第36-2話 水牢
コーデリアは痛みを覚悟した。……が、予想に反して、いつまで経っても痛みはやってこない。
恐る恐る目を開けた先で見たのは、巨大な水の玉と、その中に浮かび、驚きに目を見開いているベンノの姿だった。
(これは……殿下の“水牢”!?)
フェンリルと戦った際に使用した水の防御壁を、アイザックはあれからさらに進化させていた。防御するだけでなく、攻撃してきた対象を逆に水で包み込んで、閉じ込めてしまう特性を加えたのだ。
紛れもなくその水魔法が、今、ベンノを包み込んでいた。
「コーデリア!」
同時に教会の扉が大きく開け放たれ、目を血走らせたアイザックが飛び込んでくる。
「殿下! サミュエルさまが!」
慌ててサミュエルの方を見て、コーデリアはポカンとした。
先ほどまでサミュエルと黒ローブの男が立っていた場所には、頬に返り血を浴びたジャンが立っていたのだ。
「ちょっと斬ったけど、命はあるはずだ。……多分」
ぐい、と血を拭いながらジャンが飄々と言う。いつの間に教会内に忍び込んでいたのだろう。そういえば、こう見えてかなり優秀な騎士だったことを思い出す。そして相変わらず、サミュエルはぐーぐーと寝息を立てていた。ここまで起きないのもある意味才能だ。
「念のため防御魔法をかけておいてよかった。怪我はないか? よく見せてくれ」
アイザックが足早に駆け寄ってきて、両手でしっかりコーデリアの頬を包んだ。それから検分するように、念入りに体のあちこちを調べ回る。
『小僧。外にいた仲間はみんな捕らえておいたぞ』
のっそりと姿を現したのはフェンリルだ。見れば教会の外には、何人もの黒ローブの男たちがボロ雑巾のように、無造作に積み上げられていた。
「私は全然大丈夫ですわ。……というかいつの間にか防御魔法をかけてくださっていたんですの? 全然気づきませんでしたわ」
「君にあげたネックレスがあっただろう? 襲われたら魔法を展開するよう、細工をしておいたんだ」
「殿下……それって魔道具ですわよね!? それもすさまじく貴重な!」
サラッと言っているが、今のところそんなことができる魔道具は、コーデリアですら聞いたことがない。下手すると歴史が変わるほどの物を作っておきながら、アイザック本人は至って淡々としていた。
「これ、量産に成功したらとんでもないことになりますわよ! 貴族階級はもちろん、市民階級だってどれだけ助かるか……! ああなんて宣伝のしがいがある!」
興奮するコーデリアをよそに、水牢の中では、ベンノが必死に水牢から抜け出そうともがいている。だが手は水を掻くばかりで、全く進展はないようだった。どういう仕組みかはわからないが、空気の確保はできるらしい。
(魔法の威力も申し分ないわ!)
コーデリアが食い入るように水牢を見つめていると、アイザックが言った。
「怪我はないようだな、よかった……。ヒナ殿の失踪について探っているときに、君までいなくなったと聞いて心臓が止まるかと思った」
「あ、ご、ごめんなさい」
コーデリアが慌ててアイザックに向き直る。魔道具に見惚れている場合ではない。
「というかヒナの失踪、ご存知でしたのね!?」
「こうなるんじゃないかと思っていた。君が目覚めた時、違う部屋にいたヒナ殿がどこからか情報を手に入れていたからね。あれで君が監視されていることを知った」
「そういえばそんなこともありましたわね……」
コーデリアはあまり深く気に留めていなかったが、確かに誰もひなに連絡などしていなかった。最初からアイザックが張っていたのだとしたら、コーデリアは捜査の邪魔をしてしまったのかもしれない。
「ごめんなさい、私、余計なことをしてしまいましたわね……」
「そんなことはない。君が大人しく従ってくれたおかげで、我々は怪しまれずに尾行ができたんだ。……それに、見張らせておいた部下より、何も知らないリリー殿の方が早く異変を知らせに来たよ」
アイザックの言葉に、コーデリアは微笑む。
リリーは良くできた侍女だ。
普段全く辛味を好まない主人が急に「辛いものが食べたい」と言い出したら、なぜなのか理由を考えるだろう。そして主人を安心して任せられるアイザックに、必ず報告しに行くと踏んでいた。
その思惑通り、見事仕事をしてくれたらしい。
二人が見つめ合っていると、ひょいとジャンが顔を覗かせた。手にまだ、先ほど切り倒した男を引きずっている。
「って言ってますけど殿下、散々『コーデリアを囮にするなんて』って騒いでいましたよね? 俺が止めなかったら準備が整う前に突入しそうな勢いでしたよ」
アイザックが気まずげに目を逸らす。
「それは……いくら我々が尾行しているとはいえ、あんな夜道を彼女一人に歩かせるなんて……」
ぶつぶつと言っているあたり、アイザックの過保護っぷりは健在らしい。
「敵より殿下を抑える方が大変でしたよ。コーデリアが教会に入った途端、すごい顔で突っ込んでいこうとするし。辺りに潜んでいた奴の仲間は即座に片付けましたけどね」
アイザックがゴホンと咳払いした。
それから思い出したように、王族らしい威厳と厳しさに満ちた目で、未だ水牢に閉じ込められているベンノを見る。
「さて……この男にも色々と聞かなければいけないな。そもそもお前は一体何者なのか、洗いざらい吐いてもらおう」
ベンノの金の瞳が、水の中で悔しげに細められた。




