第37-2話 最後の一日
突発的に決めたあいさつ回りの一日を終え、コーデリアはソファでくつろいでいた。そこへコンコンと扉がノックされる。「こんな時間に、誰でしょうか」と確認しに行ったリリーが扉をあけてぎょっとした。
「アイザック殿下! 少々お待ちください、お嬢様にお伝えいたします」
(殿下がこの時間に?)
アイザックは普段からコーデリアの部屋に入り浸っていることが多い。だがさすがに夕食も終え、あとは寝るだけというこの時間になってやってくることはほとんどなかった。
「どうなさったのですか殿下。まさかまた事件が……?」
「いや、事件ではないんだが……夜分遅くにすまない。どうしても今日君に伝えたいことがあって。少し、庭を散歩しないか?」
いつもよりさらに仏頂面になっている顔から、かすかにだが緊張している気配を感じる。疑問に思いつつも、コーデリアは急いでショールを羽織った。後ろから護衛の騎士たちがついてこようとするが、珍しくアイザックがそれを断った。これで完全に二人きりとなる。
庭に出ると、風がショールを吹き抜けてコーデリアの体をひんやりと撫でた。
(意外と寒い。もう少し着込んでこればよかったですわね……)
ぶるりと身を震わせたところで、大きな上着がコーデリアを包み込む。アイザックが自分の上着を脱いで、コーデリアにかけてくれたのだ。
「冷えるから、これを着るといい」
「ありがとうございますわ。……ふふ、殿下の服を奪うのはこれで二回目になりますわね」
一度目は、ラキセンで大火が起こった夜。
事件の首謀者も今は逮捕され、ひとまず安心して建国祭に望めそうなことに、改めてホッとする。同じことを思っていたらしいアイザックもゆっくりとうなずいた。
「あの日、死人が出なかったのは君のおかげだ。改めて礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「私こそ、お役に立てて何よりですわ」
コーデリアが笑えば、アイザックがふっと笑顔をこぼした。麗しい、としか形容のしようがない笑顔に、コーデリアの心がぎゅんと鷲掴みにされる。
(うっ……! 最近忙しくて堪能する余裕がなかったのですけれど、相変わらず殿下の笑顔は威力抜群ですわね……!)
動揺を表に出さないよう必死にこらえていると、スッとアイザックが手を差し出した。少し照れながらもその手をとると、彼がゆっくりと歩き出す。そのまま庭にあるドーム状のガゼボにたどり着くと二人は腰かけた。
りぃん、りぃんと聞こえる鈴虫の澄んだ鳴き声に、空には美しい弧を描く三日月。ちりばめられた星々は控えめながらも美しい輝きを放っていて、秋の夜長に、コーデリアほうっとため息をついた。
やがて、意を決したように、アイザックが口を開く。
「……コーデリア。ずっと君に伝えたかったことがある。聞いてくれるか」
真剣なまなざしに、コーデリアの心臓がどきん跳ねる。うなずくとアイザックが立ち上がり、彼女の前にひざまずいた。
月明りに照らされたコーデリアの白い手を、アイザックの美しくも男らしい手が包み込む。
「……初めて会ったときから、君はずっと私の太陽だった。いつも明るく聡明な君に、私は何度救われたか数え切れない。いつしか君の笑顔は、私にとってなくてはならないものとなった。……同時に強く思うんだ。君の笑顔を守るのは私でありたいと」
鮮やかな青の瞳が切なく揺らめきながら、乞うようにまっすぐコーデリアを見つめていた。
「コーデリア・アルモニア公爵令嬢。改めて、私とともに人生を歩む伴侶となってほしい――結婚してくれないか、コーデリア」
コーデリアは微笑んだ。
微笑んだはずなのに、気付けば涙が頬を伝っていた。
「もちろん、喜んで。……どうかずっとあなたのおそばにいさせてください。……いやだわ。嬉しいのに、涙が」
ぽろぽろとこぼれる涙を、アイザックの長い指がすくう。それからゆっくりと彼の顔が近づいてきて、月明りの下、二人の影が重なった。甘やかな吐息が、静かに二人を包み込む――。
――その時、実はすぐそばの茂みで、フェンリルが寝そべって夜風にあたっていた。
だがさすがのフェンリルも、二人の邪魔をする気にはなれなかったのだろう。しばらく薄目を開けて聞き耳を立てたあと、フンと鼻息をついて満足そうに目を閉じたのだった。




