよ」
ジョセフィーヌの言葉を聞いてエリスは髪に伸ばそうとした手を慌てて引っ込めた。
「アッハッハッハ!とりあえず見てきなよ」
「は、はいっ!」
エリスは少し顔を赤くして家から飛び出し、そのまま村を流れる小川に姿を映しに行く。水面に映った自分を見てエリスは小さな歓声を上げた。髪は淡い緑色に染められていてオレンジ色の瞳とよく馴染んでいる。追手から逃れるためなので喜ぶ
ようなことではないが、嬉しそうに目を輝かせてジッと水面を眺めていた。
「ああ、アンタここにいたんだね」
いきなり老翁に声をかけられて振り向いたエリスは目を丸くする。その人は最初に痛み止めの薬を買ってくれた人だった
からだ。手に折りたためられた紺色の布を持っており、それをエリスに差し出す。
「新しいローブだよ。話ならジョーさんたちから聞いていたからな。間に合ってよかったよ」
「あ、ありがとうございます。えっと、おじいさん
お1人で?」
「まさか。わしを含めて5人ぐらいで縫ったんだよ」
再び目を丸くするエリスに老翁はゆっくりと話し出す。
「男が裁縫をするのは意外かな?この村の人々はある程度
なら何でもできるんだよ。農耕、染色、裁縫。もちろん、人によって差はあるが、そうやってみんなで助け合って生きているからね」
「村長さんもおっしゃってましたね」
「ああ。この村の信念みたいなものだよ。
ところで、髪も染めたようだしローブもできたから村を出るんだろう?気をつけて行きなさいよ」
「はい!機会があればまた寄らせていただきます!」
「ああ。無理はしなさんな。ではな」
老翁と別れたエリスはジョセフィーヌのところに戻ると
渡された紺色のローブを見せる。
「おや、そっちも完成したのかい。よかったよかった。
ということは村を出るんだね?」
「はい」
「そうかい……。あたしは村長に言ってくるから
着替えといで」
「お、お見送りは結構です……。
村長さんも忙しいでしょうし」
しかしジョセフィーヌは苦笑して口を開いた。
「アンタが挨拶もなしに出ていったって知ったら村長は悲しむだろうねぇ。たとえ数日でもアンタは住人だったから、
住人を見送らずにどうするんじゃ、とか言いそうだよ。
とっても義理堅いからね」
「……お見送り、お願いします」
「ハッハッハ!わかったよ!静かにしとくから安心しな」
エリスは仮の住居に、ジョセフィーヌは村長の家にそれぞれ向かう。
着替え終えたエリスは室内を見回して小さく息をついた。
そして隅にまとめてある商売道具に近づくと中から革袋を取り出して荷物を整理し始める。
村の入り口では村長とジョセフィーヌがエリスを待っていた。革袋1つしか持っていない彼女を見て瞬きを繰り返す。
「アンタ、商売道具は置いていくのかい?」
「はい。外見を変えても、もしかしたら持ち物でバレてしまうかもしれないので。皆さんの邪魔になるとは思いますが」
「そうかい。使ってた家には誰も入らせないようにして
おくから安心しな!あ、たまに掃除はするけどね」
「ありがとうございます。重ね重ねご迷惑をおかけしました。匿ってもらっただけでなく、髪を染めてもらったり新しいローブまで縫ってもらったりして……」
改めてお礼を言うエリスを見てジョセフィーヌが
笑い出した。
「気にすることじゃないさ!前から言ってたじゃないか。
農作業だけじゃなくて薬も調合してくれてたんだし、
これぐらいしないとねぇ!」
「しかし、本当に行ってしまうのかい?ワシらはずっと居てもらっても構わんのじゃが」
「お気持ちはありがたいのですが、いつ騎士達が来るともわかりません。その度に庇ってもらうのは申し訳ないので」
「しかし、この前の件でお嬢さんが指名手配されていて、
ある程度の金額がかけられている事がわかってしまった。
冒険者はともかくワシらのような一般民までお嬢さんを
探しておるじゃろうな」
村長の言葉を聞きながらジョセフィーヌが驚いたように口を挟む。
「目の色までは変えられないけど、髪と服の色を変えたからしばらくは大丈夫なんじゃないのかい?」
「いつまで保つかわからん。とにかく前以上に警戒
しておいた方がよかろう。お嬢さんもわかっておるじゃろうが、簡単に人を信用してはならんよ」
「はい」
「でもあたしたちはアンタの味方だからね!」
力強く言ったジョセフィーヌを見て、エリスは何かを決意したように2人を見ると口を開いた。
「申し遅れました、私はエリス。
エリス・テオドールです」
「エリス……」
「そうかそうか。ではエリスさん、気をつけて行きなさい」
「ありがとうございます。本当にお世話になりました」
エリスは何度もお礼を言って頭を下げるとイカナ村を後にした。
―――――――――――――――
「2人目じゃな、誰かを匿ったのは」
エリスを見送りながら村長がポツリと呟く。
「そのことに関してはあたしゃ頭が上がらないよ。
本当にありがとう」
「何を今更。気にせんでもいいわい。
ジョセフィーヌ・フォーリス」
ジョセフィーヌは無言でバンダナを取った。カールした淡い紫色の髪が風になびく。
「懐かしいねぇ。数十年前、剣術に長けたフォーリス家だからってあの娘と同じように追われてたっけ。3番目なのにさ。それを村長のお父さんが匿ってくれたんだよねぇ。
あの娘を見てると自分と重ねちまってさ。放っちゃいけないって思ったんだ」
「ああ。今度は魔法一家か。しかしアレキサンドルも2番目なのになぁ。いったいラング王は何を考えておられるの
やら。
それにしても前に使った戦法が通じるとは……変わってなくて安心したわい」
「それにはあたしもビックリしたよ。
木箱やタルの1番上の物をわざと匂いの強い物にする。
まずは中に隠れてないか確認するだろうからねぇ。
準備は大変だったけど、あとは思った通りさ」
笑いながら言うジョセフィーヌを見て村長はゆっくり頷くと口を開く。
「てっきり途中で木箱を蹴散らすのではないかと
ヒヤヒヤしとったんじゃがな。さすがは騎士様といったところかの。律儀じゃ」
「はははっ!騎士道とやらには感謝しないとねぇ!」
「ああ。じゃが、おそらく騎士様の報告でお嬢さんを匿ったことは近いうちにバレるじゃろう。激臭で最後まで調査できなかったとなれば、そこにいたと考えるはずじゃからな」
「え、じゃあ……」
青ざめるジョセフィーヌを見て村長はゆっくりと頷いた。
「下手したら連行されるじゃろう。お嬢さんを匿い、騎士様たちの邪魔をしたのじゃからな。
そうなったらジョセフィーヌ、後を頼んだよ」
「何言ってんだい、あたしも行くよ!」
「残念じゃがそれはできん。ジョセフィーヌまでいなくなったら誰が皆をまとめるんじゃ?お主を慕っているものは多い
からの」
「わかったよ……」
力なく頷くジョセフィーヌを見ながら村長は安心したように微笑む。するとジョセフィーヌが何度か目を泳がせたあと口を開いた。
「前から思ってたけど村長、いったい何者なんだい?」
「ただのイカナ村の長じゃよ。
それ以外の何者でもないわい」
「でも――」
「あ、そろそろ薪がきれるんじゃった。
補充しにいかんと」
むりやり話を切り上げると村長はその場を後にする。
ジョセフィーヌは納得のいかない顔で見送ったあと、木箱や
タルの中身を戻すために倉庫に足を運んだ。