眼球を洗う
目が痒かった。アレルギー性の結膜炎だと、私にはよく分かっていた。アレルギーは何に対しても発症する。ほこり、ダニ、温度差、季節の変わり目、嫌いなアイツ、気の進まない仕事、立ち上がりの遅いパソコン、ウェブ広告、政治家の顔、すれ違う人のにおい、エトセトラ、エトセトラ。
痒みは唐突で、猛烈だ。最近流行のウィルスに対抗するためのワクチンを打った箇所もまあ痒いが、結膜炎の方が圧倒的だ。それはもう、暴力的ですらある。初め、眼球の側面のあたりが、ちりちりと疼く。虫でも入ったかと思う様に疼く。そのちりちりが、気づけば眼球全体を覆い、痒くなる。最早ちりちりなんてものではない、掻きむしらねば気の済まない、しかし掻きむしったとして改善するとも思えない痒みが、私の意識をさらってしまう。
家にひとり、痒みに耐えていると、どんどんと正気が失われていくのがわかる。目の前に置いてあるペンをいっそのこと突き立ててはどうかなんてことを、ふと気がつけば考えている。だから、次に気がついたときには洗面所で、自分の眼窩から垂れ下がった眼球を冷たい水道水で洗い流していたのだが、驚かなかった。薄々、遅かれ早かれ、こうなる様な気はしていたのだ。
一度やってみたかった。
清涼な水が、眼球の火照りを冷ましてゆく。例えようのない解放感に、うっとりとする。眼球が私の指の中で水に揉まれる、その感覚が脳に伝わるのは、なんだか途轍もなくおかしな気分だ。例えば火傷した舌先を限界まで突き出して、それはまるでもう自分の体から切り離されたものの様な気がするのに、でもまだ痛いのが不思議な気がする、それに似ている。
何にも似ていない柔らかさを弄びながら、私はこれを上手く元に戻せるのかどうか、少しだけ不安になってきた。




